アスリートが「感動を与えたい」という違和感──元フィギュアスケーター・町田樹がいま伝えたいこと

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更新:2024/04/10(水) 22:41

1. 2024/04/06(土) 16:54:34

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アスリートが「感動を与えたい」という違和感──元フィギュアスケーター・町田樹がいま伝えたいこと #ニュースその後(Yahoo!ニュース オリジナル 特集) news.yahoo.co.jp

競技者を引退して今年で10年が経とうとしている。五輪、世界選手権でも活躍した元フィギュアスケーターの町田樹さん(34)。現在、振付家や解説者としてフィギュアと関わり続ける一方、国学院大学准教授の肩書を持つ研究者として第2の人生を歩んでいる。「アスリートが『感動を与えたい』と言うのはおかしい」。独特の世界観とワードセンスで「氷上の哲学者」ともいわれた元人気スケーターが繰り出す言葉は、研究者となった今なお、強めの刺激と深い洞察に満ちていた。


もう一つ、当時から「頑張ります」と並んで町田さんが首をかしげてきたアスリートの言葉があるのだという。違和感を通り越して、嫌悪感さえあるという言葉。それが「観ている人に感動を与えたい」である。

「私が現役だった十数年前くらいから『感動を与えられるように頑張ります』ということを語るアスリート、もしくはスポーツ界関係者や政治家が増えたように感じています。東京五輪の招致活動も関係していたかもしれません」

「アスリートがいなければスポーツ文化は成り立ちません。これは確かですが、その一方でアスリートのほかにも、競技団体で働く人、用具を製造する人、施設整備に関わる人、さらに観戦してくれる人たちがいて、初めて競技が振興できているわけですから、そういう人たちに対して『与える』という上から目線での発言には違和感を抱いていました」

「そして本来、感動するか否かは受け手に委ねられているものです。Aさんは感動しても、Bさんは感動しないことだって普通にあり得ます。それはフィギュアでも同じです。『感動を与える』という表現は、あたかもアスリートがベストなパフォーマンスを発揮すれば、誰もが喜ぶと一方的に『感動』を押しつけている印象を受けます。スポーツは無批判に『良いもの』とされ、皆が感動するだろうと思い込むことの傲慢さみたいなものを、現役時代から感じていました」

加えて、町田さんがもう一つ危惧することがある。それはアスリートに「感動を与えたい」と言わせるような世の中の空気だという。それを如実に感じたのが、スポーツが“不要不急”といわれたコロナ禍だった、と町田さんは語る。

「コロナ禍においては残念ながら、アートやスポーツが『不要不急なもの』としてくくられる中で、アスリートも自らの存在意義、あるいはスポーツの価値といったことを、すごく考えたと思います。そういう空気に触れると、アスリートも競技だけでなく、何かプラスアルファを社会に還元しなければならないのではないかと考えるのは当然かもしれません。自分のパフォーマンスで経済波及効果をもたらさなければいけない、会場や日本を一つにしなければいけないと、責任を感じてしまうのは無理もないでしょう」

「『スポーツの力』や『感動を与える』という言葉には、時として社会をも動かす大きな力が宿ります。しかし、そもそもスポーツは、たとえ経済発展や平和の創造や感動を与えることに貢献しなかったとしても、この人間社会において、古代から脈々と継承されてきた、かけがえのない『文化』なのです。ですから、アスリートとして誇りを持つべきです。アスリートは競技を行うだけで、すでに十分に役割を果たしていると私は思います」

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2. 2024/04/06(土) 16:55:08

はじめまして、さようなら

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3. 2024/04/06(土) 16:55:29

いいこというわ~

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4. 2024/04/06(土) 16:55:30

横顔素敵

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5. 2024/04/06(土) 16:55:36

肌綺麗になったね。

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