1. 2025/06/23(月) 12:12:21
福田さんは、幼いころから父親に虐待を受けていた。ふだんはおとなしい父親だけど、お酒を飲むと人が変わる。とんでもなく乱暴になるんだ。「おまえみたいなバカは死ね」と言われながら、燃えさかる薪(たきぎ)を脇腹に押しつけられたこともある。福田さんの脇腹には、いまでも痛々しいヤケドのあとがくっきりと残っている。
近所の子どもたちからもいじめを受け、守ってほしい人には虐待され、居場所がない。そんな福田さんは、12歳のときに放火未遂を起こした。
補導されて、当時の少年教護院(現在は児童自立支援施設)に入ったときには「まるで天国のようだ」と感じたという。毎日ご飯は食べられるし、暴力をふるう人はいないからね。ようやく安心できる場所にたどり着いたんだ。
以来、いじめや虐待から逃れるためには、火をつけるふりをすればいいんだと思いこみ、放火や放火未遂をくりかえすようになった。下関駅放火事件は、その延長線上で起きた。
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2006年1月7日に起きた、下関駅放火事件──。 犯人はすぐに逮捕された。福田九右衛門(きゅうえもん)さん、当時74歳。警察では、犯行の理由を「刑務所に戻りたかったから」と供述していた。 福田さんには軽度の知的障害がある。それまで10回も、放火や放火未遂で捕まり、成人してからの54年間のうち約50年間は刑務所、あるいは留置場や拘置所(※)で過ごしていた。下関駅に火をつけたのは、刑務所を出て8日目。彼は、「累犯(るいはん)障害者」の典型のような人だった。