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1. 匿名 2026/07/11(土) 13:15:14
何故敵対してた長州と薩摩が手を組んだのか、いかにして新選組が朝敵として転落したか、少しは知ってるつもりですがもっと掘り起こして知りたくなりました、興味ある方語りませんか?返信+14
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2. 匿名 2026/07/11(土) 13:16:55 [通報]
秋田の裏切り返信+2
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3. 匿名 2026/07/11(土) 13:17:28 [通報]
返信![幕末史を語りませんか?]()
+9
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4. 匿名 2026/07/11(土) 13:17:52 [通報]
島津忠義返信
今の皇室の先祖![幕末史を語りませんか?]()
+1
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5. 匿名 2026/07/11(土) 13:19:14 [通報]
返信![幕末史を語りませんか?]()
+13
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6. 匿名 2026/07/11(土) 13:19:37 [通報]
西郷は結局何がしたかったのか?返信+9
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7. 匿名 2026/07/11(土) 13:19:50 [通報]
>>4返信
皇室は武家の血筋多いよね、浅井江与の娘の子孫が大正天皇に嫁いだんだよね+3
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8. 匿名 2026/07/11(土) 13:21:56 [通報]
>>1返信
薩長同盟は坂本龍馬の手柄は嘘らしいね+14
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9. 匿名 2026/07/11(土) 13:22:36 [通報]
>>6返信
だよね、薩摩を二分させるのが目的とは思えないけど+2
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10. 匿名 2026/07/11(土) 13:23:15 [通報]
白河小峰城が乗っ取られてた返信+0
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11. 匿名 2026/07/11(土) 13:23:15 [通報]
明治維新1868年の直前、1863年政変で長州一派は追い出され返信
1864年京都武力制圧(蛤御門の変)失敗、朝敵になった
つまり、朝敵は情勢次第でコロコロ変わる
+9
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12. 匿名 2026/07/11(土) 13:24:54 [通報]
>>11返信
勝てば宦官って誰が言ったのかな確信ついてるね+5
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13. 匿名 2026/07/11(土) 13:25:24 [通報]
福島県民は山口県民が嫌とか結婚相手には許さないとか今もあったりするのかな?返信
+3
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14. 匿名 2026/07/11(土) 13:26:41 [通報]
>>8返信
嘘なのじゃあ誰がまとめたのかな+0
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15. 匿名 2026/07/11(土) 13:27:33 [通報]
薩摩は武士力が4分の1以上あったので強かった返信+3
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16. 匿名 2026/07/11(土) 13:29:07 [通報]
>>15返信
700年かけて戦闘集団に育てたんだよね+0
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17. 匿名 2026/07/11(土) 13:32:59 [通報]
>>6返信
西郷自身は古典的なモラルを尊んでいた
武士というより「士大夫」的モラル
殿に仕えるのではなく「皇帝」天皇に仕えるモラル体制が理想だったみたい
(飽く迄、個人的推測です)+4
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18. 匿名 2026/07/11(土) 13:33:23 [通報]
新撰組 イケメン返信![幕末史を語りませんか?]()
+11
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19. 匿名 2026/07/11(土) 13:37:03 [通報]
返信
中岡慎太郎に魅力感じる
高知に旅行行けるなら中岡慎太郎館行ってみたい+3
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20. 匿名 2026/07/11(土) 13:40:49 [通報]
>>15返信
というより
秀吉と徳川がした刀狩りをしなかった
戦国時代、兵士の殆どは武装農民
戦国時代の動員数から見て農村青年の2~3割はイクサに参加していたらしい
戦闘専門の武将は指揮官、武装農民小編隊のリーダーだけだった
薩摩(島津)はその戦国時代体制のママだった
薩摩の下級武士たちは帯刀できても実質農民だった
せいぜい薩摩特有の外城(島津分家、有力武将の小規模城)に行けるだけで
鶴丸城(鹿児島城)には登城できなかった+1
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21. 匿名 2026/07/11(土) 13:46:28 [通報]
会津藩の婦女隊返信
中野竹子が有名
兵の一員として戦えないなら自害するとまで言って志願した薙刀の名人。
敵に捕まって辱めを受けるよりは…とまだ幼さの残る妹を手に掛けようとしたり、竹子自身も銃弾を喰らって母親に介錯を頼んだりと悲しく熾烈な幕末を生き抜いた女性だった
+5
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22. 匿名 2026/07/11(土) 13:48:58 [通報]
坂本龍馬を暗殺(この言葉が適当かどうかも含めて)したのは本当に見廻組なのかな?返信+2
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23. 匿名 2026/07/11(土) 13:51:06 [通報]
>>4返信
女系で天皇家とつながっているから子孫とは言えません
島津家は天皇家、公家、大名家と縁戚関係が多く
親睦団体「錦江会」はセレブの集まり
(注 錦江会という名称は島津家血縁とは無関係、多方面に使われていますので御注意)
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24. 匿名 2026/07/11(土) 13:52:54 [通報]
>>21返信
銃やアームストロング砲がある時代に、女性に薙刀持たせた会津藩の無能っぷりがよく分かる。
仮に戦国時代でも、薙刀で城を守れとは無謀すぎるし、戦国時代の方が女性子供は避難していただろうなぁ。+9
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25. 匿名 2026/07/11(土) 13:53:02 [通報]
>>20返信
追加
島津は刀狩りした風にするため
なまくら刀を集めて差しだしていた+0
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26. 匿名 2026/07/11(土) 13:57:25 [通報]
>>1返信
とりあえず2000年以降の研究成果を知りたい人は、これを読んでね
幕末のいろんな分野の研究者が、自分の分野の最新研究のまとめと、「この分野はこの本を読めばわかる」と紹介したブックリスト
+2
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27. 匿名 2026/07/11(土) 13:59:20 [通報]
>>6返信
西郷さん、名前は忘れたけどお坊さんと心中しようとしたのが不思議🤔+3
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28. 匿名 2026/07/11(土) 14:02:20 [通報]
>>14返信
薩摩が和解したいと言ってるよと、坂本龍馬が伝えに行った
「犬猿の仲だった」は創作設定
薩摩としては、長州が幕府に倒されると次は自分たちが潰されると思っていたので、長州を援助する方が、幕府に従って長州を攻めるよりメリットがあった+3
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29. 匿名 2026/07/11(土) 14:03:01 [通報]
>>24返信
冷静な武力、戦力分析より
心意気を尊んでいたからです
昭和になっても東条英機は「一死奉公」「七生報国」を叫び続け
米国に勝てませんと報告した参謀を台湾に左遷した
満蒙の地で死んだ兵士に申し訳ないと思わないのは不忠不孝だ
対米戦慎重論を唱えた海軍将校を罵倒した
精神論より飛行機増産ではないかと記事かいた中年り新聞記者を徴兵した
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30. 匿名 2026/07/11(土) 14:03:32 [通報]
竜馬ってやったこと大体が実家太いからじゃんって思う返信+1
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31. 匿名 2026/07/11(土) 14:05:33 [通報]
>>20返信
島津の強さは家老以下みんな銃をたしなんでたことだと思うけど
会津や他の藩みたいに「銃は足軽の持つもので、サムライの武器じゃない」って概念がなかった
だからわざわざ農兵部隊を作らなくても、武士みんなが新型ライフルに飛びついた+1
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32. 匿名 2026/07/11(土) 14:08:49 [通報]
>>24返信
会津藩だけじゃなく国は太平洋戦争に至っても竹槍で鬼畜米兵と戦わせようとしてたじゃん?w+8
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33. 匿名 2026/07/11(土) 14:12:02 [通報]
>>12返信
いや、官軍
勝って宦官にされるの怖すぎる+4
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34. 匿名 2026/07/11(土) 14:16:00 [通報]
>>27返信
その坊さん、「尊王攘夷」過激派論客だった
安政の大獄の時代
その坊さんは過激派としてマークされていたが、西郷はその坊さん思想に被れていた
薩摩藩主島津斉彬は公武合体派だったが急逝
西郷は落ち込んでいた
島津家は公武合体を変えず、天璋院篤姫を通じて幕政に関与しようと画策していた
当然、西郷は危険思想の持主だから排除対象
薩摩の伝統的処刑方法
船で大隅半島に送る途中で突き落とし溺死させる
西郷はソレを知っていたから最早これまで、刑死されるよりも自シ選び、坊さんと抱き合って飛び込んだ+2
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35. 匿名 2026/07/11(土) 14:16:46 [通報]
>>30返信
漢字間違えてる人に言われたくないわ+0
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36. 匿名 2026/07/11(土) 14:17:40 [通報]
水戸藩は明治の世になってからも藩内抗争(いわゆる天狗・諸生の乱)が続いていた。最後は保守門閥派である諸生党の首領市川三左衛門が逆磔という極刑に処されて、抗争は終わった。返信+1
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37. 匿名 2026/07/11(土) 14:22:42 [通報]
>>27返信
安政の大獄の最中で、坊さんの月照が幕府に追われていて、助からないと思ったから
西郷の早とちりという説も有力
島津斉興は、二人を種子島に逃がす気だったが、風が航海に適さず、南の山川港で待っている間に幕府の役人に追いつかれると思った
そのため、幕府の役人の来ている熊本側と反対の日向側に逃がして、そこから船でどこかに脱出させろと命令したが、西郷は斉興が月照を殺す気だと早合点して心中した
という捉え方も、残された史料からはできる
+4
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38. 匿名 2026/07/11(土) 14:24:36 [通報]
>>32返信
軍国教育で「会津は素晴らしい」って教えちゃうから…+3
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39. 匿名 2026/07/11(土) 14:25:32 [通報]
>>6返信
頼られたら断れないタイプらしいよ+2
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40. 匿名 2026/07/11(土) 14:28:21 [通報]
>>1返信
長州はの歴代藩主は毛利家で、関ヶ原の戦い前には毛利家家臣と徳川家康の間で所領は保持と密約はあったが、戦のあとには120万石から36万石に減らされた。
このことから、長州は元々が幕府嫌いで倒幕思想があった。
また、恨みだけではなくて「いつかは幕府が自分たちを征伐にくる筈」という危機感があった。しかし、小藩だから武器などは常備できず、ならば人材育成を→ 松下村塾などの民間塾ですらあるくらいの学業熱心な藩に。
ちなみに広島県で16年続いている街ブラ番組名は元就。
徳川幕府が広島藩に滋賀生まれの浅野家をやって260年はたったのに、毛利元就のキャラクターを使うあたり、広島県人にとっても浅野家より毛利元就の方が親しみやすいのかもしれない。+1
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41. 匿名 2026/07/11(土) 14:35:27 [通報]
坂の上の雲読んでる返信
面白い+1
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42. 匿名 2026/07/11(土) 14:35:43 [通報]
>>40返信
司馬の小説では「長州は元々が幕府嫌いで倒幕思想があった」と描かれているけど、萩博物館の道迫真吾氏によれば、長州藩はもともとは幕府に忠実な藩であり、倒幕思想を抱いていたという捉え方は現在では否定されている+3
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43. 匿名 2026/07/11(土) 14:39:04 [通報]
>>28返信
薩長が犬猿の仲だったのは本当だよ。
京都で殺し殺されの連続だった。
+3
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44. 匿名 2026/07/11(土) 14:42:01 [通報]
>>43返信
「だんドーン」とか最近の作品でもそういう描き方をしているものはあるけど、創作設定
八月十八日の政変や禁門の変で、薩摩は会津と組んで長州を追い出したけど、あくまでも藩の利害で動いており、長州みたいに感情的に恨んでいたわけではない+2
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45. 匿名 2026/07/11(土) 14:45:10 [通報]
4大人斬りの田中新兵衛の真相が知りたい返信+1
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46. 匿名 2026/07/11(土) 14:45:44 [通報]
>>31返信
よこ
チト違うような
戦国時代島津は、種子島銃を揃えていたけど織田豊臣ほど大量装備ではなかった
1人の銃兵が複数の銃を持ち、不発でも連続射撃できる体制にしていた
つまり、銃兵は多くはいなかった
江戸時代は一撃必殺の示現流剣術に熱心だった
1858年島津斉彬死去、
1860年井伊大老暗殺後、安政の大獄が終わり、
グラバーなどの茶、陶磁器くらいしかしていなかつた外国商人たちに
「防衛意識たかくなった」各藩が最新鋭武器調達を依頼し始めた
(諸説あるものの、それまで武器取り扱いはしていなかったし、貿易は幕府独占していた)
薩摩は先代島津斉彬が作った西洋武器研究所、溶鉱炉などを壊していたが
少数の銃を密輸入し始めた
1863年薩英戦争後、イギリスから銃を大量購入するようになった
1868年、戊辰戦争のときにはライフリングある命中精度高い、元込め式で連射しやすい銃を大量に揃えた(幕府側は最新鋭兵器揃いきれなかった)
長州大村益次郎の散開戦術(密集しないでバラバラの地点から攻撃する)
これで幕府軍を圧倒した+0
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47. 匿名 2026/07/11(土) 14:48:20 [通報]
>>8返信
手柄は中岡慎太郎+0
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48. 匿名 2026/07/11(土) 14:48:32 [通報]
>>35返信
よこ
坂本龍馬が本名だけど
司馬遼太郎はワザと「坂本竜馬」名にして
(史実とは違いますよ)メッセージだしていた+5
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49. 匿名 2026/07/11(土) 14:49:08 [通報]
>>18返信
誕生日一緒だから嬉しい+1
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50. 匿名 2026/07/11(土) 14:53:34 [通報]
>>46返信
戦国から幕末にいきなり話が飛ぶから、そういう理解になる
江戸末期の薩摩藩士は他藩より禄が少ないのと、米より必須アミノ酸の少ない芋を食べていたことから、日常的に野鳥を撃ってタンパク質を補給していた
薩摩が西洋式の砲術を導入したのは島津斉興のころで、モリソン号事件がきっかけ
別に密輸入したわけじゃなく、九州諸藩は幕府から長崎や自藩領に来航する外国船に対する警備を命じられていたので、正規の手続きをへて西洋の銃を入手していた+2
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51. 匿名 2026/07/11(土) 15:02:02 [通報]
>>42返信
よこ
長州藩主の1月1日の行事
家老「徳川討伐の準備ができましたがいかがはからいましょうや」
殿様「いやまだ時機が熟せぬ」
これを毎年していた
明治時代、元藩主が「秘事を告白」という話があるけど
ウソだホントだの論争があるようです
+0
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52. 匿名 2026/07/11(土) 15:07:46 [通報]
>>51返信
それに関しても道迫さんが「そんな史料は確認できない」ってバッサリ切ってる
そもそも参勤交代で、藩主は正月に江戸にいることもあるのに、毎年できるわけないってさ
おっしゃるとおり+1
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53. 匿名 2026/07/11(土) 15:27:20 [通報]
>>50返信
?
鳥撃ち日常的にしていたのかな?
薩摩はニワトリ、ブタ飼育が盛んだったのに
効率わるい鳥撃ちでタンパク質とは納得できませんね
島津斉興の西洋かぶれコレクション自慢は有名ですが銃兵まで渡せたのかな?
集成館を作り積極的に西洋技術導入したのは斉彬時代
(藩首脳部は斉興みたいに散財するんじゃないかと斉彬を警戒し派閥抗争おきた)
久光時代は集成館を破壊した
情勢替わってイギリスから大量購入するようになった
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54. 匿名 2026/07/11(土) 15:46:36 [通報]
>>35返信
よこ
当時は正しい漢字の記入がなく略字、くずし字、通称なんかは当たり前だった。
資料からも、坂本龍馬も「龍馬/竜馬」、土方歳三も「歳三/才三」とある。+2
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55. 匿名 2026/07/11(土) 16:09:52 [通報]
>>48返信
それは有名だから知ってるよ+0
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56. 匿名 2026/07/11(土) 16:10:24 [通報]
>>54返信
竜はない。
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57. 匿名 2026/07/11(土) 16:19:43 [通報]
>>35返信
論点ズレてる+2
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58. 匿名 2026/07/11(土) 16:20:08 [通報]
>>18返信
鈴木京香と同じ誕生日+0
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59. 匿名 2026/07/11(土) 16:22:13 [通報]
戦国時代返信
天皇の直接支配地、禁裏領は周囲の戦国大名小名に蚕食されて収入激減
辛うじて貢物と官位乱でなんとかしのいでいたけど、葬儀も出せないほど困窮していた
秀吉は七千石禁裏領回復などしてくれたから太閤という高い官位を貰えた
徳川も禁裏領を増加し3万石、公家領も46600石にした
長らく途絶えていた新嘗祭も出来るようにした
だけど幕末、徳川は皇室をイジメているという「ウワサ」をたてられてしまった+0
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60. 匿名 2026/07/11(土) 16:22:26 [通報]
>>8返信
別に嘘ではない
関係者の一人+3
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61. 匿名 2026/07/11(土) 16:24:41 [通報]
>>30返信
歴史上の偉人なんて殆どが実家太いじゃん
坂本龍馬はまだ金無い方だよ+1
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62. 匿名 2026/07/11(土) 16:33:51 [通報]
詳しい人、おもしろエピソードがあれば教えてほしい。返信
スイカ売り決死隊は本気で成功すると思ったの?+0
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63. 匿名 2026/07/11(土) 16:49:35 [通報]
>>62返信
スイカ売り決死隊はリーダー?海江田信義がホラ吹いた可能性あり
海江田は生麦事件のとき無礼をはたらいたイギリス人を一刀のもとに斬ってやつたと吹聴していたが他の人に拠ると多数の人が寄って集って刺していた、とか
薩英戦争のときスイカ売りに変装して決死の殴り込みする予定だったが上層部に止められた、とか
戊辰戦争のとき西洋砲術に詳しい長州大村益次郎の知的分析に異を唱え喚き知らした、とか
(大村益次郎暗殺犯というウワサもある)
海江田自伝は不正確だ、海江田は軽躁だ。
幕末小説を書いた海音寺潮五郎に評された人物+0
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64. 匿名 2026/07/11(土) 17:23:44 [通報]
幕府の見廻組にも光を当てて欲しい。佐々木只三郎の組織みたいな認識になってて悲しい返信+0
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65. 匿名 2026/07/11(土) 17:36:20 [通報]
>>63返信
教えていただきありがとうございます!
海江田が武勇伝を盛りに盛りまくった感じがありそうですね。
私の浅い調べ方だと海江田のホラの可能性も知らなかったです。面白そうなので、海江田の自伝についても調べてみます。
生麦事件は、海江田が死にかけてるリチャードソンを介錯したみたいなふんわりした覚え方だったので、生麦から薩英戦争もっかい勉強してみます!+2
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66. 匿名 2026/07/11(土) 18:10:01 [通報]
Netflixで黒田官兵衛見てからすごく歴史に興味が湧いてる返信
幕末の時代の大河ドラマある?+0
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67. 匿名 2026/07/11(土) 18:21:55 [通報]
薩長土、幕府、新選組、会津は大河ドラマはあるけど返信
薩長土肥の「肥」視点がない(スター不足)
皇室公家視点がない(揉めそう)
水戸視点がない(殺伐すぎ)
民衆視点がない(観光史観wの大敵)
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68. 匿名 2026/07/11(土) 18:43:08 [通報]
>>66返信
歴代、幕末舞台の大河ドラマ
花の生涯
三姉妹
竜馬が行く
勝海舟
花神
跳ぶが如く
徳川慶喜
新選組
篤姫
龍馬伝
八重の桜
花燃ゆ
西郷どん
見た中でで面白いと思ったのは(飽く迄私見です、ネット配信しているかは知りません)
花神、跳ぶが如く,新選組、篤姫、八重の桜
何だこりゃヒドスギと思ったのは(飽く迄、私見です)
花燃ゆ、西郷どん、
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69. 匿名 2026/07/11(土) 19:18:54 [通報]
>>27さん返信
月照ですか?詳しくないですが
島津斉彬の指示で篤姫の嫁入り道具の調達したのも西郷隆盛ですね+0
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70. 匿名 2026/07/11(土) 19:27:36 [通報]
確か勝海舟の氷川清話と思います返信
読んだ人いますか?
>⋯ 日本人もあまり戦争に勝つたなどと威張つて居ると、後で大変な目にあふヨ。剣や鉄砲の戦争には勝つても、経済上の戦争に負けると、国は仕方なくなるヨ。⋯
いろいろ驚きます+2
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71. 匿名 2026/07/11(土) 20:46:36 [通報]
>>18返信
イケメンか?
普通じゃない?+1
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72. 匿名 2026/07/11(土) 21:05:32 [通報]
>>67返信
>皇室公家視点がない(揉めそう)
これおもしろそうだよね
岩倉具視がどんな宮廷工作をやったのか知りたいわ
晩年に岩倉は大久保利通と宮廷工作をやったけど、その内容は生きているかぎり口が裂けてもいえないと言っていたそうだね
孝明天皇の死の謎とかもあるし気になるわ+4
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73. 匿名 2026/07/12(日) 00:28:31 [通報]
>>66返信
今見るなら「青天を衝け」かな
幕末全体の流れがわかりやすいし、当時の人はみんなそれぞれ日本のためにがんばったって視点なので、偏りが比較的少ない
最新研究もわりと取り入れてるし+3
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74. 匿名 2026/07/12(日) 00:38:32 [通報]
>>65返信
スイカ売り決死隊は「薩藩海軍史」って薩摩側の史料にちゃんと記録が残ってる史実
このトピなど、ガルちゃんには長州のことしか知らないのに適当なウンチクを書く人がいるので、気をつけたほうがいいよ
スイカ売り決死隊は、江戸末期から薩摩領にイギリスの漂流船がよく来てて、壊血病で野菜や果物をほしがって、あげるとすごい勢いで食いついてたって経験からの発想だとは思う
スイカじゃビタミン足りないから意味ないけど
冬だったらミカン売り決死隊になってたのかな+2
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75. 匿名 2026/07/12(日) 06:34:32 [通報]
1797年 英国測量船、北海道上陸後、宮古多良間島沖で難破。同行僚艦に移動した返信
イギリス船は水以外もとめていなかったのに宮古島の人たちから薪、粟などの雑穀、鶏肉、ブタ肉など持ってきて、しかも代金求めなかったから感激した
1803年 英国船那覇に寄航
1816年 英国艦船来航。42日間滞在
1827年 英国船来航
1832年 英国船漂来
1840~1842年 アヘン戦争、英軍大勝利
1842年 アヘン戦争を知った江戸幕府、外国船打ち払い令緩和、薪水給与令をだす
1843年 英国軍艦、宮古・八重山の土地測量
1844年 仏国軍艦那覇入港。和好・貿易を求める。回答は後来する艦船にするように託し、宣教師フォルカードを残して中国へ向かう。
1846年 英国船那覇来航。英国宣教師ベッテルハイム来琉(以後8年間滞在)
仏艦船フォルカードの後任ル・テュルデュを伴い那覇来航
その後別の船2隻運天港に集結し、44年に要求した和好・貿易の回答を求める。琉球拒否
薩摩藩、幕府へ通報
英艦隊3隻那覇に来航、島津斉彬、反射炉の建設や西洋式帆船・蒸気船の建造決意する
1847年 国籍不明西洋船、久米島・宮古・八重山・粟国へ来航
1849年 英国船来航、通商要求。久米島・宮古に国籍不明異国船来航
1850年 英国船来航。
1851年 ジョン万次郎、米国船にてからボートに乗り移り琉球上陸。のち薩摩に送られる
異国船の来航しきり。
1852年 清国人労働者を乗せた米国商船が石垣島に漂着。
1853年 米海軍提督ペリー那覇に来航。自由貿易など要求。
ペリーが次に向かったのが浦賀沖
島津斉彬、分家の篤姫を養女に迎い入れる
1854年 ペリー提督、徳川幕府と『日米和親条約』締結後、
尚王家と『琉米【修好】条約』調印。
沖縄目線の幕末大河も面白そう
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76. 匿名 2026/07/12(日) 06:44:06 [通報]
>>75返信
追加
18世紀ごろから蝦夷にロシア船が出没
19世紀ごろから琉球にイギリス船が出没
(勿論、偶にきたのは別)
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77. 匿名 2026/07/12(日) 07:00:12 [通報]
幕末(一般的には1853年の黒船来航から1868年の明治維新まで)は日本史の中でも特に変化が激しく、登場人物の思惑が複雑に絡み合う時代です。善と悪の戦いというより、誰もが日本をどう守るべきかを本気で考えた結果、対立しました。返信
【幕末は"どちらが正義だったか"が単純ではない】
幕府側も日本を守ろうとしていた!
倒幕側も日本を変えようとしていた!
志士たちは理想に燃え現実に苦しみながら決断をした!
そのため一人ひとりの人物にドラマがあり、歴史小説や大河ドラマ、映画などでも繰り返し描かれています。
歴史好きの間では幕末は人物を知ればしるほど嵌る時代とよく言われます。理想と現実、忠義と改革、武士の価値観と近代国家への転換が一気に交錯した、まさに日本史最大級の転換点だったと言えるのではないでしょうか?![幕末史を語りませんか?]()
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78. 匿名 2026/07/12(日) 08:21:48 [通報]
鳥羽伏見の戦いで惨敗した幕府軍返信
指揮官の陸軍奉行は竹中重固(しげかた)
竹中重固は蝦夷共和国にも参画するが此処でも降伏
戦国時代きっての名軍師と名高い竹中半兵衛の子孫だったが活躍できなかった
刑死されても仕方ない状況だったが禄を全部取り上げられ
名軍師黒田官兵衛の子孫、黒田家へ預かりとなった
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79. 匿名 2026/07/12(日) 08:23:43 [通報]
>>44返信
それだけじゃないよ。
小さないざこざ殺し殺されは京都では頻繁にあったよ。+0
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80. 匿名 2026/07/12(日) 08:45:10 [通報]
江戸中期に勃興した国学返信
神社に影響を与え「復古神道」が起きた
(名目上は由緒正しい神道の復活だけど、
祖先神も郷土神、山川、大岩を祀るアニミズムそのものから天皇皇祖皇宗を合祀するようになった)
水戸学に影響を与え後期水戸学に替わった
(朱子学的序列重視思想と混じって将軍<<天皇の序列を主張するようになった)
日本こそサイコーの概念が勃興した
(仏教、儒学を尊ぶことから、やまと心は清らかだに変化した)
これが名調子の講談本「日本外史」の大ヒットと合わさって
天皇崇拝、南朝崇拝、楠木崇拝が常識化していつた
開国騒動、維新クーデター
そして「王政復古」、国家神道、皇紀制定の大元は国学にあった(と推理してます)
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81. 匿名 2026/07/12(日) 08:50:24 [通報]
明治末から維新元勲の自伝には返信
家は代々尊王の家柄であり国学を学んでいた
なんて時代設定オカシイことが当たり前のように書いてある
また、明治天皇は日本中行幸していった
当時は大きな旅館など殆どないから地方の大庄屋などに宿泊した
その大庄屋の歴史本にも
代々尊王の家柄。国学を学んでいた
などと当たり前のように書いてある+0
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82. 匿名 2026/07/12(日) 08:56:05 [通報]
トンデモ奇書「タケウチ文書」に影響受けた人は返信
イエスは日本に来て修行し国学を学んだ
磔になる所を日本に逃れて青森で死んだ
と「発見」した
恐るべし、国学は時代を遡ることができる+0
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83. 匿名 2026/07/12(日) 09:31:26 [通報]
>>74返信
ありがとうございます!
>壊血病で野菜や果物をほしがって、あげるとすごい勢いで食いついてたって経験からの発想だとは思う
スイカにも理由があったんですね。
おっしゃる通り冬ならミカンだったのかも。
ノリで考えたぶっ飛んだ発想だと思いましたが、ちゃんと考えられてたんですね。+1
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84. 匿名 2026/07/12(日) 11:15:28 [通報]
YouTubeで、歴史の教科書以上にそれぞれの藩の内情が詳しくわかって楽しい。返信
個人的に小倉藩は、第二次長州征伐で一番被害のあった藩だと思う。
第二次長州征伐で、幕府側についたものの、主要な場所に小倉城があったために攻めこまれた。
幕府側からきた総督のお偉いさんの小笠原長行は、戦場にいない主君が死んだ(徳川家茂)と戦艦で逃げ出す。残された小倉藩1藩では戦えずに、やむなく小倉城を焼いて平地に逃げた。
しかし、城も城下町もなくなった藩だから、再建のために商人から借金して、藩士はリストラしてから、残った者にも副業を許可して、領民のために屋敷を藩庁として使わなくてはいけなくなったり。
なお、小笠原長行はその後の戦争でも、逃亡を繰り返して最後は海外亡命までしたが、帰国からの明治政府の恩恵あり、69歳で亡くなった。+0
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85. 匿名 2026/07/12(日) 18:06:23 [通報]
土佐勤王党について語りたい。返信+0
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86. 匿名 2026/07/12(日) 22:27:31 [通報]
土佐勤王党は文久元年1861年結成返信
井伊大老暗殺事件1860年のあと
山内容堂のブレーン吉田東洋を1862年暗殺した
吉田東洋は富国強兵の藩政改革、門閥排斥など
守旧派ではない優れた改革主導者
土佐勤王党が何故狙ったのかイマイチ判りません
詳しい方、ご教授下さい
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87. 匿名 2026/07/13(月) 07:36:50 [通報]
>>86返信
土佐藩に限らずだけど、江戸時代は身分社会なので「藩の上層部でこんな改革をしている」という情報は、下級武士に知らされない
(一部の藩ではちゃんと伝えてたけど、少数派)
したがって、吉田東洋が優れた改革をしていたことを、土佐勤王党は知らなかった
今のSNSやガルちゃんみたいに、当時も知ったかぶって妄想で適当な噂を広め、何もしてない人を悪役にしていい気分になってる連中はいた
土佐の下級武士たちにとって不幸だったのは、藩公式から情報が来ないから、そういう知ったか連中の噂を情報源にしがちだったこと+0
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88. 匿名 2026/07/14(火) 07:15:02 [通報]
広島藩 神機隊を忘れてほしくない。返信
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