- 1
- 2
-
501. 匿名 2021/10/09(土) 15:49:36
>>451
それでも限度があるんじゃないかな。
信長の前では奴隷でも国へ帰れば一国の城主だから。
+2
-1
-
502. 匿名 2021/10/09(土) 15:49:41
>>126
信長さまって頭はいいけど
わりと何回も裏切られてるのに学ばないのよ
あれで人が好いんだと思うわ
裏切られても二回くらいは許しちゃうし
自分がわりと何でも出来ちゃう人だから
人間の暗黒面の想像ができないのかな
+13
-1
-
503. 匿名 2021/10/09(土) 15:54:57
信長は自刃だったか
首自体はは取れなかったんだよね+3
-0
-
504. 匿名 2021/10/09(土) 15:55:17
秀吉が煽ったぽい。水攻めからの戻りが早すぎる。偵察を光秀の近辺に付けてたんじゃないの?+7
-0
-
505. 匿名 2021/10/09(土) 16:16:41
なぜ本能寺に泊まったのかしら。+4
-0
-
506. 匿名 2021/10/09(土) 16:54:42
全然知らんけど忠誠心がなかった。+2
-3
-
507. 匿名 2021/10/09(土) 17:28:44
>>165
私も慢心だと思う。
弱小国の若造が、当時最強と言われてた今川、武田をはじめ敵を打ち破りまくって京も堺も将軍も朝廷も手中におさめて一代で天下人になったんだから慢心もするよね…。
しかも重臣は一度は弟についたのに許した奴だったり、低い身分から引き上げた奴だったりで信長本人に恩がある連中で、そいつらが自分を裏切るなんて考えもしなかったんじゃないかな。+5
-0
-
508. 匿名 2021/10/09(土) 17:35:26
>>502
そういう意味でも考えや価値観が当時の人とは一線を画してたのかもね
一方そんな信長の最期を見た秀吉と家康は裏切りは絶対許さないマンになった+2
-0
-
509. 匿名 2021/10/09(土) 17:42:59
光秀=天海僧正は現実的ではないとよく言われるけど、まず光秀の正確な生年月日が不明。しかし当時の平均寿命【42から44歳】だと推察されているが..
概ね1番信憑性のあるのが光秀は信長より6〜7歳年長と考えられている。本能寺の変は1582年、信長→49歳。光秀は56歳ぐらい。1600年が関ヶ原の戦い。その前後に天海=光秀が現れたとしても74歳ぐらい。家康が死んだのは75歳なので74歳の天海=光秀は荒唐無稽の話ではない。+2
-2
-
510. 匿名 2021/10/09(土) 18:53:05
>>237
じゃあラスボスは家康?
こっちのほうがしっくりくるね笑+2
-0
-
511. 匿名 2021/10/09(土) 19:02:55
>>265
サイコパスわかってるけど笑
そもそも実際の人物像も分からないのに
否定するのもどうかと+1
-0
-
512. 匿名 2021/10/09(土) 19:23:19
>>295
本能寺なくても戦国武将ガチ勢には知られてると思うよ
本能寺でバズりまくり+3
-0
-
513. 匿名 2021/10/09(土) 19:44:46
>>509
正解。
まず日光市の明智平という地名の由来が天海が名付けたという説ひとつしかない。1600年前後で74、75歳ぐらいなら十分可能性ある。
それに光秀の1番の腹心→斎藤利三の娘が春日局。
斎藤利三が本能寺を襲撃した実行犯であり、光秀は確か別の城で待機の筈。春日局・お福は家康の孫家光の乳母であることは紛れもない事実。乳母とは教育係であり指南役。+3
-2
-
514. 匿名 2021/10/09(土) 20:11:33
>>34
あたしも今、溢れそう
ヒッタヒタ+1
-0
-
515. 匿名 2021/10/09(土) 21:25:12
異国とのなにがしか政治的理由で信長バックレる必要があって。
担当者が変更になるから、致し方ないじゃない?みたいな異国排除ができるから。かな?
表舞台から姿を消しただけで、生きていた可能性あるよね。
+1
-0
-
516. 匿名 2021/10/09(土) 22:10:48
>>509
光秀の自筆の手紙と、天海の自筆の手紙の筆跡が
まったく違うんだけど。+3
-2
-
517. 匿名 2021/10/09(土) 22:21:59
筆跡は同じ人間でも年齢によっても変化するから、あまり信憑性がないなと思う+2
-2
-
518. 匿名 2021/10/09(土) 22:26:26
>>449
黒幕じゃなかったとしても
絶対何かを知ってたっぽいな+2
-0
-
519. 匿名 2021/10/09(土) 22:29:45
>>514
ヤバいぞヤバいぞ…+3
-0
-
520. 匿名 2021/10/09(土) 22:55:46
>>516
横
筆跡を変えるのは意識すればできるでしょ。+2
-2
-
521. 匿名 2021/10/09(土) 23:43:15
>>165
僅かな護衛での移動や宿泊なんて統一前の秀吉も関ヶ原以前の家康も普通にやってるよ
毎回数千から万の軍勢を動かすなんてコストがかかり過ぎる+1
-1
-
522. 匿名 2021/10/09(土) 23:47:44
>>492
明智側から毛利側に伝えるための密使が秀吉側に捕まって知られたという話があるので、変成功前に明智側が早めに使者出していた可能性はあるので時間的余裕はもう少しあるかも+2
-0
-
523. 匿名 2021/10/10(日) 02:31:20
>>484
自己レス
認識が間違っていたので訂正。
以下、参照。
【「国全体で分裂した勢力同士による内乱」は「乱」
権力者への反抗の場合は「乱」「変」の両方が使われる。もしも成功したら、体制の変革が起こる可能性があるものは「乱」、支配層内部の権力闘争で、体制の変革につながらない場合は「変」
皇室や将軍が不当な境遇におかれた事件について「変」と名付けられたことがある
ということになります。】+2
-0
-
524. 匿名 2021/10/10(日) 11:41:09
>>483
狸の可能性はあるかな?秀吉はもちろんだけど家康もなかなかのタヌキ親父って言われてるじゃん?+0
-0
-
525. 匿名 2021/10/10(日) 12:35:57
ま、真犯人は秀吉だろうな。+0
-0
-
526. 匿名 2021/10/10(日) 13:11:21
>>405
転勤や出張の多い中間管理職だよね+2
-0
-
527. 匿名 2021/10/10(日) 13:17:07
>>522
するってぇと、
明智と毛利は繋がっていたってわけですかい?(⊙ω⊙)+3
-0
-
528. 匿名 2021/10/10(日) 13:24:02
>>524
横
あるんじゃない?たぬき親父って何?+0
-0
-
529. 匿名 2021/10/10(日) 16:13:22
>>526
戦国時代を現代サラリーマンに置き換えると、
戦は、出張
領地替えは、転勤
支えてる殿様が敵に殺されるは、敵対的買収(その後、会社名はなくなる)
違う殿様に支えるは、転職
とかなのかな?+1
-0
-
530. 匿名 2021/10/10(日) 16:43:43
調べていると…
信長、人が好すぎる。+1
-0
-
531. 匿名 2021/10/10(日) 17:14:51
誰も相手にしなかった足利義昭の願いに対し、たった一人「平和のためなら」と応え、岐阜から京都までやってきた織田信長。
緻密な計画を得意とする忠実な家臣・明智光秀。
当時、本能寺から200~300メートルほどのところに南蛮寺あり。
南蛮人の使いの者としてきた黒人を側近に起用していた。
スパイになるじゃないか。
信長、懐深すぎて、人が好すぎる。+2
-0
-
532. 匿名 2021/10/10(日) 21:05:52
>>507
信長さんの所領って尾張南部だっけ?
海上貿易や肥沃な濃尾平野のおかげで
経済的に繁栄してたらしいよ。
お金持ちだから、鉄砲をたくさん買えた。
柴田の鬼権六さんだよね。
罪を赦してもらって、心を入れ替え
その恩に報いるため全身全霊を尽くす
ような人に対してなら、信長さんの
心意気は通じるかもしれないけど
打算と自己中で生きてる人には
通じないよね。お人好しを利用されて
裏切りを誘発するだけ(´・ω・`)+2
-0
-
533. 匿名 2021/10/10(日) 21:41:48
>>461
たしか、半兵衛さんは尼子残党(山中鹿之介)を支援して毛利を攻めてる時に病死したんじゃ
なかったかな…
信長の急死を知ったとされる高松城攻めのときは
官兵衛さんが秀吉くんと一緒に居たはず。+4
-0
-
534. 匿名 2021/10/10(日) 22:00:37
>>475
うろ覚えだけど
その説をムーの記事で読んだことがあるよ
本当は、信長さんの朝廷や天皇に対する
横柄な態度を諌めようと本能寺に
行ったら、信長さんに抵抗されて、止む無く
戦闘になってしまったとか…
他に、誰かがコメントしてたけど
信忠、信長親子のケンカに巻き込まれた
という説も面白いね
記録に残ってる歴史なんて
改ざんされてることが多いから
いろんな可能性も否定できないよね。
公式、非公式、個人の日記や
新たな古文書が発見されたり
発掘による新発見などで
歴史認識は変わっていくだろうね
+3
-0
-
535. 匿名 2021/10/11(月) 00:10:27
以下は当時カトリック教会の宣教師・ルイスフロイスが書き記した光秀評である。
彼は誰にも増して、絶えず信長に贈与することを怠らず、その親愛の情を得るためには彼を喜ばせることは万時につけて調べているほどであり、彼の嗜好や希望に関しては、いささかもこれに逆らうことがないように心掛け、彼の働きぶりに同情する信長の前や、一部の者がその奉仕に不熱心であるのを目撃して、自らはそうでないと装う必要がある場合などは涙を流し、それは本心からの涙に見えるほどであった。
また友人たちの間にあっては、彼は人を欺くために72の方法を深く体得し、かつ学習したと吹聴していたが、ついにはこのような術策と表面だけの繕いにより、あまり謀略には精通していない信長を完全に瞞着し、惑わしてしまい、信長は彼を丹波、丹後二カ国の国主に取り立て、信長がすでに破壊した比叡山の延暦寺の全収入とともに彼に与えるに至った。
・信長評→あまり調略・謀略に精通していないとの印象だそうですよ!w+2
-0
-
536. 匿名 2021/10/11(月) 00:23:26
さて、本題に入ります。光秀が天正10(1582)年、本能寺の変を起こします。問題となるフロイスの記述は以下のとおりです。
「ところで明智はきわめて注意深く、聡明だったので、もし彼らの中の誰かが先手をうって信長に密告するようなことがあれば、自分の企ては失敗するばかりか、いかなる場合も死を免れないことを承知していた」
そこで夜のうちに全員を武装させ、そのまま亀山を出発します。
「そして都に入る前に兵士たちに対し、彼はいかに立派な軍勢を率いて毛利との戦争に出陣するかを信長に一目見せたいからとて、全軍に火縄銃にセルペ(※)を置いたまま待機しているようにと命じた」(※火器の部品の名前。引き金に挟んで誤射を防ぐものと思われる)
「兵士たちはかような動きが一体何のためであるか訝かり始め、おそらく明智は信長の命に基づき、その義弟である三河の国主(家康)を殺すつもりであろうと考えた」
こうして、光秀はその意図を秘匿することに成功し、約3千(※)の兵士でもって本能寺を包囲下に置いたのです。(※フロイスの記述に準ずる)
要するに、光秀は、密告者が現れることを恐れて、信長を襲う目的は幹部以外には明かさず、行き先を「軍勢を信長に披露するため」と誤魔化したまま本能寺へ向かい、そして目的を果たした。ということです。
そして、これを裏付ける証言がもう一つ残っています。このとき従軍していた丹波の侍が、変の58年後、老人になったとき、自分の参加してきた戦いについて記録を残しました。そのひとつが本能寺の変だったのです。
「本城惣右衛門覚書」(天理大学蔵)には、こうあるそうです。
『明智が謀反をして、信長様に切腹させたとき、本能寺に我らより一番乗りに侵入したというものがいたら、それはみな嘘です。
その理由は、信長様に腹を切らせるとは夢にも知らなかったからです。
その時は、太閤様が、備中に毛利輝元殿を討ちに侵攻していました。その援軍に明智光秀が行こうとしていました。
ところが山崎の方に行くと思いましたのに、そうではなくて京都へ命じられました。我らはその時は家康様が御上洛しておられるので、家康様を討つとばかりに思っていました。(目的地の)本能寺という所も知りませんでした』
どうでしょうか。フロイスが述べた経緯と、以下の点で一致しています。
・光秀は真の目的を隠したまま京都へ向かい本能寺を襲った
・兵士たちは、行き先がわからず、家康を殺害(※)するのかと推測していた
+2
-0
-
537. 匿名 2021/10/11(月) 01:36:02
>>266
外国人(当時の中国にいた人)は日本人の言葉の発音で名称を覚えるのだから、「邪馬台国の卑弥呼」ではなく「大和の国の姫巫女」のような気がする
天照皇大神を指して言ってるのではないと思うけど
そもそも倭の国とか、邪馬台国とか、卑弥呼とか、敵だったり見下してる国の名前をわざと良くない文字を使って呼ぶのは日本でもあるあるだけど、名称にこの漢字当てておいて交流してるとか本当に失礼で腹黒い国だなと思った
当時の日本が倭国なんて漢字で名乗る訳ないじゃん
+2
-0
-
538. 匿名 2021/10/11(月) 10:29:38
>>292
それについては、正確な記録が
見つかっていなくて、何故広まったか
よく解っていないようです。
うろ覚えですが、タイムスクープハンターで
江戸時代初期に、戦国時代のバサラ的な雰囲気を
無くすために、幕府は武士や庶民に
髭を伸ばすのを御触れを出して、禁じたそうです。
その時に、風俗統制の意味で、月代も
強制させたのではないでしょうか。
ただ、月代(さかやき)にすると
兜を被ったときに、蒸れない、
笠や日焼け防止の手ぬぐいを
頭に載せたときにずり落ちない
などの効用があったようです。
また、戦で人をこ○す武士にとって
出家の意味もあったようです。
戦死、寿命で死ぬを問わず、死ぬときに
さつじんの罪で地獄へ落ちないように
直ぐに僧侶となれるように普段から
頭の一部分を剃っておいたという
説もあります。
「江戸時代、庶民、月代」でググって診ると
詳しいことがわかりますよ。
+2
-0
-
539. 匿名 2021/10/11(月) 13:31:49
過去のことや詳細なんてものは当の本人でないとわからないね、やっぱり。
文献や手紙が正しい真実を伝えているかは定かでなく、読む人によって印象も変わるようでは、伝言ゲームのようだ。
伝えている人の立場で、言葉の選択も違う。
「そういうことが起こった」という、ざっくりしたことしか、結局わからない。
+3
-0
-
540. 匿名 2021/10/12(火) 20:34:28
>>19
それは江戸時代の創作です。+0
-0
-
541. 匿名 2021/10/12(火) 20:36:27
>>516
天海は東北出身っていうのが近年の説。天海の両親の墓も東北にある。+0
-0
-
542. 匿名 2021/10/12(火) 20:58:28
天海説はロマンあって子供の頃好きだったけど大人になると歴史調べたりするとうーんって感じ。歴史家から否定されているから…
生存説なら荒深小五郎になった説あるし。+0
-0
- 1
- 2
コメントを投稿する
トピック投稿後31日を過ぎると、コメント投稿ができなくなります。削除すべき不適切なコメントとして通報しますか?
いいえ
通報する