祖父の英語どうやって? 孫の問いに衝撃の説明「インパール作戦の生存者ってだけで凄すぎる」

180コメント

更新:2024/03/19(火) 14:27

1. 2024/03/13(水) 21:57:47

祖父の英語どうやって? 孫の問いに衝撃の説明「インパール作戦の生存者ってだけで凄すぎる」 | ENCOUNT encount.press

農家の祖父が熊野古道で道に迷った外国人をすらすらと案内……。どこで英語を身に付けたのだろうか? そんな疑問をぶつけると祖父から驚きの回答があった、との投稿がネット上で大きな話題になっている。投稿したTaka/医療SaaS CFO from pro fi/arm(@taka_cfo)さんに詳しい話を聞いた。


「私の祖父、熊野古道で迷ったりした外国人を道案内していたんだけど、純ドメ農夫なのに英語ペラペラなのが不思議だった。
気になって『どうやって英語を身に着けたのか』と聞いたところ、『インパール作戦に参加しミャンマーのジャングルで赤痢で倒れていたところイギリス軍に発見され、1年ほど捕虜として過ごし、その時に身に付けたとのこと。(回復まで半年を要したが、それまでに医者や看護婦とやり取りをするのに必死になるうちに覚えた)既に終戦していたこともあり、人道に反した扱いは受けなかったため、かつては銃弾を撃ち合った仲たが、イギリス軍には感謝している、とよく話していた」

「幼いころ、一緒にお風呂に入るたびに体中の傷や弾痕を見せながら、それらができた経緯を話してくれた。当時の私は『おじいちゃん戦争で大変だったんだなあ~』くらいの感想だったが、後に日本史の授業でインパール作戦を学び、その全体像を知りショックを受けた」

インパール作戦は第二次世界大戦終盤に日本陸軍により決行された。イギリス領インド帝国の都市インパール攻略を目指したものの、「地獄のインパール」「白骨街道」と呼ばれるほど凄惨を極め、日本は戦死・病死・餓死を合わせて多くの犠牲者を出した。補給が途絶える中、感染症が流行するなど環境は劣悪だった。

激戦地から生還したことだけでも驚きなのに、祖父は敵地で治療を受ける間に英語を吸収した。医療従事者とのやり取りに言葉は不可欠だったとはいえ、決死の思いで日々を過ごしたことは想像にかたくない。

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2. 2024/03/13(水) 21:58:44

>>1

難しい記事だな
トピズレだけど祖父は毒祖父だったし私は何も話す会話すらなかったよ

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3. 2024/03/13(水) 21:59:48

祖父は一体幾つの設定なの?
それの孫ってことはもうオジサンだよね

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4. 2024/03/13(水) 21:59:57

英語話せるの本当にすごい

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5. 2024/03/13(水) 21:59:57

兵隊は優秀だけど参謀が無能すぎたからインパール作戦のような悲惨な事態が起きてしまった

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