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身近な人から聞いた戦争体験

1875コメント2019/09/06(金) 11:28

  • 1. 匿名 2019/08/10(土) 16:10:44 

    主はアラフォーです。

    子供の頃は
    まだ戦争体験された方がお元気で実際の体験を聞く機会がありました。
    終戦記念日近くには、テレビ局は戦争についての特集や映画などま、流していたり
    修学旅行先も広島長崎だったり、戦争や平和について考える機会が沢山あったように思います。


    戦争の記憶が薄れつつある今、
    身近な方から聞いた戦争体験を教えてください
    身近な人から聞いた戦争体験

    +886

    -8

  • 2. 匿名 2019/08/10(土) 16:12:08 

    聞いたことないです。戦争めっちゃ怖いです。

    +55

    -302

  • 3. 匿名 2019/08/10(土) 16:12:31 

    頭にウジ虫わいたって…

    +595

    -19

  • 4. 匿名 2019/08/10(土) 16:12:47 

    8月は戦争・終戦特集みたいな番組多かったけど、
    最近はあまり取り上げられなくなった気がする。

    +2052

    -6

  • 5. 匿名 2019/08/10(土) 16:13:15 

    ひいおじいさんのお兄さんがパイロットだったけど亡くなってる。
    飛行機に乗ってるときでなくて、船で移動してて船ごと沈んじゃったらしい

    +1020

    -8

  • 6. 匿名 2019/08/10(土) 16:13:36 

    90代の祖母が戦時中子どもを生んで
    1ヶ月たたないうちに死去
    でもお乳はでるから
    ストレスや栄養失調でおっぱいでない
    お母さんに代わってお乳をあげてたって
    強い祖母だった

    +2027

    -25

  • 7. 匿名 2019/08/10(土) 16:13:40 

    防空壕に隠れたって聞いたことある
    それ以外は何も。話させるの申し訳ないから聞けなかった

    +940

    -17

  • 8. 匿名 2019/08/10(土) 16:13:59 

    ひいおじいちゃんが軍人で戦争負けた時にかろうじてアメリカ兵に捕まらないくらいの等級だったらしく、そのおかげで今私がいます。

    +1064

    -47

  • 9. 匿名 2019/08/10(土) 16:14:09 

    祖父が子供の時に戦争経験者です。海にはブクブクした死体が上がり臭いがきつかった。とよく言ってました。

    +969

    -12

  • 10. 匿名 2019/08/10(土) 16:14:21 

    熊本に住んでる義母が長崎の原爆が落ちた時のこと覚えてるよ
    遠くの方で大きな煙の塊が見えて、ただ事じゃないと思ったらしい
    トラウマになったみたいで話したがらない

    +1053

    -4

  • 11. 匿名 2019/08/10(土) 16:14:59 

    普段明るい祖母だけど戦争の話だけは「話したくない」と言ってうつむいてしまう。ある意味、言葉で聞くより伝わるものがあると思う。

    +1609

    -8

  • 12. 匿名 2019/08/10(土) 16:15:14 

    ラジオでは日本は勝ってるって言ってるのに
    軍人がフライパンを集めに民間人の家をまわってた
    祖母はその時点で日本は負けるんだなってわかったって言ってた

    +1410

    -14

  • 13. 匿名 2019/08/10(土) 16:15:27 

    戦争に行かなくて良いように、故意に耳に針金を入れて聴力をなくした親戚のおじいさんがいる
    聴覚障害者になってでも人殺しはしたくなかったらしい

    +1735

    -46

  • 14. 匿名 2019/08/10(土) 16:15:30 

    私も中学の修学旅行で広島原爆ドームに行きました!
    大人になった今また行きたいです。
    中学生の時とは見るもの感じることが違う気がするから。

    +1012

    -19

  • 15. 匿名 2019/08/10(土) 16:15:43 

    戦争体験ではないけど、おじいちゃんの兄弟が医者してて終戦で帰国する時に船に一度にたくさん乗りすぎて沈没して亡くなったっていうのは聞いた。
    次の船は普通に帰れたみたい。
    みんな早く帰りたかったんだろうけど、会ったこともないけど悲しかった。

    +1164

    -6

  • 16. 匿名 2019/08/10(土) 16:16:01 

    原爆投下から1年後、焼け野原の広島を見つめるカップル
    身近な人から聞いた戦争体験

    +1126

    -18

  • 17. 匿名 2019/08/10(土) 16:16:07 

    子供の頃、広島から離れたところに住んでいた人から聞いた。
    原爆の爆風で、後ろに転んだって。

    +788

    -2

  • 18. 匿名 2019/08/10(土) 16:16:10 

    戦争の体験ではないですが。

    何もかも兵隊さんが優先だから、手術は無麻酔だったって聞きました。
    私の祖母は耳の手術をしたそうですが、死ぬほど痛く、こんな思いするなら死にたいと思ったそうです。

    +1064

    -10

  • 19. 匿名 2019/08/10(土) 16:16:28 

    小学校でみんなで校舎から避難して逃げたけど
    逃げ遅れた子は居ないか見るために校舎に戻った先生が
    亡くなってしまったと聞いた。


    悲しい話です。

    +1261

    -4

  • 20. 匿名 2019/08/10(土) 16:16:29 

    他界した祖父
    軍隊のかなり偉い方の運転手だったそうなのですが
    祖父の運転する車の後ろを走っていた自動車が爆撃されたと聞きました。

    本当に生死は紙一重だったのだろうと思います。

    +1004

    -5

  • 21. 匿名 2019/08/10(土) 16:16:40 

    今年で87になる祖母が、
    日本が負けたと聞いた時悲しいとは思わなかった。ただ、やっと夜灯りをつけてご飯が食べられる、と思ったって言ってた。
    皆んなが皆んな日本万歳じゃなくて、いつの間にか戦争が始まって巻き込まれてしまった人の方が圧倒的に多いんだろうなと思った。

    +1723

    -12

  • 22. 匿名 2019/08/10(土) 16:16:53 

    曾祖父が戦争行ってたらしいので父から聞いた話だけど、出兵したけど実戦の前に終戦になったって。

    +561

    -10

  • 23. 匿名 2019/08/10(土) 16:17:04 

    横井昭一さんの戦争話しを聞いて悲しくなりました

    +491

    -11

  • 24. 匿名 2019/08/10(土) 16:17:05 

    もう亡くなったけどお爺ちゃんの話。
    船を3隻連なって日本海を渡ってたんだって。中国あたりに向かってたのかな?
    んで、1隻目に米軍の弾が着弾して目の前で船ごと大破。次は2隻目にいる自分たちの番かと覚悟したけど、次に着弾したのは後ろの3隻目。その隙を縫って海に飛び込み台湾まで泳いだって言ってた。子どもの頃に聞いたからふんわりしか覚えてないけどそんなこと言ってた。

    +888

    -6

  • 25. 匿名 2019/08/10(土) 16:17:19 

    祖父の父が原爆でやられた。
    父の脳みそが白く焼かれてホロホロ崩れたって。
    その場から逃げたって。

    +951

    -7

  • 26. 匿名 2019/08/10(土) 16:17:24 

    祖母は死にに行くのにどうしてバンザイして送り出さなくちゃいけないんだって泣いたらしい

    +1318

    -8

  • 28. 匿名 2019/08/10(土) 16:18:04 

    祖母(当時は子供)のお姉さんが
    戦争中に死んだって話を聞いた。食べ物の好き嫌いで…とか言ってたと思うけど、今思えば栄養失調じゃないかな…

    +801

    -4

  • 29. 匿名 2019/08/10(土) 16:18:24 

    >>6
    泣けるね…。

    +633

    -7

  • 30. 匿名 2019/08/10(土) 16:18:26 

    >>4
    私もそう感じます。
    夏休みは戦争をテーマにしたアニメとかいっぱい放送されてたのに…。
    ドキュメンタリー番組もあったのに…。
    今の時代だからこそ、もっと放送して戦争について考えたりしなきゃいけないと思います。

    +1477

    -1

  • 31. 匿名 2019/08/10(土) 16:18:48 

    戦艦ヤマト乗ってた。もう、亡くなったけど。
    話し聞きたかったけど、何も話さなかった。ただ、自殺?死にたい奴は勝手に死ねばいい。自分から死ぬなんてバカだって言ってたなぁ。

    +851

    -25

  • 32. 匿名 2019/08/10(土) 16:18:57 

    黄疸で赤ちゃんがたくさん亡くなった
    暗いところに皆いるから
    赤ちゃんの肌の色にきづかないそうです
    今黄疸で死ぬなんてありえないよね

    +1215

    -20

  • 33. 匿名 2019/08/10(土) 16:19:16 

    曽祖父の家に遊びに行くと
    お腹にある鉄砲の弾がかすった跡をよく見せてくれた
    少しでもずれてたら死んでたって

    +766

    -9

  • 34. 匿名 2019/08/10(土) 16:19:25 

    おばあちゃんのお兄さんが戦死した。
    骨は帰ってこなくて、おばあちゃんのお母さんは空の箱を抱いて毎晩毎晩泣いていたって。
    あと、食べ物もあまりなくて蟹や貝を取って焼いて食べたらしい。その時に食べすぎて今は魚介類が嫌いで食べない。

    +998

    -9

  • 35. 匿名 2019/08/10(土) 16:19:30 

    憲兵は嫌なやつだったと聞いた

    +393

    -12

  • 36. 匿名 2019/08/10(土) 16:19:30 

    両家の祖父が海軍と陸軍の士官で満州まで行きました。その時の話は家族にもしたがらなかったそうです。

    +440

    -7

  • 37. 匿名 2019/08/10(土) 16:19:39 

    >>1
    主はどんな話聞いたの?

    +26

    -44

  • 38. 匿名 2019/08/10(土) 16:19:55 

    祖父がインパール作戦に行ったとのこと。
    子供の頃は「ふーん」としか聞かなかったけど、後に自分で何気なく調べたら、ほとんどの日本兵が戦死した事を知って驚いた。
    祖父はもう亡くなってしまったけど、もう少し話を聞いてみたかったな。

    +1015

    -6

  • 39. 匿名 2019/08/10(土) 16:20:21 

    沖縄だったか、防空壕に避難した時に小さな赤ちゃんが泣いてしまって母親が必死に口をふさいだ結果死んでしまった赤ちゃんの話を聞いたことがあります。

    +970

    -10

  • 40. 匿名 2019/08/10(土) 16:20:30 

    アラフィフです
    祖父が戦争に行きました(既に他界)
    連れていた馬が本当に賢くて、、
    置いて日本に帰るとき
    泣けて泣けて仕方がなかった
    と言っていました
    祖母(こちらも既に他界)は帰ってきた祖父を、子供二人と迎えに行き
    祖父の姿を見つけた時は
    ただただ涙があふれて言葉など出なかったと言っていました

    +843

    -5

  • 41. 匿名 2019/08/10(土) 16:20:44 

    軍人として満州にいた
    大怪我して終戦1週間前に帰国
    あと1日帰ってくるのが遅かったら
    シベリア行きだった…

    +636

    -6

  • 42. 匿名 2019/08/10(土) 16:20:45 

    聞いた体験談。
    夜間、空を飛ぶB29に向け、サーチライトが2、3本交差した。
    不謹慎だと思ったが、綺麗なものだった。

    +361

    -8

  • 43. 匿名 2019/08/10(土) 16:20:52 

    >>25
    目の前で家族を亡くす辛さがどれだけの
    苦しみ悲しみ絶望なんだろう…

    +806

    -7

  • 44. 匿名 2019/08/10(土) 16:20:58 

    増税だ低賃金だ保育園落ちたと騒げる私たちは幸せなんだよね。

    +1578

    -62

  • 45. 匿名 2019/08/10(土) 16:21:49 

    ガスバーナーで防空壕の中の人を焼き殺してたんだって。

    +626

    -23

  • 46. 匿名 2019/08/10(土) 16:21:51 

    兄弟間で再婚する人多かったみたい。
    例えば、兄が戦死したら未亡人になった兄嫁は、その弟と再婚とか。お母さんが亡くなったら、乳飲み子は近所のお乳出る人にもらい乳して育ったとか。
    亡くなった祖父は戦争に行ったけど、体験談は聞いた事なかった。話すのも嫌な記憶だったのかも。

    +665

    -7

  • 47. 匿名 2019/08/10(土) 16:21:59 

    うちのじいちゃんが中国人から帰ってきたとき、離れすぎて顔がわからなくて、うちの母怖くて号泣だったそうな。

    +509

    -27

  • 48. 匿名 2019/08/10(土) 16:22:32 

    空襲にあって空から爆弾がたくさん降る中親子で逃げ惑ってたら目の前にいた人に爆弾が落ちてきて頭がザクロのように…
    って話を小学生の時に近所のおばあさんに聞いてトラウマになった

    +735

    -7

  • 49. 匿名 2019/08/10(土) 16:22:32 

    空襲で皆が逃げる中、怖がりで動けなくて公衆トイレに隠れてた祖母は生き残って、外に逃げ出す勇気のあった人は死んでしまったと聞いた。
    怖がる方が生存本能としては正しいのかなぁとか色々考えちゃった

    +798

    -10

  • 50. 匿名 2019/08/10(土) 16:22:35 

    祖母は五人兄弟だったけど2人死んだそうです。
    長男が戦争で死に、一番下の子は栄養失調で死んだそうです。

    +444

    -4

  • 51. 匿名 2019/08/10(土) 16:23:09 

    >>12フライパン=鉄だね
    武器作る材料ないんだと
    勘のいい人なら気づくよね

    +784

    -23

  • 52. 匿名 2019/08/10(土) 16:23:29 

    家の裏の畑に、等間隔で、爆発しなかった爆弾が埋まっていた。
    柔らかい土がよかった。
    数mズレていれば家を直撃していたらしい。

    +318

    -8

  • 53. 匿名 2019/08/10(土) 16:23:30 

    いもばっかり食べてたからいもが嫌いと言ってた🍠

    +681

    -6

  • 54. 匿名 2019/08/10(土) 16:23:54 

    日本は遅れてたからね…
    日本が大戦艦を作り上げた頃には、アメリカはとうに空母と戦闘機で空からが一番効率的で効果的だと知っていた。
    日本の「根性さえあれば…」というのがよくなかったと曽祖父が語ってました。

    +664

    -6

  • 55. 匿名 2019/08/10(土) 16:24:13 

    父方の祖母から放出空襲で亡くなった妹の話は聞いた
    祖父は大陸に行ったらしいがそれに対して話したがらない
    終戦すぐに引き揚げ船で帰って来た
    母方の祖父は母が結婚前に他界して会ってない
    祖母から聞く話は第二次世界大戦ではなく日露戦争
    私のひい祖父さんは日露戦争に出兵して旅順の戦いで亡くなってる
    村の墓地の中で一番大きく階級は伍長(もしかしたら戦死で二階級特進?)
    それを自慢された
    本家に天皇陛下からいただいた菊の御紋の刀があるとか

    +287

    -5

  • 56. 匿名 2019/08/10(土) 16:24:31 

    一緒に住んでた祖父母が、再婚と知ってびっくりした。
    祖母が戦争未亡人だったらしくて、父は再婚後の子供らしいけど。墓参りに行くと最初の旦那さんの墓もある。

    +511

    -4

  • 57. 匿名 2019/08/10(土) 16:24:57 

    曽祖父が硫黄島で亡くなった…
    どれだけの苦しみを体験したのか、
    会ったこともないけど
    泣けてきます、、

    残された曾祖母は子ども9人を育てました。
    もう亡くなったけど強くて優しい曾祖母ちゃんでした。

    +736

    -6

  • 58. 匿名 2019/08/10(土) 16:26:09 

    同居してた祖父がいつも話をしてくれた。
    けど、毎回毎回同じ話で「またかよ」と思いほとんど聞いてなかった。
    祖父が亡くなり、私自身結婚して子供が産まれ、学校で平和学習で戦時中の事を聞いてくるけど、聞いてなかったせいでほとんど覚えてなく子供に話せない。
    しっかり聞いておけば良かったと本当に後悔してます。

    +837

    -13

  • 59. 匿名 2019/08/10(土) 16:26:09 

    中国🇨🇳と韓国🇰🇷と北朝鮮🇰🇵が調子に乗ってるから憲法改正してやっつけちゃえ、的な世論に傾いてるのが怖いです
    お花畑と呼ばれてもいい 馬鹿と呼ばれてもいい
    戦争は絶対やっちゃいけない

    +684

    -368

  • 60. 匿名 2019/08/10(土) 16:26:11 

    戦前生まれの父が子供の頃、外に遊びに行ってて
    帰ろうと思って一人でてくてく歩いていたら
    空襲警報が鳴る前に敵機が一機飛んできて
    父を目がけてミサイルを一発撃ってきたそうです
    幸い目の前が桑畑で飛び込んで一命を取り留めたそうです

    東北の田舎で陸上自衛隊と軍事工場があったため
    しょっちゅう爆撃に来たようですし
    駅が軍事工場と間違えられ1トン爆弾を撃ち込まれ壊滅したそうです

    +410

    -2

  • 61. 匿名 2019/08/10(土) 16:26:27 

    最近、父から俺の親父は戦争に行ったって聞きました。私から見た祖父。祖父に会えたということは戦争から助かって帰ってこれたっていうことなんですよね。。

    +421

    -6

  • 62. 匿名 2019/08/10(土) 16:26:43 

    >>53
    とうもろこしも嫌いだったな

    +168

    -2

  • 63. 匿名 2019/08/10(土) 16:26:46 

    祖父のいた部隊は米軍に踏み込まれたさい韓国人の慰安婦の方々を置き去りにして逃げたそうです。
    韓国の元慰安婦の方々の現代まで続く怒りは当たり前だなと痛感しました。

    +26

    -416

  • 64. 匿名 2019/08/10(土) 16:27:12 

    介護士だけど皆さんあんまり話したがらないなぁ。認知症でも、いまだに戦争の話題だけは号泣するおじいちゃんとかいる。シベリア行った人は、寒さが印象に残ってるみたいで、寒いと言うより痛かったなぁって、しみじみ言ってた。

    +846

    -2

  • 65. 匿名 2019/08/10(土) 16:27:16 

    今も旅行を一人でしたり元気な96歳の祖父は
    長崎に遺体を片付けたりする仕事に行ってたみたい。
    私が子供の頃に戦争の話を聞こうとしても、話したがらなく聞けなかったのに、最近突然話し始めた。
    それだけ地獄絵図過ぎて思い出したくなかったんだよね。
    仕事をして戻ってきても夢でうなされてたみたい。

    +695

    -5

  • 66. 匿名 2019/08/10(土) 16:27:25 

    祖父が満州がいたとき、寒すぎておしっこ凍りそうだったと言っていた。
    警察官だったので、そこそこ過酷な環境にいたと思いますが、それでも戦争はつらかったそうです。

    +419

    -10

  • 67. 匿名 2019/08/10(土) 16:27:36 

    祖母の子供の頃の数え唄

    1列連覇破裂して~
    日露戦争あいにゆく
    さっさと逃げるはロシアの兵~
    死ぬまで尽くす日本兵
    ……

    私が子供の頃のボール遊びしていたら、お婆ちゃんが「私にも貸して」っていって、ボールをつきながら歌っていた。
    こんな政治的な唄が幼い子供の日常にあったなんて…。

    +556

    -6

  • 68. 匿名 2019/08/10(土) 16:28:04 

    神戸に住んでいて岡山に疎開していた祖父。
    祖父の年の離れた長姉は大阪に嫁いでいて、大阪の空襲で防空壕の中で亡くなったそうです。

    祖父は、それ以外のことは思い出すのも嫌だと頑なに話をしてくれませんでした。
    いろんな話しをしてくれた話し上手の祖父が戦争については話さなかった。
    「いや、下の世代に伝えなきゃ!」という意見もあるかもしれないけど、私は祖父の「頑なな拒否」から辛さを悟りました。

    +576

    -6

  • 69. 匿名 2019/08/10(土) 16:28:23 

    旦那の祖父が第一期空軍隊として戦地に行って約100人中祖父ともう1人の2人だけ生き残って帰ってきた。

    そりゃもう生きて帰ってきたから家に生ゴミ投げられるわ道歩いてると非国民。と罵声を浴びせられたらしい。

    +701

    -10

  • 70. 匿名 2019/08/10(土) 16:28:25 

    聞いたわけじゃないけど
    40年くらい前の子供の時、
    近所にまだチラホラ防空壕跡が残ってたんだけど
    中は、ジメジメと暗くてゲジゲジとかムカデ蜘蛛なんかいて
    子供なら悲鳴あげて怖がる場所で
    子供心にそこはとても怖い場所だったけど
    大人になって戦争体験を聞くうちに
    そんな場所に逃げ込み、願うように一晩過ごす程の
    場面て想像するだけで
    いろんな気持ちが込み上げてくる

    +675

    -3

  • 71. 匿名 2019/08/10(土) 16:28:46 

    >>1
    満州からの引き上げ者の壮絶な体験談
    「流れる星は生きている」藤原てい

    主さん、良かったら読んでみてください。
    1976年ベストセラー。これはすごい本です。

    +324

    -6

  • 72. 匿名 2019/08/10(土) 16:28:48 

    祖父から満州で捕虜になったこと、母からは東京大空襲や焼夷弾、長野県に疎開した話を聞きました。
    玄米なんて見たくもないってよく言ってた。

    +276

    -6

  • 73. 匿名 2019/08/10(土) 16:28:58 

    なんかここ読んでるだけで泣けるね。
    もう絶対に繰り返しちゃダメだ…

    +733

    -2

  • 74. 匿名 2019/08/10(土) 16:28:59 

    お墓参りに行くと、
    墓誌の中に
    享年二十一歳
    享年二十四歳
    享年ニ歳
    と記されているものがあります。

    亡くなった人達を知るのはひいばぁちゃんだけです。 
    余り話したがりませんが兄や弟、姪っ子に当たるそうです。
    「戦争に(命を)取られた」とポツリと一言こぼしたことがあります。
    会ったこともないけれど 私より若い…せつないです。

    +659

    -3

  • 75. 匿名 2019/08/10(土) 16:29:45 

    義父の兄がパラオで戦死しました。防空壕で潜んでいたけど同僚が帰って来ないので様子を見に行った時に銃殺されたとのことでした。終戦2日前のことでした。義祖母はあちこちで復員を聞いたので息子は今に帰ってくると信じていたそうですが、枕元に現れ「喉が渇いた。水をくれ!」と鉢に頭から突っ込んで飲んでたそうです。抱きしめようとしたらスゥーと消えてしまった。
    義母は義祖母から仏様の水はなみなみと鉢に注いでほしいと言われて私も今もそうしてます。

    +783

    -4

  • 76. 匿名 2019/08/10(土) 16:31:17 

    原爆犠牲になると皮が浴衣みたいに伸びて誰かわからなくなるくらい残酷なのに自粛ばかりで平和ボケしてく日本はちょっと怖い。

    +718

    -7

  • 77. 匿名 2019/08/10(土) 16:31:21 

    あの時代って弱い国のアジアのほとんどが植民地にされていて、日本もターゲットにされていたから政治が難しかったと思う。
    植民地にされるか戦うかで戦うを選んだんだよね。
    結果敗けて全ての責任を押し付けられた訳だけど。

    +692

    -9

  • 78. 匿名 2019/08/10(土) 16:31:44 

    戦場で戦って死ぬのがお国のため!とか絶対に間違ってる…つらくて苦しくなる…

    +503

    -13

  • 79. 匿名 2019/08/10(土) 16:31:47 

    祖父は、打ち上げ花火を嫌っていた。
    頭では綺麗なものだと分かってても、あの音がどうしても怖い、思い出すと言ってた。

    +691

    -4

  • 80. 匿名 2019/08/10(土) 16:32:12 

    うちの90の祖父から聞いた話です。長崎に住んでいたの漁港に住んでいたので食事はイカばっかり。農作物は芋の根っこばっかり食べてたと言ってました。

    竹槍で飛行機を落とす訓練を小さい頃からやらされていて、子供ながらに「こんなもんで飛行機落とせる訳ないやろ…!」と、思っていたそうです。

    友達と喧嘩する時は下駄の裏でどついたと言ってました。

    父親が病弱で、祖父が小学生の頃に他界。母親と弟と祖父の3人家族だったために、小学生から働かされたそう。弟も病気になってしまったけど、貧しくて治療できずに、成人する前に亡くなったそうです。

    祖母の兄弟は7人くらいいたのですが、4人のお兄ちゃんは戦争にとられて亡くなってしまったそう。

    戦争で命を落とされた方、命を取り留めた方、それぞれいるけれど、それぞれ辛い思いをしながら生きてきたんだな。胸が苦しいです。

    +446

    -2

  • 81. 匿名 2019/08/10(土) 16:32:18 

    祖父が戦地に行った人で、私が子どもの時に話してくれました。船の上で敵と銃撃戦になり?敵の弾が祖父の太ももを貫通したそうです。
    話を聞かせてくれた頃、既に戦後50年経っていた頃ですが祖父の太ももには治りきらない傷跡が残っていました。
    ビルマの戦いにも行ったそうで、本当に食料がなく餓死する仲間も多かったそうです。祖父は象を食べたそうですがとてもかたくてまずい肉だったと、でも生きるために食べたそうです。
    祖父は90歳まで生き最後まで強い人でした。亡くなった後で家族が困らないようにと様々な書類や手続きが祖父自身の手でしっかり整理、されていました。いつも気丈な祖父でしたが1番最期に残した言葉は「さみしい…」でした。

    +800

    -5

  • 82. 匿名 2019/08/10(土) 16:32:33 

    祖母は14歳の時に気球爆弾を作っていたらしい
    そんなんで勝てるわけでもないのに
    その時は必死だったって。
    よく「私の青春を返して欲しい」って言っていた

    +549

    -6

  • 83. 匿名 2019/08/10(土) 16:33:25 

    「大家さんと僕」の大家さんが話してる戦争の内容だけでも悲しくなるよ。

    +326

    -1

  • 84. 匿名 2019/08/10(土) 16:33:31 

    優しい祖父だったのになんの気なしに戦争の事聞いたら
    餓鬼がそんな事聞くんじゃねぇ!みたいに怒られた記憶がある
    私が話されて理解出来る年にはもう亡くなってしまった

    +538

    -10

  • 85. 匿名 2019/08/10(土) 16:34:09 

    通信兵で戦場から一歩離れた満州でいた祖父
    捕虜の中国人から慕われていたそうで、帰国のときには中国人にここに残って欲しい、帰らないで欲しいと懇願されたことだけはよく話してくれた
    それ以外は戦争はダメだと悲しんで何も話さなかった

    もう亡くなったけど、捕虜の人たちとどんなことをしていたのか何を話していたのか聞けば良かった

    +408

    -5

  • 86. 匿名 2019/08/10(土) 16:34:45 

    >>59
    やっつけちゃえ的な世論があるんですか?
    それは侵攻するって意味?
    もしそういう世論なら、とても恐ろしい考えですね……。

    なめられないよう防備を固めよう、という世論は知っています。

    +518

    -11

  • 87. 匿名 2019/08/10(土) 16:35:01 

    >>67
    この歌小さい頃に祖母からの聞いたことある!!

    +166

    -4

  • 88. 匿名 2019/08/10(土) 16:36:30 

    >>46
    弟直しって言うんだよ。家の近所にもいるよ。

    +199

    -8

  • 90. 匿名 2019/08/10(土) 16:37:18 

    山の中に籠ってたから終戦後も世間から取り残されたような暮らしをしてたって母が言ってた。芋ばっかり食べてたからジャガイモはもう食べたくないって。鶏とかウサギを飼っててお腹が空いたらお兄さんに捌いてもらうとか。

    +330

    -4

  • 91. 匿名 2019/08/10(土) 16:37:25 

    特攻隊
    彼らは喜んで命を捧げたわけでないのを知って欲しいです。
    生きていたかった 死にたくない イヤだ
    でも決して決して言えなかった。

    知覧 特攻隊 でヒットすると思います。

    +534

    -8

  • 92. 匿名 2019/08/10(土) 16:38:20 

    >>27
    クソチョン。
    還れ。

    +165

    -28

  • 93. 匿名 2019/08/10(土) 16:39:07 

    祖父が韓国との間の島で通信兵してたらしい
    40年ほど前に祖母から聞いた
    だから幾つかの韓国側が言ってる話は嘘だと知ってる

    +460

    -12

  • 94. 匿名 2019/08/10(土) 16:39:12 

    >>4
    民放でやることが減りましたね、NHKは結構多いなと思います。

    +461

    -6

  • 95. 匿名 2019/08/10(土) 16:39:21 

    >>12
    お寺の鐘もあちこちから回収されたみたいだよね。

    +502

    -10

  • 96. 匿名 2019/08/10(土) 16:39:30 

    もう亡くなった田舎のおじいちゃん、胸に戦争の傷があった。
    わたしは子供だったので、へえ~で終わったけど、
    色々と聞いておけばよかったな。

    +326

    -4

  • 97. 匿名 2019/08/10(土) 16:39:34 

    戦争に行った祖母の兄。
    ある日、曽祖母(祖母の母)が台所にいると、玄関から息子(祖母の兄)の「ただいま」という声と玄関の開く音が聞こえたそう。
    曽祖母は、息子が帰ってきたと喜んで玄関に向かうとそこには誰もいなかった。
    後日、息子が海の向こうで亡くなったという知らせが届いたそうです。
    曽祖母は、亡くなった息子の魂が帰ってきたんだとずっと信じていたそうです。
    知らない土地で戦死して、遺骨すら返ってこないなんて…当時の曽祖母の気持ちを思うと涙が止まらない。

    +725

    -3

  • 98. 匿名 2019/08/10(土) 16:39:49 

    私はアラフィフなので、両親は幼い時に戦争を経験してる。
    母の住んでた市は結構大きな軍需工場があったから、米軍に空襲された。
    そこで働いていた女学生たちもたくさん亡くなっている。

    母の実家は爆撃でやられ全焼。
    母の叔父は20代で戦艦に乗っていて沈められ遺骨も帰ってこなかった。
    宗派にもよるんだろうけど、戦死した人って同じお墓に入れないんだよね。
    一基ポツンとあるお墓を見ると、寂しげで辛くなる。

    +433

    -6

  • 99. 匿名 2019/08/10(土) 16:39:57 

    亡くなったひいおばあちゃんに聞いてみればよかったなって、今は思う。聞いていいのか、思い出したくないことなのかとか考えてしまって、聞いたことない。自分からも話さなかったし。 

    ファミリーヒストリー見て、自分のファミリーヒストリーってどんなだろうって思って、戦争だけじゃなく色々聞いておけばよかったなと思う。核家族育ちだし全然知らないんだよね。

    おじいちゃんはさつまいもが嫌いらしい。戦時中か戦後か忘れたけど、さつまいもばかり食べてたから。

    +270

    -2

  • 100. 匿名 2019/08/10(土) 16:40:10 

    >>89
    なんかムカつく
    ここきてはじめてマイナス押した

    +172

    -7

  • 101. 匿名 2019/08/10(土) 16:41:09 

    さつまいもとか
    今のように甘くておいしくはなかったそうです・・・・

    +365

    -3

  • 102. 匿名 2019/08/10(土) 16:41:51 

    お坊さんで地方の田舎小さなのお寺だけどお寺の鐘を持って行かれることが決定しそうなタイミングで終戦になった為、今でも鐘が残ってる
    お坊さんだけどちゃんと召集されて戦地には行ってた

    +226

    -6

  • 103. 匿名 2019/08/10(土) 16:42:51 

    >>71
    中学生の頃文化祭で講演してくれました。泣けてしまった。

    +131

    -7

  • 104. 匿名 2019/08/10(土) 16:42:57 

    うちの祖母(当時は6歳くらい)は山奥の農家育ちで、ものが減ること以外は普通の生活だったみたい。
    ただ、戦時中に一度だけ祖母の地域でも空襲警報が鳴って、カーテンを閉めて電気を消して家族で身を寄せ合って夜を過ごしたそうです。
    爆撃にあったわけでもないし、祖母の身内が亡くなったわけでもないけど「あの夜のことを思い出すこと怖くて涙が出る」と言っていました。
    都会だけじゃなく田舎の人でもそれくらいの張り詰めた精神状態だったのか…と思った記憶があります。

    +383

    -7

  • 105. 匿名 2019/08/10(土) 16:43:14 

    戦後数年間シベリア抑留されていたので
    身内からは死んだと思われてたそうです

    +280

    -2

  • 106. 匿名 2019/08/10(土) 16:43:23 

    >>100
    うん。同じ。

    +85

    -6

  • 107. 匿名 2019/08/10(土) 16:44:00 

    >>63
    日本兵は米兵に撃たれるけど、
    おそらく、日本人ではない慰安婦の方々は米兵に保護されるのでは?

    +290

    -8

  • 108. 匿名 2019/08/10(土) 16:44:27 

    >>91
    ごめんなさい、ちょっと違うよ。
    あの頃はみんな進んで「お国のため」と命を差し出した。
    そういう教育をされてたからね。
    もちろん心の中では嫌だと思ってた人もいただろうけど。

    +15

    -206

  • 109. 匿名 2019/08/10(土) 16:44:52 

    >>63あんまり適当なこと書かないでくれるかな。
    もう情報操作しようと思ってもできない時代だよ。

    +480

    -12

  • 110. 匿名 2019/08/10(土) 16:45:29 

    >>108
    その「心の中では」の部分を言ってるんじゃないかなと思うんだけど…

    +284

    -2

  • 111. 匿名 2019/08/10(土) 16:45:34 

    今、平和な時代に生きてるからこそ戦争を経験した高齢者は大切にしなきゃいけないと思う

    +300

    -2

  • 112. 匿名 2019/08/10(土) 16:45:44 

    >>89
    アメリカ側の見解は別にいいけど、そんな書き方の釣りコメしてたら早死にするよ

    +183

    -4

  • 113. 匿名 2019/08/10(土) 16:46:10 

    >>89
    無視無視スルー。
    なかったコメントにする方がよい。
    マイナス増えると喜ぶ。

    +149

    -6

  • 114. 匿名 2019/08/10(土) 16:46:37 

    義父が志願して海軍に居ました。私の子供たちが「おじいちゃんは今まで1番嬉しかったのはどんな事?」と聞いた時、「アメリカの飛行機を落とした時」と言っていて何とも複雑な気持ちになりました。
    小渕総理からの先の大戦での活躍を称えた賞状も誇らしげに飾ってあります。

    私の父はもっと下の世代だったので終戦時は10才でしたが、それまで中学は受験して入らないといけなかったから頑張ったのに急に義務教育になり、教科書は墨で塗りつぶされてて勉強が馬鹿らしくなったと言っていました。
    戦時中はまだ食べるものもあったけど、本当に食べ物がなくなったのは戦後らしいです。
    父は自分がどのように生きてきたかをきちんと伝えて置くべきと思っていて、私も兄も戦時中の空襲の話や戦後のGHQの話など幼い頃から聞いていました。

    +327

    -6

  • 115. 匿名 2019/08/10(土) 16:47:06 

    >>2


    うちの父も 戦争生き残り兵士の一人でしたが、体験談を聞いたことがありません。

    もともと 無口のほうでしたが、過酷な戦争体験をした人ほど あまり話たがらないのではないでしょうか。

    その父も 帰らぬ人となって、既に二十年以上 経ちます。

    +267

    -6

  • 116. 匿名 2019/08/10(土) 16:47:21 

    >>63
    従軍慰安婦問題は間違いだったと朝日新聞が謝罪記事を入れたのに、何言ってんの?

    +330

    -14

  • 117. 匿名 2019/08/10(土) 16:47:41 

    大叔母が打ち上げ花火を嫌っていることが小さい頃から不思議で。ある日、ボソッと「空襲で落ちてきた爆弾の音にそっくりだから」というのを聞きました。

    祖父は楽器隊だったとだけ聞きました。戦争から帰ってきて性格が別人のように変わってしまい、何も話したがらない人になってしまったそうです。

    +331

    -0

  • 118. 匿名 2019/08/10(土) 16:47:47 

    私の曾祖父は死ぬまで天皇家を怨んでいたそうです。
    どうかもう戦争なんておこりませんように…。

    +55

    -61

  • 119. 匿名 2019/08/10(土) 16:47:53 

    93歳の祖父は戦争には行ってないんだけど開戦当時まだ若かった祖父ですらアメリカに万が一にも勝てるわけがないと思っていたらしいです
    もちろん当時はそんな事口にはできなかったそうですが

    +296

    -2

  • 120. 匿名 2019/08/10(土) 16:47:59 

    >>1
    主です。
    沢山のお話が聞けて嬉しいです。

    主の祖父は南方に行ったということだけ聞いています。体験談は詳しくは教えてくれず、戦争で使ったという飯ごうとお箸入れをくれました。
    もっと亡くなる前に色々聞いておきたかったけどもしかしたら話せない辛い体験をしていたのかもしれないとも思います。

    祖母は北九州で空襲の激しい地区でした。祖母の家にはまだ防空壕があります。食べるものがとにかくなくて、浜辺に打ち上げられて植物のつるを拾って食べていたという話を聞きました。

    引き続き、よろしくお願いします。

    +291

    -5

  • 121. 匿名 2019/08/10(土) 16:48:13 

    祖父が特攻隊員として行くところを終戦となり行かずに済んだと話してくれました。

    祖父は音楽の教員でピアノが弾け、指揮ができたため毎朝国歌なり軍歌なりを指揮する担当として名乗りをあげたそうです。その時は「死にたくない。指揮をすれば順番は後ろになるはずだ。」という思惑があったと。ただ、目の前で戦友たちが特攻していき亡くなるのを見るのも耐え難かったと。

    +439

    -3

  • 122. 匿名 2019/08/10(土) 16:48:44 

    一面視界に入るすべてが焼け野原で川にもに行けば焼け野原から逃げた人たちの何千という遺体が山積みになってたそう
    だから某花火大会はうちの家族は行く気がしない

    +290

    -4

  • 123. 匿名 2019/08/10(土) 16:48:44 

    ひぃおじぃちゃんが戦争に行きました。
    不謹慎に思う方もいるかもしれませんが、ひぃおじぃちゃんから直接聞いた話は
    「俺は穴を掘って掘って掘りまくって、マンホールみたいな鉄で蓋をしてそこに身をかくして戦争が終わるのをまっていた」と言っていました。
    鉄の蓋に爆弾?が落とされるとすごい音で気絶し、しばらくしたら目が覚める、、この繰り返しだったと。だから今日まで生きられて、こうして私にも会うことができた。と話していました。

    私はそのとき小学生でちょうど社会で戦争の勉強をしていたりした時期だったので、戦争は嫌でもバンザイって行かなきゃいけないから、隠れて何もしなかったひぃおじぃちゃんの今の言葉がバレたら、非国民とか罵られるのかもしれない、って不安になったのを覚えています。

    +450

    -8

  • 124. 匿名 2019/08/10(土) 16:49:04 

    祖父がお腹と腕を打たれたと跡を見せてくれた。隣にいた人は頭を打たれて亡くなったと。
    中学の課題で戦争体験を聞こう!というのがあって聞いたけど、祖父母とも「先生もむずかしいこと聞くなぁ……」と言ってた。思い出したくなかったんだろうな。

    +449

    -4

  • 125. 匿名 2019/08/10(土) 16:50:43 

    75です。亡くなったと確実なものになったのは本家のおじさんが紋付はかまで小さな箱を持って来た。箱の中には義伯父の髪、爪、石が入っていたそうです。戦地に行くと骨を拾ってくれる人が居なくなるので、日本を発つ時、白箱に髪などを入れて行ったそうです。

    +242

    -4

  • 126. 匿名 2019/08/10(土) 16:50:52 

    うちの祖父は年下の親戚の人と同じ隊で海外に行っていて、その人が上官に殴られたりしたら必死に庇っていたらしい。結局、その人は亡くなってしまい、終戦で帰宅後歩いてその人の実家に報告へ。(多分徒歩半日以上)
    でも、どうしても玄関を叩くことができなかったらしい。
    この話は祖父が亡くなった後、これまた同じ隊にいた近所のおじいさんから聞いた。
    祖父はとても穏やかな人で一切戦争の話はしなかった。それなのに亡くなる間際意識が朦朧とする中で戦争について何か言ってた。
    ずっと昇華できなかったんだろうと思う。
    やりきれない。

    +400

    -2

  • 127. 匿名 2019/08/10(土) 16:50:52 

    >>103
    71です。
    藤原ていさん、ご本人が講演したのですか?
    それはすごい。

    体験者の口から語られる話は、心をうちますよね。

    「旅路」では、「流れる星~」では語られてなかった
    女性として嫌な目にあった部分にも触れられていました。

    +153

    -9

  • 128. 匿名 2019/08/10(土) 16:50:54 

    身近ではないけど、、、上官から銃剣で殺せと命令されたのが赤ちゃん仕方なく意を決して思い切り刺したら赤ちゃんは、当たり前だが泣く、それから逃げ出したくて、銃剣を振り回すけど赤ちゃんは軽いから抜けない、少しづつ泣き声は小さくなり赤ちゃんは死んで、その後戦争は終わり日本に帰って来た男の人は結婚し、たが夜たまに布団の中で泣く奥さんが心配して「どうしたの?」と聞くと旦那は「腹が痛い、、」と言うが病院には絶対行かない年を取り亡くなったあと日誌が見つかりこの赤ちゃんの事が書いてあった、優しいおじいちゃんにこんな辛い過去があり何十年も苦しい思いをしていたとはと子供や孫は涙したそうです

    +363

    -12

  • 129. 匿名 2019/08/10(土) 16:50:58 

    母方の爺ちゃんが、米兵と接近戦で相討ちになり相手は死んだ。爺ちゃんは胸を撃たれたといって傷跡を見せてくれた。かなり誇らしそうだったよ。
    逆に父方の爺ちゃんは一切教えてくれなかった。
    後で調べたら日中戦争からずっと出兵してたみたい。
    母方の爺ちゃんは戦争末期に少し出兵してたぐらいだった。

    +232

    -5

  • 130. 匿名 2019/08/10(土) 16:51:23 

    もう亡くなった祖父の話。物心ついた頃に気付いたんだけど、実家の仏間に飾ってある白黒の制服?を着た若い男の人の遺影。祖父の弟で戦死している。学生の頃に戦争について調べていたとき、祖父に聞いたら言いたくないと黙ってしまった。三者三様色々な思いはあると思う。

    +263

    -1

  • 131. 匿名 2019/08/10(土) 16:51:44 

    >>118
    朝鮮人の家系ですか⁉

    +17

    -49

  • 132. 匿名 2019/08/10(土) 16:52:06 

    祖父の家には防空壕があった。山の中のほんとに何もない田舎だけど、空襲の恐れがあったと聞いてゾッとしました。

    +172

    -1

  • 133. 匿名 2019/08/10(土) 16:52:11 

    私の祖父も陸軍として戦争へ行きました

    私が小学生の時に戦争について家族にインタビューをする宿題が出されました
    極左の担任は敵を何人こ○したのか聞いて来いと

    祖父は顔色を変え、それからは何も語らなくなってしまいました
    当たり前ですよね

    椰子の実を戦友と分けあって飲んだことや赤毛の賢い馬に乗っていたことしか教えてくれなかったな
    祖父を傷付けたことを今でも後悔してます

    +497

    -6

  • 134. 匿名 2019/08/10(土) 16:52:14 

    アラフォーです。
    父が子供の時に畑に爆弾が落ちて噴水のように土が舞い上がったって聞きました。
    子供の頃の思い出のせいか危機感がなかったのかな??笑って話してたけど…………

    +173

    -3

  • 135. 匿名 2019/08/10(土) 16:52:39 

    大分にいた父が、大分大空襲の時目の前で町が焼けていくのを泣きながら見ていたけど、心のどこかで綺麗だなあとも思ったそうです。
    道を歩いてると焼夷弾が真横に降ってきたとか。

    終戦の時はまだ小学生で、体も小さかったので、あーこれでもう竹槍で訓練しなくていいんだと思ったそうです。

    +278

    -0

  • 136. 匿名 2019/08/10(土) 16:52:43 

    戦時中の話ではなく戦後の生き様のことになりますが、石井光太さんの『浮浪児1945-戦争が産んだ子供たち』という本をおすすめします。
    当時は口を開けなかった方々が今になってようやく話せるようになった気持ちが想像できます。
    親を亡くして上野に集まり子供たち同士集まって寝ていました。物乞い、残飯漁り、体を売った子もいました。栄養失調で犬の糞を口にして死んだ子、生きるのに疲れて入水自殺する子などのエピソードは想像したことすらない過酷さでした。
    著者は五年近くかけて当時の関係者たちにインタビューしてくれました。辛い思い出、恥ずかしい記憶でしょうにインタビューに応じてくれたことを思うと、読むのも苦しかったですが読んで良かったと思いました。

    +332

    -2

  • 137. 匿名 2019/08/10(土) 16:52:53 

    >>39
    本当に戦争はしちゃいけないよね。
    赤ちゃんなんてなにも悪いことしてないのに...
    なんともやりきれない

    +610

    -8

  • 138. 匿名 2019/08/10(土) 16:53:52 

    戦争を経験した方って、自ら進んで語ってくださる方と全く話さない方と極端な場合が多いらしい。
    どちらにしても大きな傷あとを残したんだなと思う。

    +314

    -2

  • 139. 匿名 2019/08/10(土) 16:54:39 

    >>127
    当時の生徒会役員が一生懸命でその一途さに折れたとおっしゃってました。

    +111

    -7

  • 140. 匿名 2019/08/10(土) 16:54:41 

    >>12
    最後の方は大体の人が日本は負けると思っていたみたいだね。
    口には決して出せなかったけど。

    +463

    -1

  • 141. 匿名 2019/08/10(土) 16:54:56 

    戦争に正義はない。
    殺すか殺されるか、狂気の世界。
    戦争に行った人たちが話したがらないのも当然なのかもしれないね。

    +304

    -0

  • 142. 匿名 2019/08/10(土) 16:55:24 

    71です。
    遠藤周作「深い河」の中の、「白骨街道」という章、
    ジャングルの中、南方作戦の悲惨さが描かれています。
    生きて帰ってきた兵隊さんも、その後苦しみを抱えて生きていく。

    +169

    -1

  • 143. 匿名 2019/08/10(土) 16:56:18 

    >>14
    是非行ってください。あの場所に大人になってから行くとまた違う気持ちになると思います。
    私も自然と頭を下げ合掌しました。

    +227

    -2

  • 144. 匿名 2019/08/10(土) 16:56:32 

    神戸で空襲を受けた母方の祖父が「あちこちの倒れた瓦礫の中から助けてという声が聞こえるのを無視して逃げるしかなかった」と話すのを、祖父と同世代の父方の祖父母や親戚(空襲がなかった地域で育った)は『そんなもの聞こえるわけないww虚言か?妄想か?ww』と笑いものにしてた。
    同じ世代の中でも、経験の有無でここまで違いがあるのかと思いました。

    +365

    -3

  • 145. 匿名 2019/08/10(土) 16:56:42 

    >>108
    うちの祖父は「戦争反対」派で、その思想を隠さなかった。当時は仕事も次々と首になり、生きていくのが大変だったと言ってました。

    +303

    -4

  • 146. 匿名 2019/08/10(土) 16:57:12 

    >>108
    >>110
    91です。
    110さんのおっしゃる通りです。

    +38

    -2

  • 147. 匿名 2019/08/10(土) 16:57:13 

    >>53
    家の母も同じこと言ってた

    +94

    -2

  • 148. 匿名 2019/08/10(土) 16:57:15 

    老人ホームの男性入居者さん。
    自分だけ生きて帰ってきたことが恥ずかしくて申し訳なかったらしい。
    生きて帰ってきても後遺症でマトモに働けなくて身内に迷惑かけた、とも言ってた。

    +357

    -1

  • 149. 匿名 2019/08/10(土) 16:57:39 

    >>53
    家の母も同じこと言ってた

    +67

    -3

  • 150. 匿名 2019/08/10(土) 16:57:46 

    日本ばかり被害者みたいなことになってるけど日本も大勢のアメリカ兵を殺したしたくさんの国を巻き込んで迷惑かけたからね。
    それだけは忘れないで…。

    +22

    -95

  • 151. 匿名 2019/08/10(土) 16:57:54 

    >>27
    オタクの国は邪悪なままだねw

    +1

    -37

  • 152. 匿名 2019/08/10(土) 16:59:36 

    >>59
    ほんとお花畑だね。
    やっつけちゃえって世論になんてなってないけど。
    シナ&朝鮮が挑発してるだけ。
    日本は戦争にならないよう抑止力強化のために動いてるんだよ。

    +483

    -30

  • 153. 匿名 2019/08/10(土) 16:59:56 

    >>133
    小学生の生徒に「おじいさんに、戦争で何人殺したか聞いてくる宿題」って。
    義務教育の教師の出す宿題とは思えない。怒りを覚えます。

    +907

    -7

  • 154. 匿名 2019/08/10(土) 17:00:29 

    >>71
    是非読んでみたいと思います。

    +93

    -2

  • 155. 匿名 2019/08/10(土) 17:01:06 

    >>128
    敵国の赤ちゃんを殺したってことね。普通の神経を持った人間には耐えられないだろうね。

    +284

    -8

  • 156. 匿名 2019/08/10(土) 17:01:08 

    ばあちゃんが若い頃、空襲終えた直後の光景だかで、爆風で吹き飛ばされた人が崩れた鉄柱に串刺しになったのを見たと聞いたことがある。

    +226

    -3

  • 157. 匿名 2019/08/10(土) 17:01:55 

    >>150
    こんな平和ボケばっかりになると、戦争をせずして日本は他国に乗っ取られそうだね。
    100年後にはないんじゃない、日本。

    +20

    -48

  • 158. 匿名 2019/08/10(土) 17:02:25 

    祖父は軍医だったので、直接怖い思いはあまりしなかったみたいだけど、南洋の国で駐在中にヤシを植えてみたら帰る頃には結構大きくなってたとか話してくれたな!
    亡くなってから出てきた日記には、派遣された香港でバーに飲みに行ったけど、指定の時間に迎えの車が来てなくて、暑い中歩いて帰ったとか書いてあって面白かった。

    +234

    -19

  • 159. 匿名 2019/08/10(土) 17:03:25 

    おばあちゃんに一回話をした事があるけど、疎開した事以外話はしてくれなかった。
    話したくないんだなって思ってそれ以上聞かなかったけど、本当はもっと聞かせて欲しかった。

    +200

    -2

  • 160. 匿名 2019/08/10(土) 17:03:48 

    >>89
    ポップすぎて苦笑

    +63

    -2

  • 161. 匿名 2019/08/10(土) 17:04:28 

    零戦乗りだった
    戦闘中に狙撃されて片腕を失くしました
    夢中で帰還して生き残った

    入院して赤十字の看護師だったおばあちゃんと結婚しました

    戦後も好戦的な人で竹島問題などに怒っていて
    俺が突撃してやる!って感じでした
    普段は穏やかでいい人でしたが・・・・・

    +362

    -5

  • 162. 匿名 2019/08/10(土) 17:04:48 

    >>144
    実際に聞こえたかも知れないし、
    一人で逃げることに罪悪感を持つ気持ちから、そう聞こえたのかも知れない。

    どちらにしても、おじいさんに聞こえたことは真実なんだと思います。

    +344

    -0

  • 163. 匿名 2019/08/10(土) 17:05:18 

    私は日本人だと前置きした上でマイナス覚悟でコメントするけど…
    昔から、家族が天皇陛下万歳!と言って死んでいくのを見てたら、怒りの矛先を陛下に向けてしまうのもわからなくない気がすると思ってしまうんだよね…
    私自身は皇室の方々は好きだけど、もし自分があの時代にいたらと思うと、行き場のない気持ちをそちらに向けるしか無くなるかもしれないな、と…
    いまは冷静だから天皇陛下が悪じゃないことは理解できるけど、明日死ぬか、1時間後に死ぬかと極限まで怯えた中で冷静な判断をする自信がない…

    +349

    -13

  • 164. 匿名 2019/08/10(土) 17:05:23 

    東京大空襲を経験した祖母。祖母の母に手を引かれ焼夷弾から逃げたらしい。皆が逃げる方向とは逆に逃げたら、運よく助かったそう。祖母が皆と同じ方向へ逃げてたら私は生まれてなかった。

    +298

    -1

  • 165. 匿名 2019/08/10(土) 17:06:21 

    担任の先生が子どもだったころ
    空き地で友達と3人で遊んでいたとき
    空襲警報が鳴った

    すぐに帰ろうと走っていたところ
    飛行機に追跡された

    タタタタタタタという音と共に
    すぐ後ろに爆弾が迫ってくる

    必死で走っている中
    友達が1人、2人と倒れた

    倒れたことを目の端で確認しても
    必死で逃げることしかできなかった
    防空壕に逃げ込んで
    声を殺して泣いたと言っていた

    +413

    -1

  • 166. 匿名 2019/08/10(土) 17:07:12 

    同じ被害でももし戦争に勝っていたらぜんぜんイメージ違うと思い、
    戦争中のマイナスではなかった体験を学校の授業で聞き取り調査したことあります。

    戦争に行く、イコール死にに行くようなイメージを持ってしまいますが、
    当時まだ10代の青年たちは悲しみだけではなく、
    戦争に勝って素晴らしい国を作ると言う夢を持って行った人も多かったようです。

    +251

    -5

  • 167. 匿名 2019/08/10(土) 17:07:28 

    小さい頃祖父に聞いた話ですが、逃げている時に仲間が頭を銃で撃たれたのですが、体は暫く走り続けるのを見たそうです。そんな事が日常で起こっていたなんて、本当に戦争は恐ろしいと思いました。

    +381

    -0

  • 168. 匿名 2019/08/10(土) 17:07:48 

    戦後の話で申し訳ないのですが、おばあちゃんが幼いころ庭で遊んでいるとアメリカの軍人さんがやってきて頭を撫でたあとチョコレートをひときれ渡して去っていったそうです。
    おばあちゃんにとってアメリカの軍人さんはとても怖い存在だったそうですが貰ったチョコレートをはじめて食べたとき世の中にはこんな美味しいものがあるのかと感動したそうです。
    そのことがおばあちゃんの生きる活力になったそうです。

    +383

    -2

  • 169. 匿名 2019/08/10(土) 17:07:56 

    九州のものすごい田舎出身なのですが
    そういう場所にも防空壕があったんです
    正式にいうと防空壕跡ですが・・・・・。

    +176

    -0

  • 170. 匿名 2019/08/10(土) 17:08:04 

    >>141
    お互いにそれぞれ、ゆずれない正義があるから、戦うことになる

    +72

    -6

  • 171. 匿名 2019/08/10(土) 17:08:41 

    >>133
    そんな先公が混ざってんのかよ!そいつはチョンだ

    +394

    -28

  • 172. 匿名 2019/08/10(土) 17:08:49 

    >>150
    戦争にいいも悪いもないんだよ。
    ただの殺し合いなんだから。
    日本はそれに負けた。
    そして戦後70年以上たっても、不法に取られた北方4島も返してもらえず、訳の分からない従軍慰安婦や徴用工問題で韓国に金をふんだくられ続けてる。

    私は、絶対に戦争は反対。
    でも世界大戦はまたあるだろうね、人間の歴史なんて戦いの歴史だし。
    その時には、どんな手を使ってでも負けちゃいけないんだよ。
    戦争ってそんなもん。勝てば正義、負ければ全てが悪になる。

    +395

    -33

  • 173. 匿名 2019/08/10(土) 17:09:09 

    >>144
    ご身内を悪く言ってごめんなさい。
    わたしにはお父さん方の気持ちが理解できない。
    他人の辛い経験を虚言扱いして笑う人ってどこにでもいるのね…
    >>162さんの言う通り、実際はどうであれお爺様には「聞こえた」んだと思う。
    絶対に茶化して良い部分ではないよね。
    それを聞いていた>>144さんも辛かったね…

    +336

    -3

  • 174. 匿名 2019/08/10(土) 17:09:28 

    >>144
    ご身内を悪く言ってごめんなさい。
    わたしにはお父さん方の気持ちが理解できない。
    他人の辛い経験を虚言扱いして笑う人ってどこにでもいるのね…
    >>162さんの言う通り、実際はどうであれお爺様には「聞こえた」んだと思う。
    絶対に茶化して良い部分ではないよね。
    それを聞いていた>>144さんも辛かったね…

    +39

    -11

  • 175. 匿名 2019/08/10(土) 17:10:18 

    >>79
    そういやうちの祖父も花火大会はいつも行かなかったなぁ。そういう思いもあったのか。

    +246

    -0

  • 176. 匿名 2019/08/10(土) 17:10:25 

    終戦時に父親が生まれたばかりで満州から引き上げてきた壮絶な話を兄弟であるおじさんから聞いた。

    +89

    -5

  • 177. 匿名 2019/08/10(土) 17:10:30 

    長崎に住む祖母が、キノコ爆弾後周りは多くの焼負傷者。「水くれー!水くれー!」ってうつ伏せで片目玉飛び出た人から足を掴まれたって…。長崎行く度に、平和記念資料館で戦争について知ります。言い伝えていかないと。

    +298

    -0

  • 178. 匿名 2019/08/10(土) 17:11:07 

    >>150
    もしかして学校の授業鵜呑みにしてる?
    被害者か加害者か語る前に、いろんな文献読んで学んだ方がいいと思いますよ。
    日本が勝手に戦争を起こして他の国々を巻き込んだみたいな偏った自虐史観は、日本は戦争被害者だから悪くありません!って言ってる人達となんら変わらないからね。

    +44

    -25

  • 179. 匿名 2019/08/10(土) 17:12:00 

    戦後何年もシベリア抑留で苦労しましたが
    全然恨み言言うのでなく
    教員の後に歴史を検証する仕事をしました
    大変な時代でしたが精神性や人間性が
    今の時代と比べ素晴らしい方が多くていろいろと考えさせられます

    +165

    -1

  • 180. 匿名 2019/08/10(土) 17:12:02 

    >>163が本当に日本人ならみたいなのを非国民って言うんだろうなぁ。不謹慎極まりない。最低!
    本気で言ってるんだろ?暑さでやられてんのかな?
    いい人のふりして、こういう最低なこと言う奴いるよねーって感じだわ。消えろ。

    +4

    -149

  • 181. 匿名 2019/08/10(土) 17:12:06 

    >>89
    下品な言葉は大嫌いだけど。
    こんなコメ、嘘でも出来るあんたはクソだな。

    +127

    -3

  • 182. 匿名 2019/08/10(土) 17:12:38 

    >>155
    そうですね、あんなに優しいおじいちゃんがこんな事してたのか(させられていたのかと悲しかったそうです)苦しいですよね

    +150

    -1

  • 183. 匿名 2019/08/10(土) 17:12:43 

    >>139
    71です。
    その生徒会役員さん素晴らしいですね。
    藤原ていさんの著書で感銘を受けた一人なんでしょうね。
    貴重な講演ですね。

    +118

    -0

  • 184. 匿名 2019/08/10(土) 17:13:20 

    憲兵さんが怖かったそうです

    +49

    -2

  • 185. 匿名 2019/08/10(土) 17:13:27 

    >>174です
    >>144さん、ごめん。お父さんじゃなくてお父さん方の祖父母と親戚だね…ごめんなさい。

    +36

    -6

  • 186. 匿名 2019/08/10(土) 17:14:16 

    母が子供の頃空襲にあって
    玄関から逃げようとしたら焼夷弾がばばばって落ちてきて
    勝手口から逃げようとしたら、そっちからも焼夷弾が落ちてきて
    台所で祖母(母の母)がうずくまって楯みたいに子供達に覆いかぶさって
    どうにかやり過ごしたらしい。
    母はもう高齢だけど、この話何度もするから
    余程怖かったんだろうなあと思う。私も何度聞いても怖いです。
    それと父は広島市から、今の電車で30分ほどの距離に住んでたんだけど
    原爆投下の音も聞こえたし、きのこ雲も見たそうです。

    +260

    -2

  • 187. 匿名 2019/08/10(土) 17:14:21 

    >>180
    なんでそういう言い方しかできないのかな…
    私は>>163さんが言葉を選びながら気持ちを伝えてくれてるのわかるよ

    +227

    -2

  • 188. 匿名 2019/08/10(土) 17:14:36 

    >>151
    ヒトモドキ民族が何か言ってら。

    だから
    バ韓国って言われるんだよ。

    +84

    -19

  • 189. 匿名 2019/08/10(土) 17:14:48 

    >>133
    ほんと日教組はクズばかり!
    そんなに日本が嫌なら出てけばいのに!

    +377

    -17

  • 190. 匿名 2019/08/10(土) 17:16:44 

    広島の平和記念館、今回の3回目のリニューアルより
    焼けただれてさまよう人々の人形を撤去。
    この意味は、
    「実際はこんなものではなかった。過小評価されては困る」という理由から。

    +432

    -0

  • 191. 匿名 2019/08/10(土) 17:17:44 

    母は満州の引き上げ者で、祖父は戦死。戦後は祖母の実家に戻り苦労したそうです。引き上げの際は母は赤ん坊だったので記憶は無いそうですが、祖母が引き上げ途中、母の世話で目を離した時に、当時6歳の母の兄である叔父が貴重品を抱えていたのを現地の人が取り上げてしまったという事を話してました。

    +192

    -1

  • 192. 匿名 2019/08/10(土) 17:18:14 

    小学校の夏休みの時に「戦争の体験をお年寄りに聞く」という宿題があって祖父に聞いたんだけど、「おじいちゃんは戦争の時は満州にいたから日本の様子はわからないんだよ」と言ってて、「満州ってどこ?」ってきいたら「外国だよ」と言ってた。子供心に外国にいたのならわからないよね、って思ってたけど、今思えば満州って戦時中は(特に戦後、日本が負けた直後とか)すごく大変だったんだろうなって思った。もう亡くなってしまったけど当時もっと聞いておけば良かった。

    +269

    -1

  • 193. 匿名 2019/08/10(土) 17:18:49 

    母方の祖母の父親が戦死してます
    あとは、これは父方の祖母の話ですが、爆弾は落とさなかったがB29が飛んできて「伏せろ!」と地面に伏せたと聞きました。

    +154

    -0

  • 194. 匿名 2019/08/10(土) 17:20:32 

    >>131
    実は自分がそうかもね

    +12

    -6

  • 195. 匿名 2019/08/10(土) 17:22:19 

    当時、小田原に住んでいた祖母の少女時代の話。
    空襲で防空壕の穴が塞がれて窒息死した人達の時計だけがカチコチ動いていてかわいそうだった。
    空襲で怪我をした人を講堂に運んで皆んな水が欲しいって言うんだけど、あげると死んでしまうから絶対にあげてはいけないと言われた。
    あげてもあげなくても亡くなってしまう人が多いのだから、今考えるとあげれば良かったと思っている。
    風船爆弾を作っていた。
    海軍の白い軍服姿に見惚れた。
    玉音放送については何言ってるかさっぱりわからなかった。
    終戦後、アメリカ人が上陸してきてふざけて女の子にハーイと手を振るんだけど、足が長くて目が青くて鼻が高くて綺麗だなと感心した。
    こういう話を少しでも残せたらいいなって思うんだけど、毎年の戦争ドラマもどんどん少なくなってきてるし、祖母もボケちゃってあんまり話もできないし戦争の事を後世に伝えられるのかなって不安がある。

    +283

    -1

  • 196. 匿名 2019/08/10(土) 17:22:55 

    食べるものがなさすぎて 何でもいいから食べたくて彼岸花の根っこを食べた
    食べたら死ぬと聞いていたけど食べて死ぬか食べずに死ぬかなら
    食べて死のうと思って食べたけど特に体調が悪くもならず普通だった

    「あれ 食べれるよ」

    亡くなった祖母が話してくれました
    ほんとに?

    +293

    -5

  • 197. 匿名 2019/08/10(土) 17:23:37 

    小学校5年生か6年生頃だったと思うんだけど、祖父母に戦争の話を聞いてくるって授業があって、ばあちゃんとお風呂に入りながら当時のこと色々聞いたはずなのに、恥ずかしい話、覚えてることって数少ないんだよね。
    なんでメモ取らなかったんだよってただただ後悔しかないんだけど。
    今聞きたいって言っても、大好きだった母方のばあちゃんは亡くなってしまったから、もう聞けない。

    +224

    -0

  • 198. 匿名 2019/08/10(土) 17:23:53 

    祖母の長兄が南の島で玉砕しました。
    戦地に赴く時に、母親(私の曾祖母)にぜひ会いたいとの電報が届いたそうです。もちろん本人はこれが今生の別れになるとは口が裂けても言えませんが、祖母は全て察したと言っていました。
    それからまもなく身の回りの物は最小限だけにして、予備の下着などや愛読書などは実家へ送り返してきたそうです、手紙とともに。家族は号泣したとのこと。
    もう自分には必要のないものだということだったのでしょう。

    +270

    -4

  • 199. 匿名 2019/08/10(土) 17:24:08 

    私の祖母は戦争前に結婚を誓っていた男性がいましたが、その男性は出兵し戦死、、そのあと祖母は祖父と結婚し子供を六人産みました、子育て中に戦死したと聞いた男性が訪ねてきました、どうも捕虜として捕まっていたようです。祖母と男性は子供達のいる場所で暫く話し帰って行ったそうです。私達孫はあの戦争が無かったら生まれていません。そう考えると少し複雑です、多分皆さんも同じ様に色々な未来が変わっていたでしょうね複雑です

    +373

    -8

  • 200. 匿名 2019/08/10(土) 17:24:48 

    ひいばあちゃんが戦後パンパンやってたんだけどアメリカの兵隊さんは紳士的でみんな優しかったそうです。
    その中でリチャードって軍人さんと深い仲になったけど当時は周りがそれを許してくれなくて泣く泣く別れたと教えてくれました。
    別れのさいリチャードからプレゼントされたルビーの指輪をひいばあちゃんは死ぬまで片時も離しませんでした。
    きっと結婚して子供が産まれてからもリチャードを愛し続けていたんでしょうね。
    ひいばあちゃんは数年前天に召されましたけど天国でリチャードと出逢えていたらいいな…。

    +314

    -13

  • 201. 匿名 2019/08/10(土) 17:25:20 

    清人は沸いてくる
    (しなじん、中国人を意味してたようです)

    祖父の言葉です

    祖父は前線にいて仲間が死んでいく中帰ってきてしまったことをずっと後ろめたく感じていて
    死ぬまで自分で飾った部屋の仏様に毎晩拝んでました

    上の言葉以外何一つ教えてはくれませんでした
    言葉にするのも辛い経験だったらしいと唯一祖母から教えられました

    +165

    -3

  • 202. 匿名 2019/08/10(土) 17:27:37 

    >>177
    私は子供の頃から広島に住んでるけど
    小学校の毎年の平和教育はすごかったなあ。
    軍人はもちろん何の罪もない民間人も残忍に殺されていくのが戦争だと学びました。
    でも広島長崎以外のとこでは八月六日も九日も普通の日なんだってね。
    日本全国の人があの日何が起こって当事者のかたが
    どんな経験をしたのか知らなきゃいけないと思います。

    +255

    -2

  • 203. 匿名 2019/08/10(土) 17:28:05 

    祖父は無事帰還できたが後遺症の残るケガを負ってしまった
    国に申請すればお金が下りるはずだったが断固として拒否をしたそう
    たくさんの仲間が目の前で息を引き取り、自分は生きて帰ってお金など受け取れるわけが無いと
    亡くなるまで後遺症のことを不便と口にしなかった

    このような思いをしてきた祖父たちをバカな日本人と罵る芸術家はもはや人間ではないのだろう

    +473

    -6

  • 204. 匿名 2019/08/10(土) 17:28:37 

    沖縄で動かないお母さんの胸の辺りを赤ちゃんがお腹空かせて力なく動いていたのを見かけたけど、
    何も出来ずに通り過ぎた若い兵士の話が忘れられない。戦後に赤ちゃんを助けなかったことを後悔したけど、当時は任務中で悲惨な光景は日常だった。自分が生きるのに必死で感覚が麻痺していたそう。
    新聞で読んだ話でごめん。

    +288

    -3

  • 205. 匿名 2019/08/10(土) 17:30:13 

    小学生の時に戦争の経験談を聞くっていう課題で祖父に聞いたら
    「19の時に兵隊で行った、仲間が真横で撃たれた
    じいちゃんは撃ちたくなかったけど2人も撃ってしまった、だけどそれで帰ってこれた…もういいかい?」
    って悲しそうに話してた
    子どもだったのにそれ以上聞けなかった
    このトピは苦しくなるけど経験談を話せる人が高齢になってるから語り継がなきゃなぁ…

    +435

    -1

  • 206. 匿名 2019/08/10(土) 17:30:45 

    >>54
    あの時代に、まだ戦艦主義なのは、
    日露戦争の華々しい戦艦による戦勝体験をひきずっていましたね。

    丁寧に手作りされた数少ない巨大戦艦 対 圧倒的な数の量産大型爆撃機。

    上空1万mを飛ぶB29を打ち落とす高射砲も、本州に3台しかなかったとか。
    そして、日本の戦闘機は、上空1万mまで達しない。

    +181

    -1

  • 207. 匿名 2019/08/10(土) 17:33:01 

    >>21

    いや、圧倒的に多くなかったからこそ、
    戦争まで突き進んでしまったんだよ
    巻き込まれてしまったんではなく、消極的に支持してしまった

    銃後の守りとか、出征者への餞別で「敵艦を1隻でも沈めて…」っていう空気の中、多かれ少なかれ国民は加担した責任がある

    そして、戦後、子や孫の私たちは、今まで続いている平和を維持する責任がある

    +32

    -76

  • 208. 匿名 2019/08/10(土) 17:33:31 

    祖父が神風特攻隊でした。
    出撃前にご馳走を食べてる時に終戦して生き延びたとか。


    +387

    -1

  • 209. 匿名 2019/08/10(土) 17:33:45 

    >>54
    今や国(税金)のためのブラック国家

    +55

    -6

  • 210. 匿名 2019/08/10(土) 17:34:07 

    祖母が長崎原爆の被爆者。
    全身癌で亡くなった。

    +274

    -3

  • 211. 匿名 2019/08/10(土) 17:34:52 

    東北の田舎に祖父母(80半ば)が住んでいるけど、軍馬のモノクロ写真と賞状があるよ。お国にために優秀軍馬を育てて~のようなことが書いてあった。

    +156

    -2

  • 212. 匿名 2019/08/10(土) 17:36:39 

    中学生の時、祖父母に半生を聞いてレポートにまとめるという課題があり、戦争に行った祖父(明治生まれ)からかなり細かく聞いたことがある。
    満州にも行ったが、祖父は病弱だった為、荷物運びや馬の世話担当で生き延びることができた。一緒に戦地に行った方は相当数戦死してるので、祖父が丈夫だったら今私はここにいないんだ…と複雑な気持ちになった
    戦争なんて何一ついいことなんて生まれない。
    『戦争するしかない』とかほざいてる某政治家に祖父の話を聞かせてやりたい

    +278

    -4

  • 213. 匿名 2019/08/10(土) 17:37:05 

    数年前に亡くなったじいちゃんが海軍で2回船が沈没して死にかけたけど頑張って岸まで泳いだことあるって子供の頃に聞いた
    戦艦大和の護衛もしたと言ってたな

    +202

    -2

  • 214. 匿名 2019/08/10(土) 17:37:24 

    パールハーバーの仕返しをされたんだよね日本は。
    悲しいけど自業自得だった。

    +6

    -169

  • 215. 匿名 2019/08/10(土) 17:37:51 

    >>206
    日露戦争が大金星で国内外の報道で評価されたみたいですね
    遊就館に当時の新聞が展示されていました
    ニューヨクタイムズとか、各国の新聞です
    日本も意気揚々だったのかなと思いました

    +91

    -1

  • 216. 匿名 2019/08/10(土) 17:37:57 

    旦那のおじいちゃんが戦争体験者で亡くなったけど、おばあちゃんが恩給もらってた。もうおばあちゃんも亡くなってしまったけど、二人とも人を大切にする人でした。二人で苦労して家を建てて、何人も住み込みさせて建設業してたと聞きました。戦時中から戦後を支えたおばあちゃんは自分たちの節約はすごくしてたけど、人を面倒みるためや、もてなす事は豪快でした。家のない家族や見ず知らずの人を住み込みさせるなんて、今の時代では考えられないですよね。

    +242

    -2

  • 217. 匿名 2019/08/10(土) 17:38:22 

    空襲警報の音は本当に今でも思い出すし怖い。
    天気が崩れなければ自分の街も空襲があった。
    戦争なんて二度とやってはいけない。
    など祖母から聞きました。
    祖母が亡くなってしまったので、、もっと聞けばよかったな。

    +171

    -5

  • 218. 匿名 2019/08/10(土) 17:38:39 

    父方、母方祖父が出兵してた。
    父方は戦死してる。よく戦争の話は
    聞いたよ。
    世間では老害がってよく言うけど、
    この戦争世代の方は我慢強く、
    精神的にも強い。人としても
    気合いの入り方が違う。

    +283

    -3

  • 219. 匿名 2019/08/10(土) 17:39:50 

    祖母が経験しています。
    路地を逃げていて曲がった所に敵がいた。先に進んでいた友だちが目の前で撃たれて倒れ亡くなり、そのショックで気絶。祖母も死んだと思われたらしく助かったと聞きました。

    +246

    -2

  • 220. 匿名 2019/08/10(土) 17:40:48 

    祖父から聞いた話ですが、初期の満州開拓団に入り、数年後現地から帰国した親戚が「あんな所は女子供が来る場所じゃないぞ!」と言って家族を満州へ呼び寄せなかったそうです。
    今思えば、正しい選択だったと思います。
    もし、家族で移住していたら終戦後の地獄を満州で体験する羽目になっていたのですから。

    +244

    -0

  • 221. 匿名 2019/08/10(土) 17:40:57 

    「死」がすぐそこにあって、自分や家族や友人が今日居なくなるかわからない恐怖って想像もつかない
    戦争真っ只中の悲惨な話はよく聞くけど、今で言うPTSDみたいなものはどうだったんだろう
    生きること、立て直すことで大変でそんなこと言ってられなかったのかもしれないけど

    +204

    -0

  • 222. 匿名 2019/08/10(土) 17:41:10 

    おじいちゃんは硫黄島で栗林中将(映画だと渡辺謙)の部隊につくはずだったけど、ラッパ隊の仕事があって行かなかったとか。
    もし硫黄島に行ってたら私たちは生まれることはなかったと思う。

    +226

    -2

  • 223. 匿名 2019/08/10(土) 17:42:19 

    私の父方の祖父の兄弟の奥さんは満州からの引揚者だった。ソ連兵につかまって輪姦されたたらしい。さんざんもてあそばれたようだ。

    生還したが帰国後頭がおかしかったらしい。男性を見るとズボンのチャックを開けてお〇ん〇んを握ろうとしたとか。

    私の遠い親戚は都内に住んでいたけれど、戦後一面焼け野原の地に家を建て直そうとしたとき、どこからかやってきた朝鮮人に土地を一部掠め盗られたとか言っていた。取り戻すことができなかったらしい。結構大きな敷地だったのに、相当狭くなってしまったと言っていた。

    私が若かったころ、大東亜戦争に招集されて外地に派遣され生還した人たちが、定年退職前でまだ働いていた。昼休みなどに戦争体験をよく話してくれた。

    外地の飛行場に勤務していた人は、毎日のように米空軍の爆撃を受けた。当然人も死ぬ。死体の片づけが大変だったと。直撃を受け、細かい肉片になってしまった死体は早く片付けないといけないらしい。とても腐りやすく、すぐに臭くてたまらない状態になるらしい。バケツを持ってよく拾いに行ったと。

    米軍の捕虜生活をした人は、米軍が捨てた煙草の吸殻がたいへん貴重だったらしい。一服すると美味しくてとか言っていた。数少ない楽しみだったようだ。

    都下の中央沿線に住んでいたご老体は、当時中学生くらいだったらしい。軍需工場がたくさんあって動員されて働いていた人たちが、B29の爆撃で大勢亡くなったと言っていた。隣に住んでいたお姉さんとか友人のお姉さんとかが。

    川越に住んでいた、農家のあるご老体は、敗戦直後のバラックなどがまだ目立つ新宿などで、蒸した芋を薄く切ってガラスの上に並べて売ると、飛ぶように売れていいお金になったとか。あの頃は生活するのが楽だったなどと…。

    母は農家から嫁に欲しいと戦時中言われたらしい。都会は全然食べ物がないので、ご飯が食べたいから行くと祖母に言ったところ、「お前は百姓には向いてない。身体も弱いし」と言ってその縁談を拒否した。母は祖母の判断を今は感謝していると言っていた。

    +231

    -8

  • 224. 匿名 2019/08/10(土) 17:46:04 

    うちの祖父が戦争体験者で、空襲警報も慣れてくると、特に夜中とかめんどくさくて家でそのまま寝てたって言ってた。もう死ぬんなら、死ぬんでいいと。

    +203

    -0

  • 225. 匿名 2019/08/10(土) 17:46:41 

    >>200
    あちらの世界で挨拶して、別れてからも幸せでしたか?と話ししてお互い良かったですね、と言えたらいいですね

    +164

    -0

  • 226. 匿名 2019/08/10(土) 17:48:54 

    >>53
    うちのおじいちゃんもじゃがいも嫌いでした

    +106

    -1

  • 227. 匿名 2019/08/10(土) 17:49:57 

    私も中学生のときにお年寄りから戦争体験を聞いてみようという課題があった
    祖母に聞いたけどあまり話したくない様子で聞けなかった

    辛い戦争体験を語ってくれる人たちは悲しい歴史を繰り返してほしくない思いで語ってくれているんだろなと思う
    そういう人たちの思いを無駄にしないようにしたい

    +176

    -2

  • 228. 匿名 2019/08/10(土) 17:50:11 

    祖父が満州鉄道で働いてた。
    終戦は向こうで迎えて、シベリア抑留はされなかったと聞いたけど帰る道中は凄まじかったのか誰に聞かれても何があったか話さなかったらしい。

    おじいちゃん行きてた頃はよくデアゴスティーニの戦争のビデオ見てたなあ
    子どもの私は恐々一緒にみてた
    家に当時の総理から貰った賞状?みたいなのあったけどあれはなんの賞状だったんだろう

    +146

    -0

  • 229. 匿名 2019/08/10(土) 17:50:19 

    日本人より現地の人の方が親切だった

    +9

    -2

  • 230. 匿名 2019/08/10(土) 17:51:07 

    >>214
    こんな知識の欠片もない馬鹿が日本を駄目にしていくんだね・・・
    日本人ならもっと歴史を勉強しろよ
    その上で見解を述べなさい

    +143

    -5

  • 231. 匿名 2019/08/10(土) 17:51:47 

    >>171
    133ですが大人になりやっと正体がわかりましたが仰る通りでした
    もちろん卒業式すら国家斉唱させない担任でした

    +231

    -9

  • 232. 匿名 2019/08/10(土) 17:52:32 

    近所のお婆さんの話だと、日曜だけ空襲がないと気付いてから、お風呂とか色んな用事を日曜に済ませてたっていうのは聞いた。

    +232

    -1

  • 233. 匿名 2019/08/10(土) 17:56:18 

    ミリタリーオタクの家でビルマ戦のルポタージュ?みたいの読んだことある
    戦後に作られた同人誌みたいなやつ
    死んだ仲間の身体の一部を切り取って焼いて骨にする方法が書いてあって驚いた
    その小さな骨を遺骨として持って帰るのだそう

    +89

    -1

  • 234. 匿名 2019/08/10(土) 17:57:39 

    大人しい祖父が戦争から帰って来てからお酒飲んで(元々お酒飲めないのに)暴れるようになったそうです、私が生まれた時には亡くなっていたのですが、何かあったのかわからないけど腕には、番号の入れ墨が入れられていたようです

    +219

    -3

  • 235. 匿名 2019/08/10(土) 17:57:50 

    >>44
    確かにって思ってプラス押したけど
    よく考えたらそれちょっと違うと思った。
    当時があまりに異常だったんだよ。

    +317

    -5

  • 236. 匿名 2019/08/10(土) 17:57:55 

    >>221
    精神をやられた人はどの国にも沢山いたみたいだね
    私が見たことがあるのは元日本兵で「はい、只今○○時○○分であります!!」とだけ言い続ける人
    あと元アメリカ兵で爆撃音を聞きすぎて、ずっとピョンピョン飛び跳ねてる人

    まだ幼い時にテレビで見たんだけど、鮮明に覚えてるよ。

    +218

    -2

  • 237. 匿名 2019/08/10(土) 17:58:49 

    祖母が沖縄出身で当時中学生。
    当時の事は思い出したくないみたいであまり話を聞くことができない。けどたまにポツリと話してくれる。
    親戚みんなで大きなお墓に隠れて息を潜めていた話とか。足の踏み場もないくらい道には銃痕で穴だらけになっている様子とか。友達や親兄弟が目の前で銃撃に倒れていく様子を見ているんだものね、辛すぎるよ。
    よく生き残ってくれたなとほんと思う。
    アメリカ軍に保護された時はホッとしたとよく話していたよ。もう逃げなくていいんだと思ったんだって。
    祖母はアメリカ大好きだし、チョコレートといえば今でも絶対的にハーシーズでいつも食べてる。
    祖母は寝て夢を見るときに普段ははモノクロなんだけど、戦争の時の夢はカラーで見るんだって。
    それだけ今でも焼きついてるんだろうな。

    +261

    -1

  • 238. 匿名 2019/08/10(土) 18:02:28 

    >>214
    パールハーバーうちも見ました❗
    ジョシュかっこよかったよね😍

    +2

    -106

  • 239. 匿名 2019/08/10(土) 18:02:52 

    >>230
    >>214
    このトピではそういうのいいよ
    身近な人から聞いた戦争体験を語るトピだよ
    当事者の口から聞いた本物の体験話を聞きたい

    +82

    -2

  • 240. 匿名 2019/08/10(土) 18:03:27 

    私のおばあちゃんは戦争中は雑草を食べてたって言ってました。おじいちゃんが戦争に行くことになって、結果的には生きて帰ってきてくれたけど戦争に行ってる間はそれは辛かったと。
    だから戦争に限ったことじゃないけど、いつ大事な人を失うかわからないから、家族とか友達とか恋人とかまわりの人を大事にしなさいと言ってました。

    +189

    -0

  • 241. 匿名 2019/08/10(土) 18:04:29 

    >>214
    そういう方向にもっていかれたんだよ。と聞いた

    +31

    -3

  • 242. 匿名 2019/08/10(土) 18:05:36 

    おじいちゃんがフィリピンに行ってた
    バナナばっかり食べてたらしい

    でもこれは母から聞いた話
    もっと詳しくおじいちゃんから聞きたかったんだけど「戦争の話になると話し出したら止まらないから、話を振ったらダメだ」って止められて聞けずじまいのまま、おじいちゃんは亡くなってしまった

    +208

    -1

  • 243. 匿名 2019/08/10(土) 18:05:54 

    >>202
    なんでもそうだけど、被害にあった人々だけが考えるのではなく、国全体で知るべき、学んでいくべきですよね。

    +116

    -3

  • 244. 匿名 2019/08/10(土) 18:06:17 

    ばあちゃんが小学校の校舎にいたときに同級生が窓から覗きこんだら銃撃された

    +107

    -2

  • 245. 匿名 2019/08/10(土) 18:06:39 

    学生時代の夏休みに、かなり大きなスーパーでバイトをしていたのですが、昼休みに食堂で弁当を食べていたら中国へ戦時中従軍していたという年配のおじさん社員が「捕まえてきた中国人達を大きな穴の中に放り込み、一斉に射殺するんだぞ!気持ち良かったぞ!」と他の従業員達に話してました。
    そんな事、自慢出来る事か?
    それ以来、その人を見る目が変わりました。
    そのスーパーの前を通る度にその話を思い出します。
    嫌な話です。

    +224

    -13

  • 246. 匿名 2019/08/10(土) 18:06:59 

    もう20年以上前の話になります。
    私の伯母が入院した際、妹である私の母や
    伯母宅の嫁が付き添い看護をしていました。

    ある日から伯母はお腹を下すようになり
    私の母や嫁がおむつを替えようとすると
    「触っちゃならん」と激しく拒否をし
    食事をとらなくなったそうです。

    伯母は被爆手帳を持つ身だったそうです。

    伯母が亡くなりしばらくして母が
    「うつるとでも思うたんかねぇ
     姉さんはバカじゃ」と泣きました。

    伯母は、悲しい風評に遭っていたのかなと
    今となっては思います。

    +302

    -1

  • 247. 匿名 2019/08/10(土) 18:07:57 

    >>166
    当時どんないいイメージがあったのかって、とても意義のある調査ですね。

    当時も私たちの知っている悲しく辛いイメージだけだとしたら、もう少しストップかかったかも知れないけど、
    実際良いイメージがあったから世の中が何となく戦争になったんだと思うから。

    +77

    -0

  • 248. 匿名 2019/08/10(土) 18:09:52 

    東京大空襲を体験した祖母。爆撃され火の海だった町から逃げるべく皆川へ飛び込んだそうです。
    幼い弟を背負いながらも、助かったみたいだけど、両親や他の兄弟はそのまま流されて亡くなったそう。
    まだ3月の川は冷たく体力のない人は次々と亡くなってしまったそう。終わった後もたくさんの苦労があり
    「私の青春時代はずっと戦争だった。いい青春時代を送ってみたかった」と話していました。
    思い出す度に胸が苦しくなります。

    +288

    -1

  • 249. 匿名 2019/08/10(土) 18:11:15 

    戦時中の話ではないんだけど、
    子供の頃、通りすぎる人の誰もが驚くレベルの凄いボロボロで斜めになってる平屋に同級生が住んでたんだけど

    空襲で傾いたたまま。と言ってた

    その子のおじいちゃんは子供の頃、その家のトイレに入っていた時に空襲がきたらしく
    以来、トイレの扉を閉めるのが怖くて、いつも開けっ放しで用を足す。と話してた

    数年後、都市開発みたいな地区に入ってたから引っ越してしまったけど、とにかく凄い家だった

    +139

    -3

  • 250. 匿名 2019/08/10(土) 18:11:18 

    >>238
    私はベン派(笑)

    +5

    -26

  • 251. 匿名 2019/08/10(土) 18:11:27 

    >>172
    負けちゃいけないんじゃなくて、
    戦争してはいけないんだ、そのために努力するんだ、という姿勢が見えない
    戦争に反対と言っていても、回避するために、知恵を出し働き掛けを怠っていたら、結局は口先だけ

    +45

    -22

  • 252. 匿名 2019/08/10(土) 18:13:46 

    亡くなった祖父の話
    フィリピンかどこかの海で爆撃にあって、海へ投げ出されて必死で泳いで生きたっていうのを聞いたことがある。

    子供ながらに、これは深く聞いちゃいけない話だって思ったのを覚えてます

    +164

    -0

  • 253. 匿名 2019/08/10(土) 18:14:37 

    >>116
    従軍慰安婦はありましたよ。高給取りの職業として。
    その募集チラシは証拠として残っている。
    給料が良いので、応募が殺到した。

    「強制連行があった」と書いた朝日新聞が、
    「強制連行はありませんでした。ウソでした。」と謝罪した。

    強制連行した証拠は何一つない。
    当時を知る韓国人も、強制連行なんて見たことがないと証言している。

    +373

    -8

  • 254. 匿名 2019/08/10(土) 18:14:46 

    祖父からよく聞いていました。

    陸軍でフィリピンで2年。
    その後捕虜となり、シベリアへ。
    「食べるものがなく、なんでも食べた。カエルでもヘビでも食べた。じーちゃんは田舎モンで田畑仕事してたから体が強かったけど都会からきた人はゴロゴロ死んだ。寒くてたまらんかった。ソ連軍も人間やったぞ。ソ連軍とも仲間みたいになって帰る時は抱いて別れたもんや。誰も好きで殺し合いしてきたんやないわ。」と。
    その後、家に帰ってきたのは13年後だったと。
    生まれて間もなかった弟が大きくなっていて、母親が白髪だらけになった姿を見て、どれだけ苦労したのか想像したら辛かったと言っていました。
    祖父の年子の弟は戦地にて戦死。遺骨はなく少しの遺品が戻ってきたと。18歳だったそうです。
    よく酔うとソ連語を話していました。
    もっと聞きたかったなー。

    +261

    -5

  • 255. 匿名 2019/08/10(土) 18:14:48 

    曽祖父は全身がところどころペカペカ光る?感じの薄い皮膚をしてた。
    満州で戦って炎に巻かれて全身大火傷をして、船で日本に帰ってきた。
    火傷のおかげで生きて帰ってこれたと言ってたそうな。

    私が小さい頃に曽祖母の不注意で火傷をしたことがあって
    (うっかり熱々の味噌汁をこぼして私にかかったんだったかな?)
    曽祖父が烈火のごとく曽祖母を叱ったらしい。
    火傷だけは!子供に絶対火傷だけはさせたらあかん!と。
    私の母も、子供の火傷は100%親の責任だ。絶対に自分の子供に火傷はさせるなと厳命されたと。

    私が小学生の頃に亡くなったひいじいちゃん。
    今私は妊娠してるんだけど、子育てが始まったら火傷にはものすごく気をつけるよ。つわりでお墓参りに行けなくてごめんなさい。

    +409

    -5

  • 256. 匿名 2019/08/10(土) 18:15:26 

    旦那の祖母が満州帰りらしい。らしいというのは祖母は戦争体験を話してるけれど周りは「ま〜た話してる」と素知らぬ顔。

    私が興味を持って義祖母に問いかけるも痴呆の進んだ義祖母の話はつぎはぎでよくわからない。孫である旦那や義姉に聞いても「あ〜、まともにちゃんと聞いたことないからわからないよ」と素知らぬ顔。それじゃ駄目だよね。

    +218

    -2

  • 257. 匿名 2019/08/10(土) 18:22:03 

    夫祖母のお兄さんはシベリアに抑留されていたらしいです。
    結婚前に亡くなっているので会ったことがないのですが、
    壮絶すぎて帰還後も食べ物が食べられずガリガリに痩せていたようです…。

    +142

    -1

  • 258. 匿名 2019/08/10(土) 18:22:08 

    おばあちゃんの話。
    3月10日の東京大空襲の時、戦火の中を逃げ惑った。

    あの時右に曲がったけど、もし左に曲がってたら死んでたって言ってた。

    おばあちゃんには2人の娘がいて、それから6人の孫が生まれた。
    私が娘に会えたのも、おばあちゃんが生きてくれたから。

    +239

    -1

  • 259. 匿名 2019/08/10(土) 18:22:23 

    >>253
    私の祖父は支那事変に行ったんだけど、向こうの女性が「ヘイタイサン、ヘイタイサン」って喜んでやって来たって言ってたよ
    お金がたくさん貰えるから喜んでやってくる人がいたらしい

    +195

    -10

  • 260. 匿名 2019/08/10(土) 18:23:19 

    祖母の家が空襲で燃えたとき、近くの軍人に助けを求めたところ、「人間の体は水(血液)で出来てるから、自分の体を使って消せ」と吐き捨てられたそうです
    祖母の家は田舎でしたが陸軍の航空基地の側だったため空襲にあいました

    +157

    -3

  • 261. 匿名 2019/08/10(土) 18:25:17 

    >>133
    その先生頭おかしいね
    そんな奴が教師とか恐怖でしかないね

    +379

    -4

  • 262. 匿名 2019/08/10(土) 18:25:29 

    父が空襲時6才。
    逃げていたら、母親におんぶされていた弟の髪の毛に火がつき燃えたらしい。

    +154

    -0

  • 263. 匿名 2019/08/10(土) 18:28:36 

    >>214
    ルーズベルト大統領は、日本を戦争に引き込みたかった。

    真珠湾攻撃も無線傍受で知っていたが、知らないふりをして、
    「パールハーバーが奇襲攻撃された!」と、アメリカ国民に喧伝した。
    厭戦気分だったアメリカの世論が一気に「やり返せ!」に変わった。

    付け加えると、
    ルーズベルト急死の後を引き継いだトルーマン大統領は、
    時代に自分の名前を刻みこみたいと、原爆を落としたかった。
    今後の為にも、世界にアメリカの兵力を見せつけたかった。

    +208

    -4

  • 264. 匿名 2019/08/10(土) 18:31:49 

    今TBSで報道特集やっていますね。複数の戦争体験者の方々が語ってくれています。

    +41

    -3

  • 265. 匿名 2019/08/10(土) 18:32:37 

    私の父親が74才で山口県育ちだから経験は無いものの、色々知ってると思う。
    小さい頃、原爆知ってる?って聞いたら悲しそうな顔をしてたのを思い出すと今でも聞けない。

    もっと聞いとけば良かったって人、
    聞かなくてよかったんだよ。
    それだけで分かるじゃない。
    口に出して話すことができないほど悲惨だったって。

    +219

    -3

  • 266. 匿名 2019/08/10(土) 18:34:37 

    >>116
    「従軍慰安婦問題」が何かよく分かっていない人も多いのかな・・・。

    日本人として、それぞれが調べて知らないと。
    現代は、こんなにも情報が氾濫するくらいにある。

    +5

    -42

  • 267. 匿名 2019/08/10(土) 18:35:27 

    大家さんから聞いた話。東京は最初安全、攻撃されない都市だったはずなのにどんどんそんなことなくなって、爆弾降ってくるから亡くなってる人々をまたいで逃げたりして、結局中部地方の旦那さんの実家に疎開させてもらったんですって。何でもお手伝いしますって言ったら、自転車貸すから玉ねぎ仕入れて来てって言われて、自転車乗ったことないって言えず、とりあえず押しながら畑行って、たくさんの玉ねぎ入った箱を荷台に縛ってもらったけど、普通に乗れないのに重いの縛り付けてるからさらに乗るの難しくて、何度もこけて玉ねぎぶちまけて拾って、の繰り返しで、やっと帰りついたら「いつまでかかってんの!ていうか今日の玉ねぎ傷モノばっかじゃん(何度も落としたから)!」言われて、次の日からとにかく自転車の練習したって言ってた。
    その大家さんも数年前に亡くなりました。

    +176

    -3

  • 268. 匿名 2019/08/10(土) 18:37:13 

    沖縄の祖母の話です。
    隣人の仲良しの女の子と一緒に防空壕に隠れてきたら爆弾放たれて隣人の子の頭がふっ飛び祖母の着てたシミーズが血まみれになったそうです。

    +168

    -1

  • 269. 匿名 2019/08/10(土) 18:38:56 

    沖縄のおばあの話によると、怖いのは日本兵で優しいのはアメリカ兵だったそうです。

    +93

    -10

  • 270. 匿名 2019/08/10(土) 18:39:22 

    >>118
    マッカーサー元帥は天皇陛下と会ったときにおそらくは、命乞いをするだろと思ったらしい、だけど陛下は「私の命はどうなろうと構いません、ですが日本国民をこれ以上、苦しませないで下さい」とおっしゃったようですよ、これにはアメリカも驚いだようです

    +327

    -13

  • 271. 匿名 2019/08/10(土) 18:43:08 

    長崎出身です。
    原爆を落とされた時の話は、祖父母が亡くなってしまったので話は聞けませんでしたが、戦争に行った話は聞きました。
    食糧もなく、飢えに耐えきれず仲間の死体(お尻)を食べようとした人を殴ってでも止めたと言っていました。
    やはり人肉食は忌み嫌われたそうです。

    +233

    -5

  • 272. 匿名 2019/08/10(土) 18:43:45 

    知人に聞いた話。広島の海沿いに住んでて、疎開してる間に原爆落ちた。帰ってきたら両親が真っ黒に焦げてたそうです。その時に本人も被爆して、しばらくしてから髪が抜けたらしい。

    もう1つ、祖父はうちの実家からキノコ雲を見たそうです。岡山なのに…見えたらしい。

    +185

    -0

  • 273. 匿名 2019/08/10(土) 18:51:26 

    >>269
    日本の兵隊さんは全く余裕なくて死ぬ寸前で戦い、アメリカの本国では牛肉を食べるほどの余裕、、仕方なかったんだろうね

    +185

    -4

  • 274. 匿名 2019/08/10(土) 18:53:12 

    今から4年前、戦後70年の節目に、
    小倉の八幡製鉄所で働いていた人達の証言が新聞に載った。

    ある日、職場に、コールタールの入ったドラム缶が沢山並べ
    それに火をつけろと、上司からお達しがあった。
    良く分からない仕事と思いながらも遂行した。
    真っ黒い煙がもうもうと上がった。

    後日知ったが、それは8月9日の事で、
    官製製鉄所のある小倉に原爆を落とそうとした爆撃機が、
    黒い煙で視界不良の為、予定変更で急遽長崎に向かったのだと。

    それを知った小倉の従業員は、長崎の人達に申し訳ない気持ちで
    戦後70年ずっと胸に秘めていた。
    しかし自分達も高齢となり、70年の節目の年に真実を話す事にした。

    +231

    -3

  • 275. 匿名 2019/08/10(土) 18:55:32 

    ここ見てたら、もっとじいちゃん達に話聞いとけばよかったなと心底思う
    いま健在なのは父方の92歳の祖母だけで、じいちゃん達の戦争の話は少し知ってるけど
    おばあちゃんのことは何も知らないなって気付かされた。
    盆に帰って、嫌そうにしなければ聞いてみようかな

    +120

    -3

  • 276. 匿名 2019/08/10(土) 18:55:39 

    >>1
    戦艦大和じゃないですか。

    +22

    -1

  • 277. 匿名 2019/08/10(土) 18:59:55 

    三國連太郎さんは衛生兵(お医者ではないけど)で病気や怪我した兵隊さんを治療して死んだらみとり、助かったら又死ぬ為に戦地に送り出していたらしく、とてもじゃないが言葉に表せる気持ちではないとおっしゃってたと記憶してます

    +163

    -4

  • 278. 匿名 2019/08/10(土) 19:00:36 

    祖父が35歳で現ミャンマーで戦病死。
    帰る間際、他人に乗船を譲った後にマラリアで。
    お骨は帰って来てない。
    ハガキが残っていたけど検閲を意識してる感じだった。
    父は5歳のとき防空壕に入り損ねてうろうろしていたら、米軍機が見逃して通りすぎて行ってくれた。
    東京大空襲の数日前に祖父が懇意にしていたエライ軍人さんに祖母が「近く大変なことになるから田舎に疎開しなさい」的なことを言われ素直に従ったので命拾いした(東京大空襲との因果関係は無く偶然かもしれず今となってはわからない)。
    こんな感じです。父方も母方も戦死。戦争で幸せになる一般人は一人もいませんね···

    +182

    -0

  • 279. 匿名 2019/08/10(土) 19:00:57 

    戦争から生き抜いた人に戦争体験を聞こう!とか無神経だな、って思う。みずから話さない限りは聞かない方が良くないかな…心の傷をえぐるみたいで私はやだった。

    +34

    -12

  • 280. 匿名 2019/08/10(土) 19:03:00 

    >>59
    「憲法改正してやっつけちゃえ」 そんな世論聞いたこと無いですけど。

    +369

    -17

  • 281. 匿名 2019/08/10(土) 19:04:00 

    >>274それって、その上司はもしかしてどこかから原爆投下の情報を得ており、そのようにさせたということなのかな。
    歴史というのは、表には出てこない、様々な要因の積み重ねでできているのだな…

    +211

    -2

  • 282. 匿名 2019/08/10(土) 19:04:28 

    とてもかなう相手ではなかったんだけど日本国民の士気もアメリカになんぞなめられてたまるか‼️て感じだったようだね、山本五十六は軍に「二年は暴れて見せましょう」と言ったと聞いたよ決して勝てますとは言わなかった

    +102

    -3

  • 283. 匿名 2019/08/10(土) 19:05:01 

    祖母は子供を連れ満州に一緒に行っていっており、祖父はその地で爆死。
    敗戦後帰国時、船で子供達を連れ帰る際に「子供を譲って欲しい」と頼む現地の人が後をたたなかったそうです。そこで何人もの日本人の子供が現地に置いて行かれた。
    日本人の子は頭がいいと思われており、何人も売られた。
    船で全員連れ帰るのは大変だったが、祖母は1人も置いていくことなく日本に引き揚げました。
    まだ乳飲み子だった私の母が一番人気だったそうで。(母は7人兄弟姉妹の末っ子)
    それを「私が背負って帰るから」とまだ幼児だった伯母が泣いてうったえたと聞きました。
    だから私は祖父は写真でしか会ったことはありません。

    +197

    -1

  • 284. 匿名 2019/08/10(土) 19:05:37 

    >>60
    陸上自衛隊じゃなくて陸軍駐屯地じゃないかしら?

    +27

    -2

  • 285. 匿名 2019/08/10(土) 19:06:57 

    >>281
    274です。
    おそらくそうだと思われます。
    国で運営する製鉄所ですし。

    新聞には、時折ハッとさせられる記事が載ります。

    +140

    -1

  • 286. 匿名 2019/08/10(土) 19:07:18 

    私の祖父はシベリアに4年抑留されてた。
    毎日過酷な肉体労働で、食事はパンと水だけ。しかもそのパンも腐った粉を使ってるからお腹を壊して亡くなる人がたくさんいたらしい。
    同じ地元の人もシベリアで亡くなって、自分が帰国したらその人のお母さんに渡そうと思ってこっそり親指をナイフで切り取ったらしい。でもすぐに身体検査で没収されてしまった。
    たまたま祖父は生きて帰ってこられたけど、生きるも死ぬも紙一重の時代だったんだなと思った

    +180

    -2

  • 287. 匿名 2019/08/10(土) 19:08:04 

    >>172
    ここを見てると、旦那さんや兄弟や息子など大切な人が、戦地で人を殺して、無事に帰ってきても、人が変わったり、死の間際まで罪の意識に苦しんでいたりする。

    戦争に勝った側にも苦しみはつきまとうから、負けないことより、戦争にならない努力をしないとね。

    +229

    -3

  • 288. 匿名 2019/08/10(土) 19:08:58 

    憲兵が悪いんだとは聞い事あります、中国と日本の仲が悪いのは憲兵のせいなんだと

    +2

    -23

  • 289. 匿名 2019/08/10(土) 19:10:36 

    毎年5万円の遺族弔慰金が出るんだけど、一度だけ父が「こんな目腐れ金でごまかしやがって」とポツリと言って涙ぐんだことがある
    やっぱり父親を覚えていない半生は辛いことも多かったんだろうと思う

    +246

    -2

  • 290. 匿名 2019/08/10(土) 19:11:01 

    46歳です。
    父の家は山の奥、ど田舎のお百姓だったので空襲には会わなかったけど、空高く敵の飛行機が街の方へ飛んで行ってたのはよく覚えてると話していた。
    ある夜、遠く山の向こうがものすごい明るくなっているのを見たと言ってた。徳島大空襲だったんだそうです。
    父は7人兄弟で上の3人の兄は出征したから、アルバムで出征時の兵隊服着た伯父の写真を見ると、私は戦後まだ28年しか経ってない時に生まれたなんだと思う。

    +118

    -0

  • 291. 匿名 2019/08/10(土) 19:12:36 

    >>274
    もともと別の土地に原爆を投下する予定が、曇り空の為、当日長崎に変更になったという話は聞いたことがあったけど、とても驚いた。

    +221

    -0

  • 292. 匿名 2019/08/10(土) 19:13:22 

    >>253
    横です。
    >>116さんは「[慰安婦は]無かった」
    とはおっしゃってはいないのでは。。。

    寧ろ、あった。
    が、青木なにがし記事や隣国の主張など(「問題」)は事実とは異なる 
    とおっしゃっているように見受けられるのですが…。

    +10

    -9

  • 293. 匿名 2019/08/10(土) 19:13:34 

    戦争の話でなくてゴメン
    先日新聞のお悔やみ欄で見たお名前「大丈夫」さん
    恐らくこれで「たけお」さんとお読みするのだと思う。
    御年から察するに、戦時中に生まれて激動の戦後を生きてこられた方。
    栄養不足でとにかくモノがなかった時代、大きく丈夫に育つように、何があっても大丈夫な人になるように、と親御さんの願いが込められている素敵なお名前だと思った。
    今日キラキラネームのトピがあったけど
    いつの時代も親は名前に願いを込めるんだね。

    +265

    -2

  • 294. 匿名 2019/08/10(土) 19:17:50 

    >>89
    あなたの最愛のグランパの祖国は日本との戦争の後、朝鮮戦争、ベトナム戦争、最近では中東の戦争介入。よほど戦争がお好きな人達ですね。「もう二度とあんな悲劇はは繰り返さないで欲しい」そのセリフ、あなたのグランパにそのままお返しするわ。

    +143

    -3

  • 295. 匿名 2019/08/10(土) 19:19:36 

    >>279
    そういう考え方もありますね。

    私は「もし良かったら、当時の事教えてもらえませんか?」と聞いてみます。
    喜んで話し始める人もいれば、あまり覚えていない方もいます。

    「家族はこんな話聞いてくれないの、聞いてくれてありがとう」と言う方がいたり、
    「私は話したくない」とおっしゃった女性が一人いました。
    もちろん、それ以上は聞かないです。

    現在79歳なら終戦時5歳。断片的にしか覚えていないそうです。
    現在84歳なら終戦時10歳。詳しく覚えておられます。
    このように、戦争体験者は高齢者となってきており、
    当事者の口から語られる機会って、どんどん失われつつあります。

    +132

    -1

  • 296. 匿名 2019/08/10(土) 19:21:09 

    大阪の祖父から聞いた太平洋戦争開戦前の話

    小学生の頃、誕生日におばあさんからおはぎを貰った。甘いものが大好きな祖父は大喜びで大事にじーっと眺めてなかなか食べなかった。
    そんなときに遠くから轟音が聞こえて、地震かと思った家族はみんなで竹藪に逃げ込んだ(当時は竹藪は根がしっかり張って崩れにくいから、地震があったら竹藪に行けと言われていた)。
    祖父もちゃっちゃと逃げた。竹の皮にしっかりおはぎを包んで逃げ込んだ。隠れているときもずっとおはぎを見てた。

    あれが記憶にある一番楽しい誕生日だと言っていた。

    そしてあの日のあの轟音は、枚方市にあった陸軍の火薬庫が大爆発したものだった。

    戦争直接の話じゃなくてごめんね。
    祖父は自分は戦争にギリギリ行かなかった年だったけど、学校で親切にしてくれた先輩はみんな飛行機で飛んで行って帰ってこなかったって言っている。

    +161

    -1

  • 297. 匿名 2019/08/10(土) 19:22:00 

    >>261
    小5のとき
    「うちのお祖父ちゃんは戦地で一人も殺さなかったって言ってました」
    って言った男の子に担任(女性)が
    「そんなことあるわけない!」
    とキレたことがあったよ
    自分の受けた教育と違う情報だから腹が立ったんだと思う
    20代の若い教師だった
    まずは「そういうケースもあるのね」と受け入れてから話をするべきだったと思う

    +250

    -4

  • 298. 匿名 2019/08/10(土) 19:23:29 

    マッサージの仕事をしていますが、常連のお爺様(東京で空襲にあってる)の「防空壕、あれ、運なんだよね」ってぽつりと言った言葉が忘れられません。

    +202

    -1

  • 299. 匿名 2019/08/10(土) 19:25:06 

    >>283
    優しい伯母さんですね。

    +84

    -0

  • 300. 匿名 2019/08/10(土) 19:28:49 

    介護施設勤務で高齢者から話しを聞きます。

    「朝鮮人は生意気なんだ。
    言っても言うこと聞かない。
    引っぱたいてやらないと言うこと聞かないんだ。」

    +34

    -12

  • 301. 匿名 2019/08/10(土) 19:29:36 

    もう亡くなった祖母から聞いた話。
    中国の大連から日本に帰還する際、まだ2、3歳だった叔父に女の子の格好させたらしい。
    男の子だとか殺されるかもって思ったって。
    祖母は従軍看護婦で強い人だったけど、
    戦争のことはあまり語らなかった。

    +139

    -1

  • 302. 匿名 2019/08/10(土) 19:30:29 

    >>41
    うちのじいちゃんはそのシベリア組になったよ…

    +165

    -2

  • 303. 匿名 2019/08/10(土) 19:30:40 

    >>292

    >>116 さんが、
    「朝日新聞が謝罪記事を入れた」と言うのは、
    「強制連行があったとウソを書きました」って事ですよね。

    116さんが、
    「従軍慰安婦問題が間違いだった」と言うのは、
    何を指しているか、これだけでは読み取れないですね。

    +25

    -2

  • 304. 匿名 2019/08/10(土) 19:30:50 

    >>298
    防空壕に避難できても直撃弾受ければ木っ端微塵という意味ですかね?

    +90

    -1

  • 305. 匿名 2019/08/10(土) 19:30:57 

    高齢者から聞いた話
    死ぬ時「天皇万歳!」とは実際には言わないよ。
    「母ちゃん!」て言う人がほとんどだって。

    +263

    -2

  • 306. 匿名 2019/08/10(土) 19:31:16 

    48歳ですが、私の子供の頃、「お祖父ちゃんがいる子」って少数派だった記憶があります。皆悉く戦死。ウチは海軍、ウチはシベリア、みたいな。当時は当たり前のように思ってたけど、今思うと異常なことですよね。

    +207

    -1

  • 307. 匿名 2019/08/10(土) 19:33:14 

    >>304
    蒸し焼きになることも多かったのでは
    そんな話を聞いたことがある

    +98

    -2

  • 308. 匿名 2019/08/10(土) 19:33:29 

    祖父はボケてしまい老人ホームに寝たきりでした。
    私のことも忘れているようでしたが、そんな状態でも話すことは戦争のこと。
    大砲をドンドン打っていた、という話しをしていました。
    当時の人としては大柄だったので前線で戦っていたのかと思います。
    残っている記憶が戦争なんて悲しかったです。

    今は私も子供もいて、戦争するなんてなったら活動家のごとく反対したい。

    +180

    -4

  • 309. 匿名 2019/08/10(土) 19:34:50 

    >>297
    教師ですから、ニュートラルな対応をして欲しいものですね。

    南方で、小さな島に配属された人は、毎日魚釣りをしてたって。
    上空を戦闘機が素通りして、大きな島の方へ行くのを見てた。
    と、兄が語ってたと、あるおばあちゃんが言っていました。

    外地へ兵隊に行っても、戦闘しなかった部隊があったのも事実です。

    +154

    -1

  • 310. 匿名 2019/08/10(土) 19:34:57 

    祖母から聞いたんだけど、終戦、勝った国の人達からレイプされるから表に出るなって言われてて4姉妹で震えて隠れてたけど、結局そんなこと無かったって。
    ほんとは学校の先生になりたかったけどお国のためにって断念した。
    今の子達みたいに空襲の心配とかせずに友達と遊びたかったって。
    祖父は当時まわりが出兵する中、自分は身体が弱く赤紙がこず非国民扱いされ辛かったと。

    二人共 戦争の話しは思い出したくないって滅多に話してくれなかった。

    +157

    -1

  • 311. 匿名 2019/08/10(土) 19:38:21 

    今まで感じたことなかったけど、ここ読んで、いま日本に生きてる私たちは戦争で生き残った人とその子供なんだね。

    +215

    -1

  • 312. 匿名 2019/08/10(土) 19:40:30 

    +16

    -2

  • 313. 匿名 2019/08/10(土) 19:40:51 

    >>304
    そうです。自分の逃げ込んだ防空壕がたまたま攻撃されなかっただけ、だから助かったって。

    +131

    -0

  • 314. 匿名 2019/08/10(土) 19:42:04 

    友達のお爺さんがシベリアに抑留されて仲間が殆ど死ぬ中、数年経ってやっと帰ってこれたって。
    その後に同級生のお父さんが産まれたので、お爺さんが生き残らなかったら友達も産まれてなかったんだよね…と運命って本当に紙一重だね。

    +120

    -1

  • 315. 匿名 2019/08/10(土) 19:43:14 

    祖母は山梨の田舎育ちで、空襲の被害に遭うことはなかったらしい。
    でも白昼畑の畦道を歩いていると、低空飛行した戦闘機が突然住人を撃ち殺すことがあったらしい。

    +131

    -1

  • 316. 匿名 2019/08/10(土) 19:44:13 

    >>314
    豪雪の中を延々と移動するらしいね。寒くて寒くて、ひもじくて辛かったらしい

    +48

    -0

  • 317. 匿名 2019/08/10(土) 19:44:13 

    >>296
    好きなものもらって食べずに大切に持っておくのが可愛くて。
    今の子と変わらないね。
    それに、空襲や原爆で命を落としたり生き残っても辛い体験した子にも、こんな日常あったと思うと辛い。
    今と変わらない日常の隣り合わせに戦争があったって言う事を実感して、恐ろしい。

    +140

    -0

  • 318. 匿名 2019/08/10(土) 19:44:19 

    祖父の話。
    医師だったので赤紙が3回も来て、全て軍医として東南アジアに行ったそうです。現地での生活は凄まじかったらしく、終戦後も体を壊し60代前半で亡くなりました。会ったことない祖父ですが、いつも仏壇に手を合わせ、こういった話を忘れない様にしています。

    +157

    -0

  • 319. 匿名 2019/08/10(土) 19:45:10 

    実際、聞いた話ですが。

    都会の人達は、戦後食べ物がなくて苦労したそう。
    これは平和教育の授業でも学んだ内容。

    しかし、田舎の農家の人達は、自給自足なので、何不自由なく食事していたらしい。
    空襲もない。戦闘機もみたことがない。
    これは知らなかった。そうか、日本も広い。地域性があるんだと学んだ。

    千葉県など、都会に近い農家には、
    「この着物と、何か食べ物を交換してもらえませんか?」と
    よく訪ねてきたみたいです。

    +198

    -1

  • 320. 匿名 2019/08/10(土) 19:46:34 

    >>314
    一つのパンを取り合って、それ見られたかなんかで仲間が殺されたりなんかしたらしい。爺ちゃんが言ってた

    +71

    -2

  • 321. 匿名 2019/08/10(土) 19:48:48 

    >>306
    そうか…そうですよね…
    どうして思い至らなかっだろうな私。
    生まれた時には既に祖父がいませんでした。
    なんだかとっても哀しくなりますね…

    +85

    -1

  • 322. 匿名 2019/08/10(土) 19:53:51 

    母方の祖父母と一緒に暮らしていたので、色んな話を聞きました。

    広島県民という環境もあってか、たくさんの話を聞きました。怖いと思ったことはなくて、おじいちゃん生きててくれてありがとう。しんどかったんだね。おじいちゃんが行きていたからわたしがいるんだね、わたしは幸せだよ。と思いながら話を聞いていました。

    中学を卒業後に大久野島で毒ガスを作っていました。毒ガスを作るのはまだ戦場には行けない15〜6歳がほとんどで、これはあまり知られてないと思うのですが毒ガスづくりをするとお給料がかなり貰えました。なので、大久野島に近い地域の貧乏な子や部落の子が集められました。


    戦争へ行ける年齢になった頃(と言っても18才くらい)海軍へ招集されました。

    そのとき曽祖母は「◯◯(祖父)を戦争には行かさん!」と、言ったそうです。戦争漫画では、よく「お国のためにがんばってね、いってらっしゃいね」というシーンを見ますが、うち以外は本当にああいう感じだったのでしょうか?


    海軍では回天という潜水の特攻隊の指導者でした。自分より若い男の子たちが、特攻の前日「お母ちゃんお母ちゃん」と大泣きしていたそうです。どの子も胸を張って「天皇陛下万歳!光栄です!」とは言っていませんでした。

    8月に入り回天の乗組員が減っていき、いよいよ自分の番だな、というとき広島に原爆が落ちました。
    原爆が落ちた日は宮島港辺りにいたけど、爆音とキノコ雲がすごかったと。

    特攻は延期になり、次の日には爆心地へ入って驚いたのは驚いたけど、そんな暇もなく大きな穴を掘り、遺体を積み重ねて焼く、を毎日毎日繰り返しました。(余談ですが心霊トピがいくつか立っていますが、祖父は「わしはあんだけの罪もない大人数の人を恨まれるような雑な扱いをして、まとめて焼いたのに幽霊は見たことない。幽霊はおらんのんじゃ。一番恐ろしいのは人間なんじゃ」と言っていたので、わたしは幽霊は信じていません。)

    祖父が爆心地で作業していた時、従軍看護婦だった祖母も爆心地へ入っていたそうです。のちに結婚する際に祖母の方から「自分は被爆者なんです」と言いました(女性は被爆者であることをカミングアウトしたら結婚を断られる時代だったそうです。でも祖母は騙すようなことはしたくなかったとのこと)


    祖父が兵隊だったとき、先輩からのしごきが毎日のようにありました。真っ暗な部屋で正座をした状態で複数の先輩に囲まれて殴られたり蹴られたり。

    先輩達は暗かったからバレてないと思っていたそうですが、暗闇にしばらくいると目が慣れてきて、靴に書いてある名前を暴力を受けながらジッと見ていました。

    戦後何十年か後に偶然そのしごきをした先輩と街で会ったとき、こちらから「あのとき殴った先輩ですよね」と言った訳でもないのに、先輩の方がバツが悪さに目を逸らしたそうです。

    祖父は直接戦場へ行き人を殺してはいませんが、他界するまでほぼ毎晩その当時の夢にうなされていました。

    祖父の口癖は「仲良お、せえよ」でした。
    気の強い母親と気の強いわたしがよくケンカをしていたのですが毎回祖父が「仲良お、せえよ」と言っていました。認知症になっても言っていました。


    祖父から色んな話を聞いて、広島以外のこともたくさん調べるようになりました。悲劇が起こったのは広島だけでは日本だけではないんですよね。

    わたしが戦争を調べて何になる、、、かは分かりませんが、これからも一生平和学習を続けていきます。


    ちなみに祖父の従兄弟は戦艦大和へ乗っていました。父方の祖父は満州へ行きたくさんの人を殺してしまったそうです。

    これ以上長くなるのは申し訳ないので、ここまでにしておきます。

    +310

    -3

  • 323. 匿名 2019/08/10(土) 19:56:50 

    >>314
    シベリア組の人は精神的にやられちゃう人も多かったみたい。

    +88

    -2

  • 324. 匿名 2019/08/10(土) 19:58:55 

    >>204
    遠藤周作のエッセイにも、毎朝勤労奉仕に向かう道ばたに、昨晩の空襲で亡くなった人が何人も横たわっていても、無感情にただ歩くだけだったって書いてありました。ほかにも実際に戦地に行っていた先輩が、かなり年下の恋人ができたけど「キスをするときに彼女が目をつぶるけど、自分は目をつぶれない、目をつぶるといろいろ思い出してしまって・・・」と話していたとか、書いてありました。

    +147

    -1

  • 325. 匿名 2019/08/10(土) 19:59:11 

    幾つかのコメントにあった日本人のシベリアでの過酷な労働。
    ユダヤ人の強制労働と重なりました。

    国は違いますが、ホロコーストで強制労働させられた
    ユダヤ人精神科医ビクトール・フランクルの著作「夜と霧」。

    過酷な目にあっているが、冷静に自らの精神分析をしています。
    精神科医がそんな体験をし、ましてや生き残り、さらに、それを本にした。
    人間は極限状態ではこのように思考する。

    だって、戦後、別に本は書かなくてもよかったのだし(思い出したくない記憶)、
    生き残ったのも奇跡的です。たまたま精神科医だった。
    やっぱりこれは、奇跡の本です。

    戦争を知る上で、欠かせない本の一つに必ず挙がります。
    >>1 さん読んでみてください。

    +110

    -1

  • 326. 匿名 2019/08/10(土) 20:00:33 

    うさぎはおいしい
    ねこはまずい、食べられないと亡くなった祖母が言っていました。

    +117

    -1

  • 327. 匿名 2019/08/10(土) 20:04:04 

    小6の時に担任が休職の時に来てくれた先生が、戦争の最前線に配置された人だった。
    授業そっちのけで体験談を話してくれてたんだけど 当時は全く興味もなくほとんど聞いてなかった。

    覚えてるのは とにかくいつ殺されるかわからないし、助かりたければ殺さなきゃいけないっていうことから、ずっと恐怖に怯えてた。
    敵をみつけて襲撃の為に身を潜めてた時に、その緊張感からおかしくなった仲間が飛び出してしまい、助けに行った他の仲間が亡くなったりとかもよくあった。
    食べる物がなく、汚物をおむすびっていって握って食べてしまう人もいた。
    この状況がいつまで続くのかとか考えるとおかしくなりそうだったって。
    こういう経験は 後世に語り継がなきゃいけない。戦争は絶対にしてはいけない。

    もっとちゃんと聞いておけば良かった…。

    +185

    -0

  • 328. 匿名 2019/08/10(土) 20:05:02 

    >>322
    ご本人の口から聞いた貴重な体験談、ありがとうございました。
    知らない事が沢山知ることができました。

    わたしも戦争の事は、なかなか聞ける人がいないので、
    夏になると戦争関連の本を読むようにしています。

    +161

    -0

  • 329. 匿名 2019/08/10(土) 20:07:04 

    敵を10人殺さないと日本には帰れないぞ!

    と言われたらしい。亡くなったじいちゃんだけど北朝鮮の方に行ってたと聞いた。

    +114

    -0

  • 330. 匿名 2019/08/10(土) 20:08:24 

    >>302
    うちのお祖父さんもシベリア抑留したって。
    手記が残っている。

    +105

    -0

  • 331. 匿名 2019/08/10(土) 20:08:49 

    撃たれて倒れる時は敵の方向へ倒れよ!
    精神論がすごかったらしいです。

    +94

    -0

  • 332. 匿名 2019/08/10(土) 20:10:25 

    >>53
    うちの祖父はかぼちゃも嫌いだった

    +102

    -0

  • 333. 匿名 2019/08/10(土) 20:16:49 

    >>44
    たしかに戦争はとても悲惨だし戦争と増税どっちがいいかって聞かれると、みんな増税って言うだろうけどそれはそれで死活問題だからなあ

    +217

    -6

  • 334. 匿名 2019/08/10(土) 20:17:00 

    母から聞いた話です。
    母が幼い頃、朝起きたらおばあちゃんが泣いていて
    訳を聞くと「特攻隊の兵隊さんの夢を見た」とのことで

    「ばあちゃんは女学校の頃、鹿児島の滑走路の脇から桜の枝を振って飛び立つ兵隊さんを何人も見送ったらしいんよ」
    「毎日毎日飛び立つもんだから慣れてきて そん時は泣かんかったらしいんよ」
    「そん時に見送った優しい兵隊さんの夢やったらしいんよ泣かんかった分 何十年も経って泣いたんかなぁ」

    曾祖母の記憶はわずかです。
    ニコニコしていた記憶しかありません。









    +168

    -1

  • 335. 匿名 2019/08/10(土) 20:17:07 

    >>42
    私もそう聞いた。サーチライトじゃなくて、空襲だけど。ちょっとはなれた所に大きな市があって、そこに夜に空襲あって、遠くから見えて祖母は「キレーだな」と思ったって。

    本当にマジな大変な話は、現代なに不自由なく生活してる、無邪気なかわいい孫娘には話たくなかったんだろうと、今は分かる
    人間のドロドロした部分出てくるし

    +149

    -3

  • 336. 匿名 2019/08/10(土) 20:18:08 

    何人かの人が書いているけど、私の父もサツマイモがゆやすいとんは二度と食べたくないと言ってた。
    よく戦時中の料理とかで再現したりするけど、当時のサツマイモは今のみたいに美味しくなかったし「粥」と言ってもご飯なんてほとんどなかった。
    すいとんも全然美味しくなかったらしい。
    あとよく聞くのが学校で出た脱脂粉乳。これがまたすごく不味かったらしい。
    祖父は大工だったけど積極的に仕事探す人じゃなかったから祖母があちこちあたって仕事探してたって。
    戦後は本当に悲惨で、お金ないから高校も諦めて祖母は父が18の時亡くなった。
    よく「俺の青春時代は真っ暗で希望なんてなかった」と言ってた。

    +115

    -0

  • 337. 匿名 2019/08/10(土) 20:19:34 

    >>11
    私の亡くなった祖母も!怖いものなくて、蜘蛛やGなど手で捕まえる人で、何があっても動じない人でしたが、私が小学2年の時に姉の戦争について聞いてくるって宿題があり祖母に聞きにいった。
    祖母は一言戦争はやっちゃならねーとだけ言っていた。その祖母の表情から怖さも伝わってきた。それ以上話したがらなかったし聞けない。今でもハッキリその時の事を覚えてます。

    +268

    -1

  • 338. 匿名 2019/08/10(土) 20:20:34 

    >>236
    ベトナム戦争の後も、精神を病んだ兵士が沢山いたそう。
    「戦争は人が人でなくなる」。
    戦後に、精神が病んだり、眠れなくなったり、シワ寄せが来る。

    アメリカの精神カウンセラーの数は、日本の60倍います。
    人口は、日本の3倍なのに。

    現代においては、戦争の影響というより競争主義から必要とされているのか。

    +131

    -1

  • 339. 匿名 2019/08/10(土) 20:22:34 

    父に聞いた話ですが、空から焼夷弾が降るなかで、道に焼け焦げた死体があるところを逃げ惑ったそうです。当時は死体を見てもなんとも思わなくなるほど極限情態だったようです。あの東京大空襲の中で生き残った両親は80をとうに越しなんとか元気で過ごしています。

    +125

    -5

  • 340. 匿名 2019/08/10(土) 20:24:07 

    >>322
    うちの祖父は徴兵検査の前夜、父親に「頼むから醤油飲んでくれ」と哀願されたそうです。
    その時はもう昭和20年に入っていて、祖父の長兄はすでに戦死、次兄も南方に行ったきり手紙も途絶えて死んだと思っていた祖父の父は、最後の息子である祖父をどうしても戦争に行かせたくなくて、徴兵逃れの醤油飲みをお願いしてきたそう。

    でも祖父は検査受ける以上、不合格にはなりたくなかったので断ったと。そして甲種合格。

    まあこれも運命というか、その後祖父は乗っていたバスが川に転落して腕を骨折、出征が大幅に遅れて戦争には行かなかったそうです。
    「腕折れとっても、軍事教練させられて大義じゃった」と言ってました。

    +178

    -0

  • 341. 匿名 2019/08/10(土) 20:25:18 

    学生時代に電車の中で英語の教科書を読んでいたとき、おじいさんに話しかけられた
    「英語は敵国語だから学校で習えなかった」と言われた
    おじいさんは硫黄島でも従軍していて、
    「『硫黄島の手紙』は当時の戦場をよく再現してあるからぜひ見て欲しい」
    とお勧めされた

    +202

    -1

  • 342. 匿名 2019/08/10(土) 20:25:45 

    >>53
    私の父はうどんでした。理由は聞いてませんが。つゆもなく茹でてそのまま食べていたと。今も大嫌いで食べません。

    +126

    -2

  • 343. 匿名 2019/08/10(土) 20:27:12 

    戦後はとにかく食べるものがなく、たいへんひもじい思いをしたそうです。父もガリガリで栄養不足から結核になり数年間自宅で療養生活を送ったそうです。

    +86

    -2

  • 344. 匿名 2019/08/10(土) 20:27:41 

    うちのほう、戦時中は米と麦。ちょっとお金持ちの商店のお店の家は米オンリー。麦ごはんは今でも父は絶対拒否。たとえ麦とろでも拒否。
    ただ戦争末期は輸送船が北海道から出ず、ジャガイモの種芋が届かず仕方なく
    じぶんちで採れたジャガイモを種芋にしたら不味かったそう。埼玉です。
    あと、食料が無くてヤバイのはむしろ戦後で、
    インコ飼ったときインコの餌を見た祖父は「あっこういうの、食べたんだで!」と一言。
    ただ進駐軍のチーズは誰も食べたくなかったって。アメリカのチーズ臭いんだって

    +99

    -0

  • 345. 匿名 2019/08/10(土) 20:28:27 

    >>322
    ありがとうございます。
    もし、お時間あって気が向いたら、
    またお話し教えてもらいたいです。

    +108

    -0

  • 346. 匿名 2019/08/10(土) 20:30:31 

    祖父母世代の男の子の遊びは
    陣地取りに軍用機の絵を描いたり模型を作ること
    歌を歌う時は軍歌
    戦争一色だった

    +55

    -1

  • 347. 匿名 2019/08/10(土) 20:31:23 

    前にテレビでも特集やってたけど…玉音放送、まず天皇は戦争は勝ってるとしか聞いておらず、こんなに亡くなったり、食糧難になってると知った時に涙を流してもうやめようってなって、レコードに敗戦、終戦を録音した。
    でも続行したい人達もいて、レコードを破壊されるかもしれないからダミーを作ったりして 託された人達は死に物狂いでNHKに走った。
    無事に放送されたあと、自害も考えてたらしいんだけど、今ここで自害したら国民の支えがなくなるからって言われて断念したって。戦犯として処刑しなかった理由もその一つだった。

    って感じで放送したグループの人から伯父が教えてもらったって言ってた。

    +127

    -3

  • 348. 匿名 2019/08/10(土) 20:32:00 

    祖父は学徒出陣で南方に行った
    小さい部隊を率いて草、蛇、虫など口にしながら敵から逃げて逃げて逃げまくり、祖父の部隊だけ全員生き残った
    祖父が亡くなったとき、戦友の方々が今も命があるのは祖父のおかげととても感謝してくれたと同時に、取り乱すほどの大変な悲しみようだったことを覚えている
    子供の頃は「逃げ回るなんてずるい、恥ずかしい」と思っていたけれど、大人になるにつれあの時代によくそういう判断ができたものだと尊敬するようになった

    +160

    -3

  • 349. 匿名 2019/08/10(土) 20:32:30 

    実家の庭には家族用の防空壕が掘ってあって、警報が鳴ると急いでそこに入ったそうですよ。

    また、海辺の町なので海からの艦砲射撃もあって、近所の人がそれに巻き込まれて亡くなったとも聞いています。

    +83

    -2

  • 350. 匿名 2019/08/10(土) 20:33:50 

    うちの爺ちゃんは満州からシベリア組で中国語も少しなら話せる、その爺ちゃんが中国人も韓国人もクソだって言ってた。小さい時は理由が分からなかったけど、大人になってその理由がよく分かったわ

    +128

    -6

  • 351. 匿名 2019/08/10(土) 20:35:08 

    >>4
    今年はどんな戦争ドラマが放送されるかなって毎年楽しみにしてた。再放送でもいいのに。
    「さとうきび畑の唄」とか。

    +285

    -12

  • 352. 匿名 2019/08/10(土) 20:37:26 

    >>79
    私の祖母もです。昨年亡くなりましたが、花火の映像や音を聞くと祖母の言葉を思い出します。

    +128

    -1

  • 353. 匿名 2019/08/10(土) 20:37:26 

    祖父は戦地にはいかずに、山奥で武器を作る責任者をしていたそうです
    義母は東京の空襲の時に、防空壕へ逃げる時B29がたくさん飛んでいるのを見ていたそうです
    今でも忘れられないと言ってます

    +70

    -0

  • 354. 匿名 2019/08/10(土) 20:38:01 

    >>108
    大勢の人がいるからみんなそうだとは言えないけど、
    >>91
    のように思った人もいれば
    >>108
    みたいに思った人もいると思うけどな。私は、「死にたくない」ってのが根本にあっても「自分が行くことで家族や日本が助かるなら」っていう気持ちがあって志願した人もいたと思ってる。

    +146

    -4

  • 355. 匿名 2019/08/10(土) 20:39:10 

    祖父から聞いた事があります。

    お夕飯に「雑穀米」を炊いて出して見たんだけど
    急に「これはどこで買って来たんだい?」と言うので
    「これだよ。」って教えたら「戦地で食べた・・・。懐かしいな。」と言いました。
    雑穀米の中のタカキビって雑穀の事を良く言ってました。
    「赤米がなぁ・・・。」と何度も言うのであまりいい思い出ではないのかもと思い
    出したのは2回位だった。

    大連で通信兵だった祖父はあまり多くは語りませんでした。
    多分だけどいい思い出なんて1つもないと思うし・・・。
    終戦は戦地で迎え玉音放送を聞いたとか。
    病に倒れた戦友を病院に連れて行き
    その戦友は帰国する事無く戦地で亡くなったって言ってました。
    「戦争さえなければ・・・。戦争さえなければ・・・。」と何度も言ってました。
    関東に住んでるけど戦地から引き揚げて来て最初に日本の地を踏んだのは佐世保だったそうです。
    そこから汽車を乗り継いで乗り継いで地元の駅から15㌔位離れてた家に歩いて帰り
    到着したのは深夜だったとか。
    家人は「こんな夜中に誰が来たんだ?」と思い戸を開けると立っていたのは
    シラミだらけの祖父。
    来てた衣服はすぐに焼却してお風呂を沸かしたそうです。
    7年前に祖父は亡くなったけどもうすぐお盆。
    帰って来てくれるだろうな。きっと。

    +212

    -0

  • 356. 匿名 2019/08/10(土) 20:39:33 

    >>342
    私の父も言ってました。祖母がうどんに直接醤油をかけて食べてたって。
    みんな生きることに必死な時代だったんですよね。

    +89

    -1

  • 357. 匿名 2019/08/10(土) 20:39:58 

    348ですが祖母の話も
    東京の女学生だった祖母が軍需工場で作業をしていたとき、近くにいた大学生の腕が機械に挟まれ飛んで行った光景が90歳を超えた今でも忘れられないそうで、戦争のことはそれ以外何も話そうとしない

    +95

    -0

  • 358. 匿名 2019/08/10(土) 20:42:06 

    小学生の頃、おばあちゃんから聞いた。
    本当に怖かった、日本が負けたときは悔しかったって。
    そんなおばあちゃんももう認知症になってしまったけど。でも、昔の記憶は覚えてるのかな?

    +64

    -1

  • 359. 匿名 2019/08/10(土) 20:42:49 

    >>332
    筒井康隆がエッセイで、奥さんに騙し討ちでかぼちゃたべさせられて「それ、かぼちゃよ」と言われて腰が抜けたと書いていた。疎開先でいじめられたり、校庭を機銃掃射されて友達がバタバタ死んだりしたそう(学校はやられないというのは嘘だったと)

    +98

    -0

  • 360. 匿名 2019/08/10(土) 20:43:39 

    >>359
    自己レス。身近じゃなかった、ごめん。

    +15

    -0

  • 361. 匿名 2019/08/10(土) 20:43:49 

    >>350
    あれだけの空襲とかあったけど、アメリカは京都や奈良の歴史ある建造物は手をつけちゃいけないって決まりがあったとか…。

    戦争じゃなくてもそういう建造物にオイル撒いたりする国の人達もいるのに。昔から変わらないんですね。

    +139

    -8

  • 362. 匿名 2019/08/10(土) 20:44:52 

    祖父が大学出なんだけど、当時は大学出は
    大事にされたらしく戦い方の知識も何もないのに
    いい役職につけられ、自分の指示で
    階級が低い兵が何人も死んで悲しかった
    といってたなあ。。。みんなの骨持って帰りたかったけど、焼く暇もなかったって。

    今も時々、国から戦争のときは
    ありがとうございました的な
    品物が祖父に届くけど、届くたびに
    こんなもんに無駄な金使ってんじゃないよ…
    と怒っていたなあ。。。

    +153

    -2

  • 363. 匿名 2019/08/10(土) 20:45:48 

    >>315
    高校のときの高齢の英語教師も言ってた
    子供のとき、あぜ道を歩いていたら機銃掃射された
    超低空飛行で米兵の笑ってる顔が見えたと

    +123

    -0

  • 364. 匿名 2019/08/10(土) 20:48:17 

    >>363
    戦争だとしても、笑いながら自分のこと殺そうとする人間みたらトラウマになる…それも子供で。

    +162

    -1

  • 365. 匿名 2019/08/10(土) 20:48:28 

    >>133

    私も同じく小学生の時宿題に出されました。
    祖父はほとんど話してくれませんでしたが、祖父が亡くなった後に、
    生存者の少ない海外の戦地に赴いていたことを聞き、悪気はないとはいえ
    当時を思い出させてしまったという申し訳なさと、そんな大変はところから
    生きて帰ってくれたおかげで親や兄弟や私がいるという感謝で涙が止まりませんでした。

    当時、昭和天皇=悪、とも教えられました。
    珠玉混在ですが、ネットの普及で様々な情報を得られる時代になって良かったと思います。

    +201

    -3

  • 366. 匿名 2019/08/10(土) 20:49:13 

    直接聞いたわけじゃなくて祖母経由だけど祖父は「フィリピンで関係ない現地の人たちをたくさん殺した。やりたくなかったけど命令で仕方無かった。人でなしだからきっと地獄行きだ」と死ぬまで悔やんでいたよう
    クリスチャン家系じゃないのに祖父だけクリスチャンだったのはその罪の意識からのよう
    「南洋の人達を見たら親切にしてやりなさい」とよく言ってたようでその影響かわからないけど母が日本語教師の資格とって一時期ボランティアで教えてた

    +139

    -3

  • 367. 匿名 2019/08/10(土) 20:51:22 

    父が長崎市民。
    爆心地からは離れていたので被爆者ではないですが、B29から投下された爆弾は見たそうです。
    落下傘がついていたのでその時は爆弾とは思わなかったと。
    その後爆風と凄い量の紙が飛ばされて来たと言ってました。

    +97

    -1

  • 368. 匿名 2019/08/10(土) 20:52:30 

    >>36
    うちの祖父も満州に行ってましたが、足を負傷して帰って来たみたいです。

    +78

    -1

  • 369. 匿名 2019/08/10(土) 20:53:27 

    おじいちゃんが缶とブーゲンビリアの花を持って帰ってきた、とおばあちゃんから聞いたような…
    ああ、もっと色々聞いておけばよかった。

    +58

    -2

  • 370. 匿名 2019/08/10(土) 20:53:40 

    >>347
    阿南陸軍大将は本土決戦に賭けて戦争継続を主張していたけどポツダム宣言受諾が決定され、
    玉音放送を聴くこともなくポツダム宣言の正式な受託返電のまえに割腹自殺したんだよね。
    敗戦は明らかな局面だったと思うけど、継続派と終結派がいて、それぞれ強固な意志があったんだなと思った。

    +62

    -1

  • 371. 匿名 2019/08/10(土) 20:55:02 

    >>361
    奈良はよく知らないけど京都は原爆落とす候補地だった
    候補地は原爆の威力を測定するため敢えて空襲せず建物などを残していた
    次は小倉か長崎か京都か新潟か…という話になったとき、京都は天皇所縁の地だから原爆落としたら日本人の強い反発を招いて戦後統治に悪影響を及ぼしかねないので外された

    +91

    -0

  • 372. 匿名 2019/08/10(土) 20:56:32 

    >>366
    よく東南アジアは日本軍が白人の植民地から開放させたから感謝されてるって言ってて、それも一理あると思うけど。実際こういう話を聞かないと、どんな状況だったか本当の事は分からないよね。

    +66

    -1

  • 373. 匿名 2019/08/10(土) 20:56:41 

    >>356
    最近知ったんです。好き嫌いなのかと思っていたのですが。戦後何もなくて毎日毎日うどんだったそうです。祖父は満州で亡くなり、祖母は1人で必死に子供5人育てたそうです。うどんなら毎日でも良いかなって思いましたが、きっと今とは全然違うので美味しくはないと思います。今はなんでも欲しい物が手に入る本当に恵まれてると思います。祖母が生前、マクドナルドのシェイクを飲んだ事があるんですが、こんなに美味しい物は初めてと美味しいと飲んでいました!戦争を体験して何もない戦後を経験し生き抜いて来た祖母、また、買ってきてとかまた飲みたいとかじゃなくて、私に飲んで!美味しいのよ飲んで!買ってきなさいとお金を渡してくれました。祖母は自分の事より私や他人の事を優先にする自分の事は後回しにして。色々な事をこの年代の方々に教わりたいな教わらなくちゃいけないんだなと感じました。肩がぶつかったから傘で目を突くとかベビーカー邪魔とかうるさいとか、公園でボール遊びは禁止だとか。いつからこんな風になったんだろうと思いました。

    +263

    -0

  • 374. 匿名 2019/08/10(土) 20:57:06 

    患者の95歳のおじーさんに日本万歳日本のために死ぬ!って人はいなかったって聞いた

    +105

    -1

  • 375. 匿名 2019/08/10(土) 20:58:44 

    >>39
    友達のおばさんもやはり赤ちゃんということで嫌がられて
    防空壕を追い出されたけど、その後防空壕がやられたので
    紙一重助かったそうです

    +450

    -4

  • 376. 匿名 2019/08/10(土) 20:58:51 

    読んでたら泣きそうになるトピなのに読んでしまう

    +145

    -0

  • 377. 匿名 2019/08/10(土) 20:59:08 

    祖父の話ですが……
    祖父の父親が満州で大工をしていたそうです。出稼ぎというのでしょうか?
    中国人の使用人を何人も雇うほどの裕福な暮らしだったそうですが、太平洋戦争が始まる前年に足腰を悪くし、日本に帰ってきたとのこと。
    その頃祖父は小学生くらいで、ぼんやりとその頃の暮らしを覚えていて、私たち孫に戦争体験というか満州時代の体験を教えてくれました。

    +78

    -0

  • 378. 匿名 2019/08/10(土) 21:01:43 

    他トピでも書いたんだけど、10年前に亡くなったけど、うちのじーちゃんが戦争行ってました。
    小学校の時、戦争の勉強の時に話しを色々聞きました。
    フィリピンのジャングルみたいな所で3ヶ月以上さまよった事、その時に目の前を爆弾が何度も通った事、飢餓で人が人を食べるのを目の前で見た事。
    最後のは小学生ながら、戦争の恐ろしさを知りました。
    終戦後、数ヶ月後に日本に戻り、戦争に負けた事を知ったそうです。

    じいちゃんが生きて帰ってきてくれたから、今私がいます。

    +135

    -2

  • 379. 匿名 2019/08/10(土) 21:02:02 

    毎年思うけど甲子園のサイレンは何とも思わないのかな?

    +160

    -1

  • 380. 匿名 2019/08/10(土) 21:04:35 

    今、NHK総合であちこちのすずさんってやってるよ。見れる人是非。戦時中の話してるから。

    +48

    -1

  • 381. 匿名 2019/08/10(土) 21:06:36 

    BSプレミアムでシベリア抑留やってる
    抑留に限らず他の体験もだけど、「老後はしっかり年金貰える保証をしますからやりませんか」って言われても嫌だな
    私の祖父の弟さんも抑留してきたよ

    +83

    -0

  • 382. 匿名 2019/08/10(土) 21:07:40 

    ちょっとこわいと思う人もいるかもしれないから行間開けます。



    戦時中おじいちゃんが身体を撃たれて、でも命は大丈夫だった。
    老衰で亡くなったんですが、身体を焼いたあとに、骨と一緒に玉が出てきました。
    戦争の話はお酒を飲んだ時しかしてくれなかった。辛かったんだろうな。

    +190

    -1

  • 383. 匿名 2019/08/10(土) 21:07:43 

    >>326
    ウサギのお肉は戦前食べられてたよ、ウサギはハイカラだったんじゃ?
    兵隊で戦前東京にいって勤務した祖母の兄が、
    ライスカレーとウサギの肉の西洋料理を食べて
    「こんなすごく美味しいもんがあるんだ!(特にカレー!)」って、教えてくれたって。
    猫……は分からないけど

    +66

    -0

  • 384. 匿名 2019/08/10(土) 21:08:28 

    父方の実家が東京大空襲で焼けました。
    逃げ遅れた下の兄弟が窓から見ていたことが
    忘れられないと言っていました。
    役所も焼けてしまったので戸籍を作り直すのが
    大変だったそうです。

    +117

    -1

  • 385. 匿名 2019/08/10(土) 21:09:53 

    介護現場で働いてるので、戦争当時の話は良く聞きます。
    本当に偶然だけど、うちのデイサービスに戦艦大和作った人と、戦艦大和乗った人がいると知ったときは鳥肌たった。

    戦争体験語ってくれるけど、実際戦場にいた男性人は必ず涙を流してる。本人たちにとっては今でも鮮明に思い出せる、過去の話じゃない。

    +183

    -0

  • 386. 匿名 2019/08/10(土) 21:09:56 

    >>347
    マッカーサーは終戦後、日本へ赴いて天皇と対面する時に命乞いをしてくるものだと思ってたらしい(父親が同じようなシチュエーションで命乞いをしてくる人を幼いながら見てたから)でも実際、天皇と対面したら、戦争の責任は全て自分にあり。自分はどんな処罰も受けるけど、どうか国民の身だけは案じてほしい。っていうような発言をして、マッカーサーを感動させたって話がある。

    +139

    -6

  • 387. 匿名 2019/08/10(土) 21:10:55 

    nhk観てるけど、戦時中でもパーマしてたんだって。

    +28

    -2

  • 388. 匿名 2019/08/10(土) 21:11:58 

    >>39
    日本兵に泣く赤ちゃんは殺せと言われたと聞きました。

    +320

    -4

  • 389. 匿名 2019/08/10(土) 21:12:24 

    親戚のお爺さんは、戦艦に乗ってて爆撃され海に放り出されたらしい。瓦礫か何かに掴まって浮いていたんだけど、周りにいた仲間が一人また一人と死んでいく。ただ不思議と恐怖とかはなくて、ひたすら「お母さんに会いたい」ということしか思っていなかったと。
    そのうちに体力も限界になり、自分が生きているのか死んでいるのか分からなくなってきたが、自分の尿の温かさで「ああ、まだ生きている」と実感したと言っていました。かなり昔に聞いた話だけど、壮絶すぎて忘れられない。

    +162

    -0

  • 390. 匿名 2019/08/10(土) 21:13:02 

    婆ちゃんが近くの田んぼに落ちたアメリカのパイロットを村総出で鎌だの棒でボコった話を聞いたよ
    真っ黒に汚れて手を合わせて何か頼んでるようすだったけど兵士に連行されたらしい

    +96

    -0

  • 391. 匿名 2019/08/10(土) 21:13:58 

    祖母の兄達が兵隊に行って亡くなった。二人とも今で言う高校生の年だった。軍から返ってきた遺骨箱(遺骨は入ってなかったらしいけど)を抱えて祖母の母は部屋中を転がり回りながら泣き狂っていたらしい。

    息子が二人出来た今、曾祖母の悲しみが昔以上に分かるようになったよ…

    +163

    -1

  • 392. 匿名 2019/08/10(土) 21:15:03 

    >>354
    特攻隊として出撃し、機体の不調等の理由で帰還した方の証言があります。
    今の私達からすれば 生きていて良かった に落ち着くのですが
    当時、帰還した(できた)方々は罪人のように扱われ、極秘裏に施設に幽閉されていたとのことです。
    志願とは名ばかりで、諾々と運命を受け入れ出撃するよりほかはなく
    理不尽な命令に従う動機として「母のため」「子供のため」「逃げ出せば家族が非国民扱いをされる」と自らに言い聞かせ決意をしたそうです。

    +144

    -0

  • 393. 匿名 2019/08/10(土) 21:15:04 

    旦那のおじいちゃん、特攻隊に志願したつもりで航空隊に志願したんだけど入ってびっくり、もう特攻は新しいのはやらないと言われたそう。15歳の愛国少年たちが唖然としていたら、効果の無さ淡々と説かれ君たちは本土決戦時の首都防空の為の部隊になると言われたそう。入った時点でもう駄目と思ったって。それでも一般人からはエリート扱い、女学生からはアイドル扱いで、綺麗な士官学校の制服着て、酒も煙草もok。食事も食べきれないほどで残すと怒られた。訓練や行進は大変だったけど、飛行機で飛ぶのは楽しくて、敵の偵察機に撃ち落とされて(非公式)両腕火傷して傷病兵だった時は除隊したくなかったって。4か月かかったけど復帰して決戦機をもらったら、終戦。先輩たちがクーデター起こしかけたけど穏便に済ませてもらって、青春のいい思い出にして帰ってこられたと。志願と徴兵だと凄い差があるんだなと思った。徴兵で南方にいったのは地方の人が多いとも言うしね。京都師団はどこでも近衛兵だったり、苦労にも差があるんだよね。

    +82

    -2

  • 394. 匿名 2019/08/10(土) 21:15:29 

    私の曽祖父はビルマで亡くなりました。
    戦死というより、病死だったらしいですが、骨はなく、紙切れ1枚が届いたと聞きます。
    曾祖母の元には、たくさんの葉書が届いており、見せてもらったことがあります。
    汚れた葉書にはぎっしりと文字が埋まっていて、そこには子供(私の祖母たち)の心配が書いてありました。
    どんな思いで出したんだろうかと思うと苦しいです。
    元気なときにはあまり話す事がなかった祖母ですが、認知が進んできた最近ぽつぽつと話すようになりました。
    今でも目を瞑り、耳を塞ぐとB29の音が聞こえると。
    祖母からそれを聞くと、ああ、戦争って本当に起きたことなんだと思い知らされます。

    +141

    -0

  • 395. 匿名 2019/08/10(土) 21:16:07 

    >>366
    それは戦争犯罪人なのでは?

    +0

    -34

  • 396. 匿名 2019/08/10(土) 21:17:01 

    >>79
    >>117を書いた者です。残念ですが、そう感じる方が多いんですね。

    夏の風物詩で周りが賑やかな中、大叔母も複雑だったんだろうなと。今でも何とも言えない横顔が思い出されます。

    +80

    -0

  • 397. 匿名 2019/08/10(土) 21:17:21 

    特別攻撃隊少年飛行兵

    出撃二時間前の写真
    身近な人から聞いた戦争体験

    +198

    -0

  • 398. 匿名 2019/08/10(土) 21:18:21 

    アメリカの研究によると、
    最前線戦闘場所→平常の場所へ帰宅
    は兵士のトラウマ増大するみたい。
    本国へ帰宅する前に、いったん軍などの施設でクールダウンさせる生活してから帰宅すると
    兵士のトラウマや脅迫障害は少なくなるそうです

    +131

    -0

  • 399. 匿名 2019/08/10(土) 21:18:33 

    去年亡くなった祖母から戦争の時の話は聞かされていました。
    祖母は大家族の長女だったため、満州に一人で働きに行き、終戦を満州で迎えたそうです。
    日本に帰る時、丸坊主にして、男装して命からがら帰ってきたそうです。

    帰る時に乗ってきた船はアメリカの船で、
    船上には沢山の旗がはためいていて、
    気になった祖母が何の旗か聞いたところ、
    撃墜した日本の船の旗だったそうです。

    今思うと、子供の私には話せない事もあったのではと思います。

    +124

    -0

  • 400. 匿名 2019/08/10(土) 21:21:58 

    >>59

    日帝に恨みを持ってるから、仕方ないよ。既に過去の話しだけどね…

    +4

    -60

  • 401. 匿名 2019/08/10(土) 21:23:29 

    >>390
    そりゃ狩りでうさぎ撃つような感覚だったって
    アメリカ人は言ってたしね。
    兵士対兵士の戦闘じゃなく民間人狙ってるし

    +86

    -0

  • 402. 匿名 2019/08/10(土) 21:23:32 

    >>378
    絶対に絶対に忘れちゃいけないし戦争はこうゆうものなんだと教えて行かなければならないものなんですね。この前テレビでやってました。死んだ人を食べてるのを見ました。衝撃でショックを受けましたがそれ所ではないんですよね。戦争がそうさせた何もかも壊した狂わせたんだ。

    +87

    -5

  • 403. 匿名 2019/08/10(土) 21:23:36 

    祖父はシベリア抑留されていたそうです。
    小学生の時に、戦争について家族から話を聞いてくるみたいな宿題があって、夏休みに祖父の家に行った際に聞こうと思ったけど、祖父は話したがらなかった。
    少し大きくなった時に、あまりに辛い経験で、話すのも辛いんだと思うよって祖母から聞いた。。
    祖母の妹は原爆の爆風で亡くなったそうです。

    +87

    -0

  • 404. 匿名 2019/08/10(土) 21:25:23 

    子供のころ少学校の先生から聞いた話。

    赤紙がきたけど戦争に行かないように身体検査の日に醤油を一本飲んだ人がいたらしい。

    神風特攻隊の出撃命令が出ても、燃料に砂糖を小さじ1杯入れて戻ってくる人が少数いたらしい。
    途中でエンジンの調子が悪くなり敵の空母?まで飛べなくなるから戻ってこいって言われるんだとか。

    +106

    -0

  • 405. 匿名 2019/08/10(土) 21:25:50 

    >>338
    高校の時の英語の先生が学生の頃、アメリカに留学してたらしんだけど。ベトナム戦争が終わって間もない頃でクラスメートの男の子がほとんど授業を、後ろの壁に背中をくっつけて聞いてたらしい。何でも、みんなベトナム戦争に出征してたらしく。帰ってきても、いつ後ろから銃の弾が飛んでくるか分からない恐怖が薄れなくてそうなってたんだとか。

    +131

    -0

  • 406. 匿名 2019/08/10(土) 21:26:22 

    埼玉です。

    熊谷の空襲から走って逃げていたとき、近所のおばあさんに空襲が直撃。黒焦げに小さくなり蠢いていた様を、
    うちの亡き祖母は涙を流しながら話していました。
    昔はご近所さんとの関わりも多く、仲の良い人たちもいたようですから、現代ではなかなか想像し難いかもしれませんね。

    私だって、お隣さんの名前も、その旦那さんの顔も憶えていませんから。

    戦争や災害は、非現実的で、正直同じ立場になって思いを感じるのは難しいです。
    東日本の震災ですら、当時の私にはまるで他国のニュース程遠かった。
    日本は平和なニュースが多すぎる。とてもいいことでしょうが、日々の暮らしに夢中で、お昼休憩の他愛ない雑談と化してしまう。

    戦争や災害を乗り越えて強く生きている方たちや、復興された地面の上に立っている私たちは、その方たちに感謝し敬うべきです。

    ご先祖様、ありがとうございます。
    明日は実家でアルバムを見る予定です。

    +125

    -0

  • 407. 匿名 2019/08/10(土) 21:26:54 

    >>53
    私の祖母もサツマイモが嫌いでした、大学芋にしてもダメでした。

    +85

    -1

  • 408. 匿名 2019/08/10(土) 21:27:06 

    老人ホームに勤めています。
    入居している99歳のおばあちゃんから戦争のときのお話を聞きました。
    おばあちゃんは当時、海沿いのほうに住んでいて、沿岸部を歩いていると、アメリカの戦闘機が攻撃してきて、とても怖かったと。戦争では、たくさん人が死んでしまった、今でもアメリカは許せないな…。とお話をされました。
    普段は認知症などでおとぼけなおばあちゃんですが、その時はハッキリと、涙ながらにわたしにお話をしてくださいました。

    「戦争を経験して、その後もたくさん苦労してきたけど、今は本当にいい時代になったよ。
    それにあんたみたいに私なんかの話を聞いてくれる人がいるんだから。」と手を握りながら、言われた時は涙が出ました。

    +177

    -2

  • 409. 匿名 2019/08/10(土) 21:29:08 

    当時女学生だった祖母は工場で働いていたみたいだけど、戦闘機から走って逃げてる時に前と横の女学生が撃たれて亡くなったって話を聞いた。
    その祖母のお姉さんは長崎の原爆で亡くなってるけど、写真で見る限りまだ20代にもなっていないかくらいの年齢に見えた。祖母が持っていたお姉さんの写真は小さな証明写真一枚だけだったけど、勤勉で家族想いの優しい人だったらしいと祖母が亡くなった後に母から聞いた。

    +94

    -1

  • 410. 匿名 2019/08/10(土) 21:30:08 

    >>362
    はぁ!今も届くの!?
    部下を死なせた良い役職者宛に?税金で?
    362さんやお爺さまが悪い訳じゃないけど身分差を感じる話だわ。
    今も昔も上級国民様々なんだね。

    +27

    -59

  • 411. 匿名 2019/08/10(土) 21:31:26 

    >>371
    候補地の一つの新潟は、長岡市ですね。
    山本五十六の故郷。
    こちらは山岳部で、天候が不安定らしく断念。

    +44

    -2

  • 412. 匿名 2019/08/10(土) 21:32:46 

    >>123
    今考えると、自分の命を守る、将来の子供や孫を守る立派な行為なのにね。
    はだしのゲンでお母さんが言ってたけど、日本中の女が戦争に抵抗したら止めれたんじゃないかって。
    あの時代に穴をほって逃げ切ったのはすごいことだよ。

    雰囲気でバンザイバンザイって言ってたんだろうけど、本当に怖い。

    +189

    -8

  • 413. 匿名 2019/08/10(土) 21:33:47 

    >>1
    今は故人になった知り合いの軍医の話ですが、昭和18年迄は日本は諸外国とも対等にやりあっていました。 
    昭和20年になると日本優勢だったのが段々と
    勢いを失速し、明らかに敗戦の色が濃くなってきました。その頃の話です。
    医療物資は不足しており、配給も間に合わなくなる状況でした。
    その中に今ある在庫で辛うじて、やり繰りをしていたと言います。
    彼はいつも、いつ自分に敵の流れ弾が飛んでくるか分からない状況下、有り合わせの布でこしらえた野営地の小さなテント内の薄暗いランプを灯りにしながら外科手術の切開や縫合をしていたそうです。
    麻酔薬を節約するために軽〜中程度の怪我や病気は麻酔薬無しが普通でした。
    しかし、徐々に日本の敗戦が色濃くなってくると傷病者の数は膨れ上がるばかりだったとの事で寝食を忘れて治療に当たっていたそうですが、平成の世に彼はいつも口癖のように「最近の人はちょっとした痛みに敏感だ。私が全盛期の頃は人は痛くても多少の痛みは我慢出来ていた。これは人が痛みに弱くなったからだ」と亡くなる晩年、ボヤいていました。 
    今日本は平和になりましたが、いつまた昭和時代に戻るか分からない中で彼の言葉が脳裏に響きました。
    あなたはどう考えますか?

    +98

    -3

  • 414. 匿名 2019/08/10(土) 21:33:55 

    >>361
    それは占領後に後付けでアメリカが言ってきた話
    京都は広島と同レベルの最重要原爆投下候補地だった
    奈良は目立った軍需工場がなく人口も僅かで重要視されていなかったのが理由で、何回かは空襲されてる
    歴史的価値があるからと空襲に反対した学者もいたようだけど、政府や軍はそんなこと考えていなかった
    私も昔はその説を信じていて、京都が候補地と知ったときはショックだった
    でも結局それが戦争の現実なんだな、と思った

    +59

    -2

  • 415. 匿名 2019/08/10(土) 21:34:05 

    >>404
    皆戦争なんかしたくないよね。死にたくないよね、怖いに決まってる。
    戦争しようと決めるのは戦場に行かない上の人達だよ

    +161

    -1

  • 416. 匿名 2019/08/10(土) 21:34:58 

    小学生の頃、日焼けした肌の皮がむけてその皮を父の灰皿に捨て、火をつけたら祖父が戦争中の匂いがする、やめてくれ!って凄く嫌な顔をした。
    小学生ながらもその嫌がる背景が想像できました。

    +168

    -0

  • 417. 匿名 2019/08/10(土) 21:36:23 

    小さかったハハが空を見上げると遠くに零戦が見えたので大きく手を振り続けていてそれが近付いて良く見るとアメリカの戦闘機でビックリしたがら地面に伏せて居なくなるのをじっと待った時は数分後何時間にも感じる位に怖かったと言ってた。

    戦争は絶対にしてはならないと思う。
    テレビで戦争の事について取り上げたりドラマアニメ映画をやるべきなんだよ。
    令和になった今だからこそ。

    資料館にも足を運んで海外の人にも広島長崎の原爆投下の時の事を分かって欲しい。
    苦しくて悲しくて切なくてでもアメリカをアメリカ人を恨む言葉を言う人は居ない。

    そんな日本人をお年寄りを誇りに思う。

    思いが溢れて上手く纏められずごめんなさい。

    +144

    -2

  • 418. 匿名 2019/08/10(土) 21:37:32 

    >>91
    私もずっとそうだと思ってた
    でも、何年か前のテレビで舞鶴かどこかの海軍に10代で志願して入ったおじいさんの話は違った

    そのおじいさんは、特攻のための新型の潜水艦に乗るはずだったんだけど、その潜水艦が完成する前に戦争が終わってしまった
    博物館みたいなとこに展示されてるその潜水艦の設計図の前で「こんなのが完成してればね・・残念です」って言ったんだよね
    こんなのが完成しなくて良かったです、じゃなくて

    国のために役に立ちたくて海軍に入って訓練も頑張ったのに、役に立てなくて残念だって

    当時の「お国のために」っていう世間の空気感から解放された現在でもそんな風に感じてるなんて、みんながみんな本当は死にたくないのに死んでいったってわけじゃないのかなって思った

    +154

    -1

  • 419. 匿名 2019/08/10(土) 21:38:30 

    イナゴ食べてた、野草食べてたとか凄いよね。

    +27

    -1

  • 420. 匿名 2019/08/10(土) 21:40:47 

    地元が東京大空襲で被害の大きかった下町なので、子供の頃はお年寄りからいろんな話を聞きました。
    あっという間に四方八方炎に包まれ火の竜巻が何本もあがったと言ってました。
    焼夷弾は火が雨のように降ってくると言っていました。
    みんな熱くて川に飛び込むけど、川にはたくさんの人がパニックに陥ってお互いに掴みあっては溺れてしまう人も沢山いたとか。江東区は縦横に運河があるけどどこも死体で埋め尽くされていたそうで橋のたもとには慰霊碑が大体あります。
    空襲から命からがら逃げ延びて、焼け野原になった家に戻ってきたら朝鮮人に勝手に土地を乗っ取られてたという話もよく聞きました。朝鮮人には気をつけてと、色んなお年寄りに言われていたんだけど当時子供だったからどういうことかわからなかったんだけど、最近なんとなく理解した。

    +171

    -3

  • 421. 匿名 2019/08/10(土) 21:41:08 

    母の従兄弟にあたるおじさんたちの父親という人は太平洋戦争でいまだに遺体さえ見つかっていない、軍艦が撃墜されて亡くなった人たちの一人。
     だから、戦争じゃんけんって、うちでは禁句です。

    +69

    -1

  • 422. 匿名 2019/08/10(土) 21:41:40 

    女学生が防空頭巾の中にリボンつけておしゃれしてたのとか、今の感覚と変わらない。本当にすずさんの世界もあったんだな。

    +105

    -0

  • 423. 匿名 2019/08/10(土) 21:41:59 

    私の祖父は米軍から追われて馬とともに森に逃げたそうです。しかし馬がいると目立つし物音がするので泣く泣く馬をその場で殺したと言っていました。

    +99

    -6

  • 424. 匿名 2019/08/10(土) 21:43:18 

    おばあちゃんに男の兄弟何人かいて二人も戦死。白黒写真でその人たちの写真残ってる。
    生きてたら会えたのにと思うたび悲しくなるよ。

    +98

    -2

  • 425. 匿名 2019/08/10(土) 21:44:09 

    私は今40ですが、子供の頃は戦争なんて大昔の事だし、教科書で習う事、自分には関係ないと思っていました。でも最近考えると、私が産まれる40年前は戦争が始まろうとしていたなんて、自分の人生あっという間だったのでそんなに昔の事じゃない様に思います。
    世間はオリンピックだ何だと戦争を風化させようとしてる気がしますが、今の平和は多くの犠牲者の元に成り立っているという事を忘れてはいけないと思います。

    +141

    -2

  • 426. 匿名 2019/08/10(土) 21:45:41 

    終戦記念日はあちらの国が凄い事になりそう…

    ちなみに当時は日本兵として戦ったらしいよ

    +9

    -3

  • 427. 匿名 2019/08/10(土) 21:46:14 

    >>30
    今の時代だからこそと言うのは?
    いつの時代も戦争については向き合っていた方が良いと思う

    +9

    -25

  • 428. 匿名 2019/08/10(土) 21:46:51 

    >>406
    亡くなった祖父祖母が熊谷出身。
    熊谷大空襲も経験。

    川で火傷だらけの人が水ほしさに飛び込む。
    で、そのまま亡くなって川は死体でいっぱいだったと。
    その川は祖母の家に行く途中にある川なのですが用水路?と言ってもいいような細い川。
    そんな細い浅い川に死体が溢れかえっていたと言われ怖くなりました。
    あとは二軒隣の家が爆弾で吹っ飛んだ話。

    祖父の家は当時にしては珍しく、防空壕が鉄で出来ていたので近所の人をよく匿っていたそうです。

    祖父祖母もあまり戦争の話はしたがりませんでした。
    それでも学校からの宿題だからと私からのお願いで少し話してくれました。

    +83

    -1

  • 429. 匿名 2019/08/10(土) 21:46:52 

    >>166

    永遠の0でもあったけど、
    将来の日本の若者はどんな未来を生きていくんだろう、
    というような台詞があって、なんだか自分が恥ずかしくなった。
    こんな未来を作るために、昔の人たちは戦ったんだろうか、、

    +203

    -3

  • 430. 匿名 2019/08/10(土) 21:48:03 

    磯子の線路だったと思うんだけど、遺体が山積みにされてたと祖母から聞いたことがあります。
    電車に乗るとその光景を思い出すとよく言ってた。

    +15

    -0

  • 431. 匿名 2019/08/10(土) 21:48:13 

    祖母が、幼い時の叔父をつれて戦時中に外を歩いてたら空襲警報が鳴り出した。
     急いで帰らねばと走り出したがそのうち敵の飛行機軍が飛んできた。
     道端に溝があったのでそこへ叔父を隠し、自分は上から覆い被さって、頼むから早く去ってくれという思いと、見つかったら爆撃されて殺されると、生きた心地しなかった。

    +97

    -0

  • 432. 匿名 2019/08/10(土) 21:48:56 

    原爆投下後の威力を知りたかったアメリカは無料で治すと患者を募って、治療せずにデータだけ取っていた。

    +119

    -1

  • 433. 匿名 2019/08/10(土) 21:51:25 

    >>263
    263です。さらに付け加えると、

    昭和20年4月12日にルーズベルト大統領が急死し、
    副大統領だったハリー・トルーマンが急遽大統領になる。

    トルーマンは大学を出ていなくて、劣等感を持っていた。
    国務長官ジェームズ・バーンズと二人で、日本が降伏する前に
    二発の原爆を落とす計画を進めていた。

    太平洋戦争後、朝鮮戦争において、原爆使用を訴えたマッカーサーを
    トルーマンが解任した。
    この事実から、日本への2発の原爆投下について、
    後悔していたのでは、と言われている。

    +93

    -3

  • 434. 匿名 2019/08/10(土) 21:52:18 

    >>365

    間違えました。
    「玉石混淆」です。
    恥ずかしい・・・。

    +15

    -0

  • 435. 匿名 2019/08/10(土) 21:53:03 

    >>412
    戦争は太平洋戦争だけじゃ無かったんだよ。
    その前に日清に日露かでたくさんの日本人の血が流れてるの。それでつかみとったものがあるの
    そしてやーーーーっとヨーロッパ列強と肩を並べられた、強くなれた、侵略されないと思って安堵したとたん、
    白がやってる事を黄色がやるのはゆるせん、持ってるものをすべて手放せと言われたら?
    またいつ植民地にされるか分からない恐怖に怯えるの?幕末のように。
    歴史はたった1つの出来事で出来てる訳じゃないと思うよ
    ゲンのお母さんの気持ちを批判するわけじゃないけども…

    +148

    -7

  • 436. 匿名 2019/08/10(土) 21:54:54 

    祖母が東京の江東区に住んでたんだけど東京大空襲で家が全焼。だから写真が全く残ってない。その時代はどこでもそんなものかと思ったけど、他の地域の人は結構写真持ってて驚いた。すごく大きな屋敷だったらしいけど全焼。
    川には水を求めて亡くなった人の死体がいっぱいだったって。怖かったから目だけ出して、あとは布をすっぽり被って早足で歩いたって言ってたな。

    祖母は生きてたら95歳なんだけど、美人でお嬢様だったからモテたらしい。東京の江東区に住んでて、戦時中も都内でデートしてたから憲兵隊(?)に、「この非常時を何と心得ておるのか〜‼︎」って怒られたよ〜って笑ってた。明るくて逞しかった。当時は明治大学の学生の人と付き合ってたんだけど、その人が厚木飛行場から出征するのをその人のお姉さんと一緒に見送りに行ったんだって。そしてその人は戦死したらしい。

    +142

    -1

  • 437. 匿名 2019/08/10(土) 21:56:30 

    満州へ渡っていたおばあちゃんは朝鮮人に嫌な思い出があるらしく、結局一度もあちらでの暮らしを教えてくれなかった

    +107

    -3

  • 438. 匿名 2019/08/10(土) 21:58:06 

    >>354
    おっしゃることもわかります。
    航空特攻だけで3000名以上、回天や震洋といったものも含めるとさらに増えます。その一人一人様々な気持ちで出撃していったと思っています。人くくりにみんな「嫌だった」「仕方なかった」と言ってしまうことに違和感があるということを伝えたかったのです。
    今はなき軍人という職業の方が持っていた覚悟について書いてある本を読んだことがあり、平和な時代で生まれ育った私には想像もできないような覚悟をもって臨んだ人がいることを知りました。そういった人を「仕方なく」のくくりにいれてしまっていいのかという思いで書きました。戦前から覚悟をもって軍人になった人と急ごしらえで軍人になった少年兵は違うと思いますし。
    今ここで意見が異なるようにいろいろな人がいたんだと思います。

    +108

    -2

  • 439. 匿名 2019/08/10(土) 21:58:27 

    もう他界しているし私は会った事はないけど、親戚が満州から引き揚げた経験があるという話は昔聞いた。家では現地のお手伝いさんを雇っていたみたいだけど、お手伝いさんみんなに良くしていた人だったみたいで、終戦後は彼らに逃してもらって日本に帰って来られたらしい。

    +89

    -3

  • 440. 匿名 2019/08/10(土) 22:01:34 

    >>53
    今は亡き祖母の作るかぼちゃの煮物がすごく美味しくて、おばあちゃんも食べなよーって私が勧めると、かぼちゃなんて戦争中に一生ぶん食べたから私はいーらない(^^)ってニコニコして言ってたなぁ

    +170

    -1

  • 441. 匿名 2019/08/10(土) 22:01:51 

    私は20歳を過ぎても祖父母4人とも生きていましたが、あまり身内関係がよくなかったので話を聞いた事がありません。
    だから近しい人に生の声を聞けた方達は、しっかり語り継いでほしいなと思います。
    私は聞けなかった分、体験した方の記事を読んだりYouTubeなどで動画を見たりしています。
    あと都内の方でしたら、靖国神社の中にある遊就館や、その近くにある昭和館やけいしょう館などおすすめなので、ぜひ行ってみてください。

    +40

    -1

  • 442. 匿名 2019/08/10(土) 22:02:10 

    祖父がシベリアに抑留されたそうです。
    戦争終わって一年半後に帰って来たけど
    半年くらい寝込んでいたらしい。

    帰ってこなかった間に農地改革で田畑が分配されて
    話し合いの時にに男の人がいなかったせいで
    不利な土地が振り分けられたと祖母が悔しそうに言ってました。

    +114

    -0

  • 443. 匿名 2019/08/10(土) 22:03:24 

    アラフィフです。
    小学生位まではテレビや学校の図書も戦争関係が多く戦争の記憶が継承されてる世代なのですが大学生の息子は、沖縄へ修学旅行へ行って語り部さんから聞いた位です。あと
    永遠のゼロ位。はだしのゲンは絵が無理と。

    +18

    -8

  • 444. 匿名 2019/08/10(土) 22:04:34 

    私の祖母は戦時中に満州にいたことが
    ありましたが、終戦の時に家族総出で
    帰国しました。それはもう命懸けだったそうです。

    その当時、日本人の子供は現地の人買いの連中から
    狙われていたため、祖母の両親は祖母を含む
    5人の子供を一人残らず必死に日本へ連れて帰った
    そうです。

    その話は祖母から直接伝えられました。

    +92

    -1

  • 445. 匿名 2019/08/10(土) 22:04:38 

    >>245
    日本メディアが「毒ガス島」の歴史を暴露、各界から再認識の声_新華網日本語
    日本メディアが「毒ガス島」の歴史を暴露、各界から再認識の声_新華網日本語jp.xinhuanet.com

    日本メディアが「毒ガス島」の歴史を暴露、各界から再認識の声---日本の瀬戸内海沿岸、広島県と愛媛県の境に位置する大久野島は風光明媚な観光地である。しかし、第二次世界大戦中、ここには日本軍の毒ガス製造工場があった。このため、大久野島は「毒ガス島」とも呼...

    +3

    -12

  • 446. 匿名 2019/08/10(土) 22:04:40 

    大学生の頃に友達に聞いて「へぇーそんなことがあるのかあ!」って(単にそれまで知らなかったから)驚いたのが、財産を守るために生涯独身を決める女性が結構いたってこと。財産目当ての結婚が横行してたらしい。
    その後、姑(80オーバーのおばあさん。その父は軍人。超田舎です)に聞いた話。姑が小学生の頃に担任の女教師に「あんたの父親のせいで私は結婚できなかった‼」と罵倒されたらしい。
    先の話とリンクして、荒みかたが生々しくて忘れられない。

    +41

    -0

  • 447. 匿名 2019/08/10(土) 22:06:08 

    >>59
    日本のことが嫌いで中韓朝と仲の良い政党が、そういうテイで改憲反対してるだけだから、あなたは騙されないように気をつけてね。
    憲法変えて戦争するなんて誰も言ってないよ。
    日本を周りの頭のおかしな国から守るために憲法を変えるんだよ。

    +333

    -18

  • 448. 匿名 2019/08/10(土) 22:07:20 

    今の荒んだ日本を見たら、英霊はどう思うのかな?

    毎日おなしな事件ばっかりじゃね?

    +24

    -2

  • 449. 匿名 2019/08/10(土) 22:07:32 

    シベリアの話はジョバンニの島っていう映画が見やすいです。多分YouTubeでも見れると思うので探してみてください。

    +14

    -0

  • 450. 匿名 2019/08/10(土) 22:08:23 

    おじいちゃんは戦争に何度か行ってるけど朝鮮人は人間じゃない・人肉が売ってるってこと以外はあまり教えてくれなくて「チョンには近寄るな」が口癖だった。
    おばあちゃんが身体壊しててうちのお母さんを妊娠中で子供すでに6人いた時に赤紙がきて、おじいちゃんは行かなくて済むように自分で足の骨を砕いたみたいです。
    おじいちゃんはそのことを恥だと思って隠していたけど、おばあちゃんが「そのおかげであんたのお母さんが無事に産まれてあんた達にも会えたわ〜」とニコニコとよく言っていました。
    その赤紙が最後で終戦を迎えたらしいです。

    +144

    -3

  • 451. 匿名 2019/08/10(土) 22:08:29 

    祖父が神風特攻隊の生き残りで、少しでも計算を間違えれば帰ってこれない訓練の話、突撃前のご馳走の話、実家に帰ったら息子は死んだはずだと信じてもらえなかった話など沢山聞いた。
    もう亡くなって聞けないが子供世代にしっかりと話し、受け継いでいかないといけない。

    +106

    -1

  • 452. 匿名 2019/08/10(土) 22:09:25 

    戦死とされてる人でも軍隊内のいじめとか教官に殺されて死んだ人とか結構いたってじいちゃんが言ってた。しかも、その理由が寝坊したから殺すとからしい。
    小さいころに聞いたときはそんなものなのかと思ったけど、いま考えるとすごく残酷。

    +185

    -0

  • 453. 匿名 2019/08/10(土) 22:10:50 

    >>41
    亡くなった舅さん満州で育って、シベリア行ってガリガリになって帰って来たそうです。
    毛沢東が率いた部隊とも対峙したって。すごい時代…

    +203

    -1

  • 454. 匿名 2019/08/10(土) 22:11:30 

    >>26
    お国の為だから、すばらしい事なんだ
    って考えだったのかな・・・

    +64

    -6

  • 455. 匿名 2019/08/10(土) 22:11:34 

    祖母が子供の頃、空襲にあい防空壕に逃げていたが
    ここは危ないと飛び出したらしい。
    しばらくして戻ると、その防空壕の中の人達は煙にまかれてみな亡くなっていたそうだ。
    そういうちょっとした偶然で今の私達は命をもらっていると思う。

    +144

    -1

  • 456. 匿名 2019/08/10(土) 22:12:27 

    祖父が海軍だったけど、缶詰がいっぱいおいてある部屋があって、こっそり仲間といって、食べてたって言ってたなあ。

    +79

    -0

  • 457. 匿名 2019/08/10(土) 22:12:49 

    昨日(長崎に原爆が投下された日)駅前で高齢の夫婦らしき人が核廃絶のチラシ配ってて、通行人は気付いても相手にする人はいなくてむしろ避けてて、私も目を合わさないようにしてチラシを受け取らず歩き去ったんだけど、年齢からして戦争を経験した人達だったのかもなと思ってなんだか心に引っ掛かり胸が痛んだ。

    +184

    -3

  • 458. 匿名 2019/08/10(土) 22:12:55 

    はだしのゲンとか今の平和ボケしてるガキ達に読んで欲しいわ…

    +94

    -10

  • 459. 匿名 2019/08/10(土) 22:14:43 

    戦争を経験した人って当たり前だけど人を○したり、想像絶する光景を見たりしたわけだけど、今でいうパニック発作や鬱とかってあったのかな?
    でもパニック発作や鬱なんか発症してたら死んじゃうよね?
    生き延びて語り継いでる人たちは凄いと思う。

    +101

    -0

  • 460. 匿名 2019/08/10(土) 22:16:10 

    祖母が戦争だけはあかんっていう時の顔、雰囲気が、本当に辛く言葉で言えないようなものだったんだろうなって感じる。
    戦争に負けた後、彫りの深い外人がきて、誘拐されるかと思ったら、おいしい飴とかくれたって言ってた。なんとなく、アメリカの余裕ある強さを感じた。それがまたむなしい。

    +136

    -0

  • 461. 匿名 2019/08/10(土) 22:16:14 

    先日亡くなった90歳の祖母は女学校時代に学校で軍服を縫っていたと言っていました。
    だから漢字も読めんのやと言って、ずっと歳がいってからも漢字の勉強や習字を習っていました。
    戦争の被害が比較的少なかったと言われる地域です。日常も戦争一色になることを感じさせる話でした。

    +95

    -0

  • 462. 匿名 2019/08/10(土) 22:16:27 

    母方の叔母が長崎原爆投下後に救護に駆り出されて被曝しました。まだ二十歳前の若い時だったそうです。
    火傷した方々の手当を積極的にしたそうです。しかし、その十数年後に突然倒れ吐血して亡くなったそうです。
    その叔母のから生まれた長女が慢性の白血病を発症し長く闘病しています。
    放射能は長い時間をかけて蝕んでいきます。私は母から長崎の戦後の話をたくさん聞いて育ちました。母は戦後生まれですが、長崎には手足のない兵隊さんや火傷で横たわる人が街にはたくさんいたそうです。

    +119

    -1

  • 463. 匿名 2019/08/10(土) 22:17:19 

    >>89
    あなた、おそらくアメリカのハーフではなく在日韓国人かその2世では?笑

    +64

    -5

  • 464. 匿名 2019/08/10(土) 22:19:19 

    私の祖父がノホンハン?かモンゴル?(違ってるかも)でソ連兵からお腹を撃たれました。とても広い平原で地平線にソ連の戦車がズラリと並んで銃撃戦だったそうです。

    撃たれたその場で銃剣を土にぶっ刺して寄り掛かっていたら、ピュンピュンッと祖父の身体の横を弾が光って通おり過ぎて行ったのをとても鮮明に覚えていると言っていました。
    そのすぐ後に倒れ意識を失ったのですが、当時祖父は祖母と新婚。「祖母に会いたいなぁ…祖母が待っている家に帰りたいなぁ…」と朦朧とした意識の中で思っていると、家に帰って玄関をガラガラと開け、大きな声で「ただいま!」と言う夢を見たらしいです。
    ちょうどその頃くらいに祖母は家の庭で洗濯を干していて玄関から祖父の「ただいま!」って言う声が聞こえて嬉しくて慌てて玄関に走っていったのですが誰もいなかったそうです。
    祖父の魂だけ一時的に帰ったんだろうなって思っています。
    祖父は奇跡的に助かり無事に祖母の待っている家に帰れました。きっと大きな声で「ただいま!」って行って帰ってきたと思います。祖父母はもう亡くなりましたが生きている時にもっと聞きたかったです。

    +177

    -0

  • 465. 匿名 2019/08/10(土) 22:19:42 

    徹子の部屋でゲスト夏休みに
    よく戦争経験語ってくれてた。

    落語家の方が南方へ出征した話と
    元宝塚の方のロシア兵が
    日本女性を出せーーって(レイプ)毎晩やって
    くる話は衝撃過ぎた。

    うちの祖父は戦争へ行ったが
    何も話してくれませんでした。

    +96

    -4

  • 466. 匿名 2019/08/10(土) 22:20:50 

    相手国との戦争自体もだけど、軍隊内も残酷だったみたい。いばりちらす教官がいて、何人かが結託してこ〇したとか普通にあったって言ってた。男だけの軍隊縦社会、まして世界的な戦争となれば、殺伐とするんだろうが、こわすぎる。

    +98

    -0

  • 467. 匿名 2019/08/10(土) 22:21:30 

    父方、母方の全祖父母が戦争経験者ですが、祖父の話は両者とも全く違って聞いたことがあります。

    父方の祖父はほとんど戦争の話はしませんでしたが、私が小学生の時に宿題で「戦争のことを聞いてくる」というものがあり、その時のみ、話をしてくれました。
    祖父は囲碁や将棋が打てたため上官に気に入られ、シベリア抑留の対象になりかけたのをなんとか免れたと言っていました。
    それがなければ、私も産まれていなかったんだ。と思ったことを鮮明に覚えています。

    母方の祖父も全く戦争の話は孫達にはせず、母達兄弟にもほとんどしたがらなかったそうです。
    祖父が話していた話の1つを母から聞いたのですが、当時は広島におり、焼夷弾や爆撃、原爆を落とされた後、沢山の犠牲者の方々を焼き場に連れて行ったそうです。
    仲間も知らない方も…本当に辛かったそうです。
    祖父自身も被爆し、近くで落ちた爆弾のため片耳が聞こえにくかったのを覚えています。
    被爆者手帳を持っていたのですが、「こんなものは持ちたくない」とよく言っていたと、亡くなった後に母から聞きました。
    なんの因果か、結婚した私は夫の仕事の都合で今は広島に住んでおり、平和について考える機会が以前より増えました。

    +92

    -0

  • 468. 匿名 2019/08/10(土) 22:21:50 

    祖父がビルマに行ってました。
    おそらくインパール作戦に参加していたと思います。
    祖父は当時のことを話したがりませんでした。
    実際に壮絶な体験をされた方は皆さん語りたがらないですよね。

    +89

    -0

  • 469. 匿名 2019/08/10(土) 22:21:52 

    >>4
    もしかして戦争に対する恐怖心を薄くするための、国家的な何かだったりして、、。戦争なんて、ぜったいやだ

    +219

    -11

  • 470. 匿名 2019/08/10(土) 22:22:01 

    亡くなりましたが大正9年生まれで終戦時25歳だった祖父も徴兵されて横浜の連隊に行ってたそうです。
    普段は穏やかな口数の少ない人だったけど、戦時中に連帯責任で誰かミスしたら食事抜きで班の食卓を皆が食事中に見せしめでずっと持ち上げさせられたとか、食べ物に絡んだ辛い思い出とか語り出すとすごく止まらない感じで話してたな。そして恨み辛みが溢れてて少し恐かった。
    でも横浜なら空襲とか爆撃とか体験しただろうけど、そっちのほうは語らなかった。多分それは体験があっても話したくなかったんだと思う。

    近所の外地行って帰ってきたおじいさんは恩給が国内勤務だった人より高いそうで羨ましがってたけど、外地での激戦や生還率の低さとか凄まじい話を本で知ってると祖父が国内で帰りの汽車でお弁当盗まれても無事に四国の祖母の元へ帰ってきてくれて良かったと思う。翌年に父が生まれました。

    +65

    -0

  • 471. 匿名 2019/08/10(土) 22:23:45 

    うちの子がゲン読もうとしたら全力でとめようと思う…
    まだ戦争がなにかも分からないうちに
    インパクトあるからといって、原爆や空襲から入るのは違うと思うから…
    最初はやっぱり小6の日本史からだんだん知っていったほうが良いな
    最初から極端なのはやっぱりこわい

    +9

    -74

  • 472. 匿名 2019/08/10(土) 22:24:15 

    もう亡くなったけど、私の祖母は満州でソ連軍から逃れるためにトイレの個室に隠れたらしい。
    たまたま祖母が隠れた個室を確認せずに立ち去って難を逃れたという話を聞いた。

    +109

    -1

  • 473. 匿名 2019/08/10(土) 22:24:37 

    長崎出身の亡き曽祖母と曽祖父は広島の原爆投下の数日前に広島を離れて長崎に戻っていて、長崎の原爆投下の前にまた偶然長崎を離れていた人達だったという話を聞いた。

    +85

    -3

  • 474. 匿名 2019/08/10(土) 22:25:39 

    近所のおじいちゃんから聞いた話では
    戦争では長男より次男三男などの方が
    生き残りが多かったと。
    何となくわかる気がする。

    +46

    -0

  • 475. 匿名 2019/08/10(土) 22:26:12 

    あまりにも有名な水木しげる先生
    90歳を過ぎても食欲衰えず、ピザもファストフードも何でも召し上がった。
    先生は戦地の最前線で片腕を失い「もうこいつはダメだ」と墓穴まで掘られ、さらにはマラリアにもかかり生死をさまようも
    「うぉぉ!腹減った!!メシをよこせー!!」
    と起き上がり、軍医の食事を奪うほどの食欲を発揮し生き返った。
    食べること=生きることの真意はこれだよね。
    生前、あずきバー(歯は無事か?)を召し上がる先生
    身近な人から聞いた戦争体験

    +192

    -3

  • 476. 匿名 2019/08/10(土) 22:27:22 

    原爆で祖父母が亡くなりました。つくづく亡くなった人の遺体があり遺骨を墓に入れられる事が戦争中は当たり前ではないのですね
    家の墓には渡され遺骨は誰の物かも分からないので、戦争もそうですが親が亡くなった年は東日本大震災の年でより感慨深くなりました

    +50

    -5

  • 477. 匿名 2019/08/10(土) 22:27:39 

    私のじいちゃん(生きてたら101歳大正7年)から聞いたのは、戦争でビルマ行ってた事。
    悲惨な事がたくさんあったはずだけど、その時できた友達の話や現ミャンマーの景色など色々教えてくれました。
    大好きなじいちゃんの話を聞いて海外に興味を持ち、成人してから世界各国の第二次世界大戦に関係があった所を回っています。

    +108

    -0

  • 478. 匿名 2019/08/10(土) 22:27:59 

    >>466

    島から引き上げる時
    憎たらしい上官を
    木に縛って置き去りにするとかね。

    +46

    -0

  • 479. 匿名 2019/08/10(土) 22:28:08 

    >>404
    赤紙が届いてすぐ階段から飛び降りてわざと骨折した人の話を聞いた事がある。

    +91

    -0

  • 480. 匿名 2019/08/10(土) 22:30:08 

    国際法上、歴史問題は、

    韓国とは、1965年日韓基本条約。
    中国とは、1978年日中平和友好条約。
    それぞれ、最終的に解決している。

    それなのに、その後何度も日本に謝罪と補償を求めてくる。
    なぜか。

    日本が戦時中大陸に侵攻し、半ば支配されてしまう。
    中国と韓国は、大きくプライドを傷つけられた。

    そして、敗戦した日本が、戦後瞬く間に世界第二位の経済大国になった。
    それもおもしろくないみたい。

    そんな国は、ほっとこう。

    +94

    -6

  • 481. 匿名 2019/08/10(土) 22:30:49 

    生きていたら100歳になる大伯母は、満州から日本に戻る途中に赤ちゃんが死んでしまって、でも離れたくなかったから死んだ子をおぶって歩き続けたそうです。周りからその子は置いていけと言われ、泣きながら道の途中に埋めたと言ってた。

    +134

    -0

  • 482. 匿名 2019/08/10(土) 22:31:36 

    >>478
    そんな余力あるのかな?
    他は島で玉砕とかだよ

    +2

    -7

  • 483. 匿名 2019/08/10(土) 22:32:11 

    >>46
    うちの祖母がそう。祖父の兄と結婚してたけど、病死して弟の祖父と再婚したって。祖父はフィリピンルソン島で戦死しました。

    +76

    -0

  • 484. 匿名 2019/08/10(土) 22:33:28 

    老人ホームで働いていたときに聞いた話です
    アメリカ軍が一通り町に爆弾を落とし終わってから、戦闘機の後ろに若い女の人を乗せて、焼け野原の町を旋回して見ていた、その時に後ろに乗っていた女の人の赤い口紅がしっかりと見えて今も忘れられない。アメリカ人にとっては女の子なんか乗せて旅行気分だったんだろうな…
    と話してくれました。話をしてくれた方は、体が不自由になる前に文章で書き残しておくんだと、消灯時間になっても原稿用紙になんページも自分が体験した戦争のことを書いておられました。

    +139

    -0

  • 485. 匿名 2019/08/10(土) 22:35:34 

    小学校の時先生が
    「何十年先、実際に戦争を体験した事のある人の話が聞けなくなるのが怖い」って言ってたのが印象的だった。

    +143

    -0

  • 486. 匿名 2019/08/10(土) 22:36:21 

    >>67
    よくその歌を亡くなった母は、お手玉やりながら、歌ってた。

    +74

    -2

  • 487. 匿名 2019/08/10(土) 22:37:18 

    親戚のおじさんが子供の頃、逃げててでももうダメだと思ってしゃがんだら、アメリカの飛行機がおじさんに狙いを定めて飛んできた。でもギリギリで撃たれないですんだんだって。
    子供だったからだろうって言ってた。
    アメリカ人の中にも子供なんて殺したくないって思ってた人いたんだなと思った。

    +140

    -1

  • 488. 匿名 2019/08/10(土) 22:37:35 

    おばあちゃんがもう帰ってこれないかもしれない特攻兵を見送る役目、そして戦争に関する書類の宛名書き、満州から日本への帰還、とても辛かったと話していました。そして、私の祖母は戦時中外へ出た瞬間目の前に爆弾が落ちてきてあと一歩前に出ていたら死んでいたかもしれないと言っていました。

    祖父の妹は、戦時中栄養失調で亡くなったと言っていました。昔夢に、おかっぱで下駄を履いて喜んでいる女の子が出てきた時がありその話をしたらそれは、自分の妹だと思うと祖父が言っていました。妹さん亡くなる前下駄をもらって喜んでいたそうです。

    +100

    -0

  • 489. 匿名 2019/08/10(土) 22:37:52 

    さっきテレビでやってたけど
    戦地で餓死や病気で亡くなった人も
    沢山いると聞きました。
    これも戦死と同じですよね。。。

    +101

    -0

  • 490. 匿名 2019/08/10(土) 22:38:22 

    >>478
    海軍ではボコボコにしてから海に突き落とすとかあったらしい。本当にこわい。

    +40

    -0

  • 491. 匿名 2019/08/10(土) 22:39:59 

    死んだおじいちゃんが戦争で満州に行ったけど、怖くて鉄砲打てなかったことと、シベリアで捕虜になったと聞きました。捕虜時代のときのことは何となく怖くて聞けなかった。

    +72

    -0

  • 492. 匿名 2019/08/10(土) 22:42:32 

    実際、サイパンからビュンビュンB29が爆弾積んで日本へ飛び立っていったんだよね。
    南方で決死の戦いをした人たちは、ここを取られたら日本の本土へ爆撃が行くと分かってて必死の戦いをしたんだよね
    そりゃあね、日本には家族いるんだから……

    +93

    -0

  • 493. 匿名 2019/08/10(土) 22:43:10 

    昔勤めてた会社の社長。生きてれば100越え。
    旧帝大卒で、戦時中は司令官クラスだったらしい。
    毎年、夏休みには東南アジアにいって、遺骨を探してた。
    現地の石なんかを持って帰ってきては、自宅の庭に奉ってた。
    忘れらなかったんだろうね。

    でも、社員に石を磨かせるのはやめて欲しかった。

    +118

    -1

  • 494. 匿名 2019/08/10(土) 22:43:13 

    原爆が落ち、叔母が命からがら逃げホッとして背中の赤ちゃんを見たら真っ黒な炭になっていました。それを知った叔父は自殺しました。
    その他の親戚も、燃え盛る火の中で動物のように鳴いて死んだそうです。

    +131

    -1

  • 495. 匿名 2019/08/10(土) 22:44:55 

    >>6
    血は繋がってないけど、いろんな人の命を繋いでくださったんですね。

    +529

    -0

  • 496. 匿名 2019/08/10(土) 22:46:40 

    祖父母は長崎で、祖父は赤紙が来て戦地に行き、祖母は長崎市内で被爆しました。祖母が女学校時代の話です。
    祖父が戦地から帰って来ると、学生時代から付き合っていた祖父母は終戦の3年後に結婚。母は結婚してから10年後に6人兄妹の末っ子として生まれました。
    祖父母が戦乱に巻き込まれても命を落とす事なくいてくれたお陰で、母がいて私がいて娘がいる。と思うと祖父母には感謝しかありません。
    小学生の娘には、祖父母の代わりに私が戦時中の祖父母から聞いた話をしています。

    +56

    -0

  • 497. 匿名 2019/08/10(土) 22:50:56 

    >>221
    少し前にNHKでやってた。
    日本から色々な国に出兵してるけどどこの国からの帰還者に終戦後に精神を患った人が多かったか検証した番組。
    当時の映像も流れたよ。
    勝手に身体がガタガタ動いて自分の意思では止められないの。その様子を医師と看護師が診察してる映像。
    戦地から生きて帰って来れても精神を患って死ぬまで精神病院に入院してた人とか沢山いたみたいだよ。
    初めて見たけど物凄い衝撃的だった。

    +123

    -3

  • 498. 匿名 2019/08/10(土) 22:51:06 

    ああ、、なんか本当戦争はもう2度とあってはならないね。
    一人一人人生があって、家族がいて、もちろん敵となる人にも同じように人生があって家族がいる。


    そして私たちの住む平和な日本の未来の為に沢山の方が命を落としたって事も忘れちゃいけないね。

    +78

    -0

  • 499. 匿名 2019/08/10(土) 22:51:14 

    四国に住む祖母は、広島のキノコ雲が見えたと言っていた。

    戦争にいった祖父は、無事に帰ることが出来て母親との再会を楽しみにしていたが、髪も髭も伸び放題で、感動の再会にはならず「あんた誰ね」と追い返されたと言っていた。
    戦地では、一緒の部屋で寝ていた友人が夜中起きてどこかへ行くため着いて行ったら、あまりの空腹に墓をほって骨をしゃぶっていたと話してくれた。
    話しながら祖父は顔を隠しました。

    +114

    -1

  • 500. 匿名 2019/08/10(土) 22:53:57 

    >>128
    赤ちゃんを殺せと命令する上官にヘドが出る。
    なんにも悪いことしてないのに。
    軍人だけ殺せよ。
    その上官が地獄に堕ちていますように。

    +145

    -16

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