1. 2022/12/06(火) 23:38:32
飲み始めると月に1回は胃がけいれんし、数日は食事を取れなかった。夕飯を朝に吐き出すこともあり、「虹波のせいで七転八倒した」と語っている。治験後に死亡した入所者の遺骨は青っぽく、「骨に色が付くほど強い薬だったのだろう」とも証言している。
各療養所の園長には当時、らい予防法(旧法)に基づき指示に従わない患者に懲罰を与える「懲戒検束権」が与えられていた。長州さんが服用を指示されたのは宮崎松記園長(当時)の目の前で、辞退することはできなかった。
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戦時中、国立ハンセン病療養所・菊池恵楓園(熊本県合志市)の入所者に「虹波[こうは]」と呼ばれる薬剤が投与され、9人が死亡したことを示す文書群を同園が初めて開示した。同園で治験が始まったのは1942年末。静脈注射や筋肉注射、座薬などあらゆる投与法が試された。入所者の長州次郎さん(95)は、紫色の錠剤を一日3錠飲まされた経験を入所者自治会機関誌「菊池野」などにつづっている。