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1. 匿名 2019/03/01(金) 22:17:11
こんばんは!歴史が好きなアラサーです。
歴代の天皇のトピはあったのに、皇后のはなかったので立てました!
主が好きなのは一条天皇の中宮・彰子です。
帝には定子という最愛の存在が居ながら、漢文の勉強をしたり、定子の忘れ形見を引き取ったり、地位に甘んじない努力家な女性だと思います。
(定子の忘れ形見を引き取ったのは、自分が子供に恵まれない時の予防線かな、とも思いますが)
彰子のサロンは紫式部、大弐三位、和泉式部、小式部内侍、赤染衛門、伊勢大輔など才媛揃いですよね!
他に好きなのは、持統天皇(即位前は天武天皇の皇后でした、高倉天皇の中宮・徳子姫です!
※荒らしはご遠慮ください。+241
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2. 匿名 2019/03/01(金) 22:18:51
+350
-21
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3. 匿名 2019/03/01(金) 22:19:19
+224
-220
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4. 匿名 2019/03/01(金) 22:19:22
出典:image.middle-edge.jp+793
-131
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5. 匿名 2019/03/01(金) 22:19:23
+17
-129
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6. 匿名 2019/03/01(金) 22:20:08
このトピ荒れる!+5
-32
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7. 匿名 2019/03/01(金) 22:21:17
>>2
この方の遺伝子の強さ!
+494
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8. 匿名 2019/03/01(金) 22:21:40
皇室トピに常駐してるやたらと香淳アゲしまくってるババアが目障り過ぎて余計に嫌いになった。+10
-37
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9. 匿名 2019/03/01(金) 22:22:34
何人もお妃候補いたけど、昭和天皇が「良子でいい、良子がいい」と言ったとか
+867
-5
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10. 匿名 2019/03/01(金) 22:23:11
語ろうにもあまり資料がないからなぁ
ネットはガセばかりだし+176
-4
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11. 匿名 2019/03/01(金) 22:23:30
後水尾天皇の中宮・東福門院を主人公とした小説、「東福門院和子の涙」(宮尾登美子)を読んでいます。
天皇はイケメンで思いやりもあるんだけど、やっぱり浮気性で和子以外の女性との間にたくさん子どもが生まれて、和子は平気なふりをしても夜な夜なこっそり泣いている・・・という話です。
和子は徳川秀忠とお江の末娘で、武家の娘が入内したのは清盛の娘以来、女帝の母になったのは光明皇后以来、という極めて珍しい女性です。
面白いのでよかったらぜひ!+236
-7
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12. 匿名 2019/03/01(金) 22:23:47
この人を美人って言ってるガルおばさんたち、気は確かかといつも思う 笑+624
-87
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13. 匿名 2019/03/01(金) 22:24:25
現代の皇后はさんざん皇室トピで語ってるんだから、奈良とか平安の皇后を語りたいね+193
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14. 匿名 2019/03/01(金) 22:25:40
国母 美子様+11
-10
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15. 匿名 2019/03/01(金) 22:26:12
皇室の皇后は平安顔が望ましい+332
-15
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16. 匿名 2019/03/01(金) 22:26:15
人臣から初めて皇后になった光明皇后。
立后までに長屋王の非業の死やわが子の夭逝など、色々な困難を乗り越えてきたんだよね。
女性ながら残っている筆跡も力強いし、聖武天皇を支えるのには最適だったのかも。
立后までの道のりがきな臭いけど。+80
-1
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17. 匿名 2019/03/01(金) 22:26:45
>>9
昭和天皇は本当にお優しいのだな。+410
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18. 匿名 2019/03/01(金) 22:28:09
別に美人とか美人じゃないとかそういう事じゃないでしょ結婚って
気が合うかどうか、当人に可愛らしく見えてれば問題ない
本当わかりやすい外見しか見てないがる民は+409
-9
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19. 匿名 2019/03/01(金) 22:28:21
昔の皇后の方はよくわからない
みなさんどうして知ってるの?+117
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20. 匿名 2019/03/01(金) 22:29:50
>>19
歴史小説やWikipediaなどを読む。暇つぶしにちょうどいい。+19
-0
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21. 匿名 2019/03/01(金) 22:30:01
+204
-3
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22. 匿名 2019/03/01(金) 22:31:11
>>17
昭和天皇のお子供様たちは今上陛下がお生まれになるまで全て女の子だったから側室を進められたけど、良子でよいと断ったとか。+561
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23. 匿名 2019/03/01(金) 22:31:39
>>19
光明皇后は歴史の教科書で出てきそうだけど・・・
藤原定子と彰子、建礼門院徳子は古文で習わなかったかな?
定子・・・清少納言「枕草子」
彰子・・・紫式部「源氏物語」、和泉式部「和泉式部日記」、赤染衛門?「栄花物語」
建礼門院徳子・・・「平家物語」、「建礼門院右京大夫集」
が有名どころかな+116
-0
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24. 匿名 2019/03/01(金) 22:33:15
>>12
皇太后様は絵をお描きになるんだけど作風がなんともおおらかで気品があるのよ。一度展覧会で見たけどお人柄が出るんだなーと思いました。+173
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25. 匿名 2019/03/01(金) 22:33:46
>>9
昭和天皇脚長い+337
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26. 匿名 2019/03/01(金) 22:34:17
>>9
皇后について話すトピでごめんだけど、昭和天皇って顔濃いイケメンだったんだね+540
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27. 匿名 2019/03/01(金) 22:34:56
光明皇后の立后について、長屋王が反対した理由として、
・今までの皇后は皇族の血を引いている
・皇后は万が一天皇が崩御した時、その後継として自分も天皇になれる可能性があった
(つまり皇族でない光明子は皇后になる資格がないと見なしていた)
から、と永井路子さんは分析しているよ
確かに今までの女帝のうち、
推古天皇→敏達天皇の皇后
皇極天皇→舒明天皇の皇后
持統天皇→天武天皇の皇后
元明天皇→草壁皇太子の妃
だったもんね+71
-2
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28. 匿名 2019/03/01(金) 22:35:02
>>9
EXILEのアキラみたい!+79
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29. 匿名 2019/03/01(金) 22:35:14
>>12
この方の容姿的遺伝子強過ぎ。
+303
-3
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30. 匿名 2019/03/01(金) 22:37:34
>>12
この人が来るまでは顔の濃い家系だったらしいね+378
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31. 匿名 2019/03/01(金) 22:37:43
>>12浅田真央に似てるわ!+127
-38
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32. 匿名 2019/03/01(金) 22:38:59
>>5
それ、ほうぼうね(笑)+95
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33. 匿名 2019/03/01(金) 22:39:16
源氏物語での話なんだけど、藤壺が中宮になれたのはやっぱり皇女だからかな?
第一皇子で皇太子の母は弘徽殿の女御なのに、それを差し置いて中宮になったんだよね。
六条の御息所も東宮が生きてさえいれば、あのまま中宮になれたのかな。
そう考えると葵の上→源氏に嫁がず朱雀帝に入内or朧月夜→源氏とやらかさなければ、中宮というルートもあったんだろうね。+61
-4
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34. 匿名 2019/03/01(金) 22:39:58
>>1
彰子のサロンは、華やかだった定子サロンに比べて、女房達の応対が気が利かなくて白ける、陰気、と殿上人の評判はよろしくなかった模様。+133
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35. 匿名 2019/03/01(金) 22:40:09
>>31
浅田真央なんかと一緒にしないで。
香淳皇后は皇族の血を引くれっきとしたお姫さまよ。+34
-68
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36. 匿名 2019/03/01(金) 22:40:57
>>1
持統天皇は百人一首の、春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山で有名ですね😀
+98
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37. 匿名 2019/03/01(金) 22:42:15
香淳皇后好きでも嫌いでもなかったけど、粉屋皇后の酷さで色々言われてるけどまともな方だったのかなと思ってきた。+245
-16
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38. 匿名 2019/03/01(金) 22:42:29
この写真有名だけど、戦争終結後の会談で、昭和天皇が「自分の命はいいから国民を救ってほしい」と緊張で震えながら頼んだのに心を打たれてマッカーサーは親日家になったという話を聞いた事がある
+569
-10
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39. 匿名 2019/03/01(金) 22:43:32 ID:vxszO83uFM
藤原高子
清和天皇の后、光源氏のモデルと云われている在原業平の恋人だった人
すっごい美人だったはず+106
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40. 匿名 2019/03/01(金) 22:43:42
愛子さまがガリガリだったとき雅子さまも細いね。大変だったんだなあ。+570
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41. 匿名 2019/03/01(金) 22:44:26
>>2
このお方の息子さんが今の天皇陛下ですね?+183
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42. 匿名 2019/03/01(金) 22:44:50
>>2
この写真は、眞子さまに似てるわ
皇太子、愛子さま、紀宮さま、眞子さまが
香淳皇后にそっくりで親戚が、ここまで似るってスゲー
+283
-4
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43. 匿名 2019/03/01(金) 22:46:42
初代皇后のひめたたらいすず姫は神武天皇の死後、神武の先妻が産んだ長男と結婚してる。+6
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44. 匿名 2019/03/01(金) 22:47:43
村上天皇の中宮・藤原安子もなかなかのお方w
新しく入内してきた芳子という女御が美人なので気に入らない→女房に土器の欠片を投げつけさせる→天皇に見つかる→逆切れ
ただ、優しい人だったらしく、安子が亡くなった時は皆悲しんだそうです
天皇でさえ「亡くなった安子が芳子のことを毛嫌いしていたのに、何故自分は芳子を寵愛したんだろう」と嘆いたほど
ちなみに天皇と安子の間には7人の子が生まれています+81
-2
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45. 匿名 2019/03/01(金) 22:49:33
鳥羽天皇の皇后・待賢門院は自己中で強かそうだし嫌いだな・・・+9
-5
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46. 匿名 2019/03/01(金) 22:50:26
孝徳天皇の皇后、間人は絶対ブラコン。
兄は古代史のスター、中大兄皇子こと天智天皇。+75
-1
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47. 匿名 2019/03/01(金) 22:50:44
>>39
高子って在原業平と駆け落ちしたけどお兄さんに見つけられて連れ戻されてしまったんじゃなかった?
蛍の描写が印象的でした
何か、物語で読んだ様な…物語では高子さんはなくなってしまったよね
+43
-1
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48. 匿名 2019/03/01(金) 22:53:08
>>46
間人の皇女は同母の兄と近親相姦疑惑あったよね
異母兄妹は結婚出来たんだけど、さすがに同母はタブーだった+92
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49. 匿名 2019/03/01(金) 22:53:42
嵯峨天皇の皇后は壇林皇后。
古代史の本で名前はよく見るけど、なぜ有名なのかよくわからない人だ。+11
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50. 匿名 2019/03/01(金) 22:55:27
後深草天皇の中宮・東二条院公子。夫の愛人が書いた「とはずがたり」の中では嫉妬深い嫌な女になってるけど、実際はどうなんだろう。
愛人が奔放すぎてムカついたってのもあるんじゃないのかな。
ちなみにこの愛人は托卵・天皇の弟とヤルなどやりたい放題+67
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51. 匿名 2019/03/01(金) 22:57:30 ID:vxszO83uFM
>>46
同母腹の兄である中大兄皇子と危ない関係
性に大らかな古代でもタブーです
+39
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52. 匿名 2019/03/01(金) 22:59:38
光明皇后と建礼門院って微妙に被るところあるよね
・光明皇后→異母姉の生んだ聖武と結婚、藤原氏初の皇后(聖武帝は藤原氏を母に持つ初の天皇)、天皇の母
・建礼門院→叔母の生んだ高倉と結婚、平氏初の中宮(高倉帝は平氏を母に持つ初の天皇)、天皇の母
多分清盛が藤原氏のやり方を真似ただけだし、光明皇后も徳子も性格は全然違うけど、平家物語では不比等と清盛の出自が似てるって言われてたw+18
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53. 匿名 2019/03/01(金) 23:03:41 ID:vxszO83uFM
平安時代の女御?后?の中に想像妊娠した人いたよね?
男児産むことで実家の繁栄がかかっていたから、プレッシャー凄いだろうと思うと可哀想+77
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54. 匿名 2019/03/01(金) 23:04:11
>>47
伊勢物語かな?+8
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55. 匿名 2019/03/01(金) 23:04:11
>>4 めちゃくちゃお綺麗ですね。
顔形はさることながら、気品のオーラが素晴らしい。+140
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56. 匿名 2019/03/01(金) 23:06:44
主さん、私は一分のスキもなく定子派!
関白の父が急逝すると、みるみる没落していく悲劇のヒロイン。本当にかわいそうで気の毒で。
当然、紫式部より清少納言派。+108
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57. 匿名 2019/03/01(金) 23:09:36
とりあえず、今のところ、
バカな私が理解できたのは、
昭和天皇がイケメンだったってことだけだわ。
+325
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58. 匿名 2019/03/01(金) 23:12:59
主です!コメントありがとうございます。
清少納言がいたからこそ、定子のサロンはより楽しかったのでしょうね~。
私はどちらかと言えば内に秘めるタイプなので、同じような紫式部に親しみを感じますw
持統天皇は里中満智子の「天上の虹」を読んで好きになりました。讃良の妹・阿閉皇女も好きですw
徳子は確かに頼りないんですけど、一人平氏を弔う姿が本当に切なくて・・・。
他にも奈良時代の光明皇后も気になる存在です。+69
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59. 匿名 2019/03/01(金) 23:14:36
大正天皇の皇后は活発で香淳皇后はおっとり系だったからイライラしてたらしい+145
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60. 匿名 2019/03/01(金) 23:14:43
>>51
木梨軽皇子は、伝説とはいえ完全にクロで罰せられた。+6
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61. 匿名 2019/03/01(金) 23:16:15
そういえば源氏物語って何で朱雀帝に中宮がいないんだろうね
筆頭は朧月夜だったけど源氏との件でやらかし→尚侍止まり
承香殿の女御とか藤壺の女御(女三宮の母)とかいただろうに、右大臣一族の血縁で独占したかったのかね
藤壺や秋好中宮は皇族の姫だし、皇族でも藤原氏でもない第三勢力の源氏の娘が中宮って、やっぱりすごいんだろうな+37
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62. 匿名 2019/03/01(金) 23:19:59
光明子はこのマンガで再認識した。宮子はこのマンガで初めて知った。+26
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63. 匿名 2019/03/01(金) 23:22:02
>>51
斉明女帝が崩御した後、皇太子だった中大兄皇子が7年も即位出来なかったのは間人皇后との関係が原因だったとも言われているね。+37
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64. 匿名 2019/03/01(金) 23:22:05
>>62
宮子は皇后ではないけど、聖武天皇の母君だよね
産後うつになって息子と36年も会わずに過ごした
あの時代にも産後うつってあったんだな
闇が深そうだ+85
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65. 匿名 2019/03/01(金) 23:27:01
>>33
六条御息所の娘は東宮の娘で
弘徽殿の女御をおさえて中宮になれたもんね。
桐壺更衣は後ろ盾がなかったから
イジメの対象になったけど、
藤壺はれっきとした内親王。
お兄さんも政治の場では地位のある人だったし、
皇太子の母であっても弘徽殿の女御は位は下。
当時は本当に実家の力が大きかったんだね。
+54
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66. 匿名 2019/03/01(金) 23:28:49
>>30
これ、あちこちで言われてるけど、1000年以上続いてるのにそんな一言で言えるわけないじゃん。
濃い時期も薄い時期もあったでしょうに。
たまたま写真の残ってる明治以降に濃い顔の方が多かっただけじゃない?+33
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67. 匿名 2019/03/01(金) 23:29:53
>>3
改めて見比べると、愛子さまはホントに同一人物なのか?と思うほどだ。+207
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68. 匿名 2019/03/01(金) 23:35:44
皇后が出てくるマンガといえば、なんと言ってもうた恋い。
高子、期待に違わぬぶっ飛びぶり。
定子と清少納言は泣ける。+15
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69. 匿名 2019/03/01(金) 23:40:47
昭和天皇は貞明皇后に似てるよね
大正天皇の影が薄いからあれだけど自分が病弱だからと健康な貞明皇后が見初められたとか
天皇家が一夫一妻になったのはこの方からで4人も男児を産んでいる
+175
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70. 匿名 2019/03/01(金) 23:49:02
明治天皇の昭憲皇太后は子供できなかったんだよね
明治天皇にはたくさん子供がいるけどすべて側室の子
でもみんな体が弱くて三男の大正天皇が養子になり天皇に
大正天皇も体弱かったみたいだけど
+110
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71. 匿名 2019/03/01(金) 23:51:28
>>27
律令制では立后できるのは皇女のみって定めていたそうだよ。その辺りは藤原氏が絶大な権力を行使して無理やり変えてしまったみたいだけどね。
後の時代には一帝二后なんてこともしてしまったし。
仰る通り、天皇が崩御した場合、次の天皇が正式に決まるまで皇后が一時的に天皇に即位して繋ぎとなるケースがわりと多かったから、皇后になるのは皇族の女子でないとダメだったんだろうね。
というのは皇族の血を引かない家臣の娘が天皇になる可能性があると天皇という地位や権力が皇族ではない別の一族に乗っ取られる可能性があるからではないかな。
あとは母親の身分で子どもの身分も自動的に決まってしまうからという理由もあったと思う。
天武天皇と持統天皇(鸕野讃良皇女)の間に生まれた草壁皇子と、同じく天武天皇と地方豪族の娘の間に生まれた高市皇子は同じ父を持ちながらも高市皇子のが身分は低いものとされた。ゆえに高市皇子は草壁皇子より年上ながら天皇になる資格を持てなかった。
※ちなみに持統天皇の姉の大田皇女も天武天皇の妻で一男一女をもうけている。姉妹で同じ夫に嫁いでいるという…(^^;)
長屋王(高市皇子の息子)の時代でも、天皇と大臣の娘→聖武天皇と光明皇后の子どもより、天皇になれる資格の持つ皇子と皇女との子ども→長屋王と元明天皇の娘である吉備内親王の子どものが血は高貴だとされていたらしい。
その辺のことは里中満智子先生の漫画『天上の虹』『長屋王残照記』『女帝の手記』で読んだなー。+30
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72. 匿名 2019/03/01(金) 23:57:05
>>4
どなたですか⁇
めっちゃ綺麗+3
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73. 匿名 2019/03/02(土) 00:00:35
>>2
この方以後、みんなこの人と同じ顔になってるから遺伝子が強すぎて怖い。
綺麗な奥さんもらってもみんなこの顔。。。
愛子様まで引き継いでる。+197
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74. 匿名 2019/03/02(土) 00:04:00
>>70
昭和戦前の天皇家は側室の子にも皇位継承権があるのに、なんでわざわざ養子?
と思ってwikiってきたら、皇后の養子になったのね。これで形式上は皇后の子になったと。+71
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75. 匿名 2019/03/02(土) 00:11:06
>>44
芳子の立場www+50
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76. 匿名 2019/03/02(土) 00:11:55
私 勉強嫌いだけど歴史大好き
このトピすごく勉強になる(≧∇≦)b
いろいろ教えてください!
+44
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77. 匿名 2019/03/02(土) 00:13:35
確かに今の皇族方の顔立ちは香淳皇后の血の強さを凄く感じる。
眞子様は顔だけでなく体型もそっくりで、兄弟では悠仁様と眞子様がよく似ていて、やはり香淳皇后の雰囲気を感じる。
結構子どもって配偶者や両親たちよりそれぞれの祖父母や曽祖父母に似ることもあるらしいから、眞子様、佳子様、愛子様、悠仁様のお子様たちは自身の祖父母(今上天皇陛下と皇后陛下)や両親の面影が出てくるのかもね。+113
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78. 匿名 2019/03/02(土) 00:16:54
>>72
横だけど、
美智子さまじゃないですか?+60
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79. 匿名 2019/03/02(土) 00:21:20
大正天皇の在位の短さのせいか、貞明皇后について書かれた本はあまり多くないように思います。
五摂家の一つ、九条家の側室腹の姫君で、健康に育てるため、
ご幼少期は大きな農家に里子に出され、学齢期に九条家に戻り、15歳で皇太子妃になったお方。
厳しい女官に𠮟られて、切ない思いをすることもあったようですね。
病弱な夫君に代わり、宮中の切り盛りや、首相らへの応対など、想像以上に大変だったでしょうと思います。
貞明皇后と照憲皇太后について、もっと知りたいです。+135
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80. 匿名 2019/03/02(土) 00:21:42
>>72
美智子皇后ですよ。
世界各国どこに行かれても、その国の女性のあこがれの的になったそうですが、訪問した国の要人男性が美智子妃をうっとり見つめてる写真、何枚か見たことあります。
若いころの雅子さまも紀子さまも、佳子さまもとても美しいですがやはり、若き日の美智子皇后とは
比較になりませんね。+72
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81. 匿名 2019/03/02(土) 00:22:27
アンチ天皇家だけど美智子様と雅子様は応援したい+26
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82. 匿名 2019/03/02(土) 00:23:43
>>49
橘氏初の皇后で立后に当たっては藤原冬嗣の後ろ楯がついてて、しかも才色兼備。
政争にも関われる腹の太さもありながら、自分を風葬にするよう遺言を残すなどの哲学的な面もあり、一人の女性としても興味深い人物像。
これは橘三千代からの遺伝の影響なのかなと個人的には思ってる。+9
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83. 匿名 2019/03/02(土) 00:26:43
>>40
周りが色々言わなければ、ふつうに一人娘と三人での平和な家族よね+156
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84. 匿名 2019/03/02(土) 00:36:23
この歴史の中に雅子さんが加わるのね・・・+51
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85. 匿名 2019/03/02(土) 00:45:03
>>3
1枚目と2枚目で随分と座高が変わっているね、ソファは変わらないのに。+6
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86. 匿名 2019/03/02(土) 00:46:34
明治天皇は側室を7人持って15人程子どもが生まれたけど成人したのは4、5人
男児は大正天皇たった1人だったみたいだね+113
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87. 匿名 2019/03/02(土) 00:58:30
>>9
良宮とお呼びでした。良宮がよいとおっしゃった。
良子様は昭和帝をお上とお呼びでした。
このトピで読み方がわからない事はないと思いますが念の為
お上(おかみ)、良宮(ながみや)+125
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88. 匿名 2019/03/02(土) 01:03:20
>>22
昭和様の爪が伸びるとそろそろお切りにとお世話係りが声をかける
切ろうとすると毎回、長宮にと言っていた
側室も長宮だけでよいと断った+100
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89. 匿名 2019/03/02(土) 01:08:19
>>87>>88
そんな風に愛されてみたい…( ;∀;)+148
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90. 匿名 2019/03/02(土) 01:10:07
香淳皇后というか、昭和天皇のエピ
・婚約中にパリのお土産屋さんで「山本、このエッフェル塔の模型を飼ってお寄与」と命じ、続けて「あのー、良子さんに・・・それから秩父さんやみんなにネ」
・4人女子が続いてやっと今の陛下が生まれた時に「よかったね」と声をかけて、一旦退出しようとするもすぐ戻ってまた「よかったね」と声をかける
・美智子様は自分の手で育ててるぜ、慣例破った、万歳!な頃に「夜は乳人が与えたが、昼は良宮も乳を与えたよ」
・御所で散歩されていた時、後ろを振り向いて「良宮、そこに水たまりがあるから気を付けてね」
・自分の手術後の第一声「良宮はどうしているかな」+283
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91. 匿名 2019/03/02(土) 01:10:57
>>4
見合いを何十回もしてた昔の姿と比べると、皇室女優と言われるのも納得だなと思う
マスコミを味方に付け自己プロデュースが上手かった+153
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92. 匿名 2019/03/02(土) 01:20:32
香淳皇后は生まれも育ちも嫁ぎ先も皇族で、一度も国民だったことがない貴重なお方です+266
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93. 匿名 2019/03/02(土) 01:23:12
>>90
親王になかなか恵まれず内親王が続いても「女の子は優して可愛いから良い良い」とおっしゃったそうですね+251
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94. 匿名 2019/03/02(土) 01:24:34
香淳皇后は凄く好きだった。
今、昔の画像を見ると、ふと、浅田真央ちゃんや安倍総理に似た表情があって。(私だけ?)
香淳皇后、日本の行く末を見守ってください+191
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95. 匿名 2019/03/02(土) 01:32:00
結構調べたのにわからなかったので聞かせてください!
昭和天皇の奥様の香淳皇后陛下は、なぜ香淳というお名前なんでしょうか?
あまり日本人の名前ぽくないのでずっと気になっています。+14
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96. 匿名 2019/03/02(土) 01:35:37
>>92
この方の美しさって目鼻立ちではなくて、気品ですよね。+148
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97. 匿名 2019/03/02(土) 01:44:01
>>90
昭和天皇の香淳皇后ラブエピ可愛いですよね
私は宮中某重大事件を乗り越えて婚約発表されて、国民誰もがそのことを知っている状態でお茶会に参加した時、隣に座っていた女性(白州正子さんだったはず)に「実はこのたび、結婚が決まったんですよ」と内緒話のように話し、周囲の人を吹き出させていたというエピソードがとても好きです
お茶目w+168
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98. 匿名 2019/03/02(土) 01:48:07
ごめんなさい
知恵が浅いため本当にただ教えて頂きたいのですが
香淳皇后が美智子様に意地悪をしていたっていうのは本当ですか?
昭和天皇との中睦まじいエピソードを見聞きすると香淳皇后にそんなイメージが湧かないし
美智子様もいろいろいろ言われてはいるけど 今上天皇と寄り添う姿を見ると悪い人には見えないのですが…+143
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99. 匿名 2019/03/02(土) 01:49:47
香淳皇后は、本当に昭和天皇と仲が良くて、
皇居で映画を観る時はいつも隣で手を握り合ってるし、
毎日陛下が宮殿へ執務を行いに出かける時は廊下の角を曲がるまで、見えなくなるまで欠かさず見送った。
周囲から反対されたけど、乳母に任せず香淳皇后自ら授乳したり、
慣例で今上がわずか3歳で親元から離れて育ち、
週末等に帰ってきた時はお風呂のお湯加減を見に来たりご飯作ってみたり、当時の皇族としては有り得ないぐらい親密だった。
家族にとっては良妻賢母だったんじゃないかな。
どうしてもフグを食べてみたくて、反対する侍医と2時間理詰めで議論して引かない昭和天皇を、
「お上、もうその辺になさいませ。」と止めた話も好き。+215
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100. 匿名 2019/03/02(土) 01:56:15
>>98
美智子さまが女帝で、天皇陛下がまるでお付きのようでしょう。
昔から他の妃殿下に帽子のかぶり方を直されても
次には自己流に戻すような気の強い方ですよ。
+159
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101. 匿名 2019/03/02(土) 02:00:20
香淳皇后は美智子さまの平民出身とはけしからんと言って無視したりしてた、って話は挙がってるけど信憑性はわからない+113
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102. 匿名 2019/03/02(土) 02:02:55
>>77
眞子さまは香淳皇后、佳子さまは昭和帝似のお顔立ちですよね+170
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103. 匿名 2019/03/02(土) 02:08:10
大正天皇の母親は女官の一人で貞明皇后の教育係
2人は大層仲が良く大正天皇の病床にも付き添ったんだとか
昭憲皇后が生きてたら側室である母親は付き添えなかったんじゃないかなあ
明治天皇と昭憲皇后との仲はどうだったかあんまり文献がないんだけどバリキャリっぽい方で魚釣りやパイプが好きな方
貞明皇后もアクティブな方だから馬が合ったか反発しあったか+36
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104. 匿名 2019/03/02(土) 02:08:13
>>98
ご成婚当時、民間から初めて嫁いだ美智子さまに関して賛成派と反対派の方々がひっきりなしに香淳皇后のもとへ訪れ、様々な意見を述べていき続けたそうです
気の休まることのないまま様々な意見を聞かされ続けた香淳皇后は自分の意見をまとめることもできない、狂うのを抑えるような状態になってしまったため、
美智子さまに対しある時はとても優しく接したり、またある時は無視をしたりという行動をとってしまった、と聞いたことがあります
悲しいことですが、私にはこの方も被害者のおひとりのように思えます
+205
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105. 匿名 2019/03/02(土) 02:21:17
大正天皇のお母さんはとても人気があったそうだけど明治天皇の寵愛を1番受けたのは内親王を何人か生んだ他の側室みたいだ
伯爵家のご令嬢+95
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106. 匿名 2019/03/02(土) 02:36:54
香淳皇后は色白で娘時代はお雛様みたいできれいだと思う。
貞明皇后はいわゆる昔のお姑さん。かなりの鬼姑で嫁を怒鳴りつけるのはしょっちゅうだった。
香淳皇后は自分がされて嫌だったことはやらない、という主義を貫き通したので、二人の嫁を怒鳴りつけるということは絶対にしなかった。
どうしても言いたいことがあるときは直接言うと角が立つので、「ここはこうしたほうがよい」という表現で周囲の人から伝えてもらうという方式をとった。+179
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107. 匿名 2019/03/02(土) 02:37:39
貞明皇后が良子様選んだのに、なんで嫁と姑になると 嫁イジメちっくになるんだろうと思った。昭和天皇と良子様が超仲良しだったから 嫉妬したのかな?でも貞明皇后は昭和天皇より弟宮達の方を超可愛がってたらしいから どうなんだろうね。+90
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108. 匿名 2019/03/02(土) 02:46:21
貞明皇后は占いとか今で言うスピリチュアル系にはまってて、怪しい女官に入れあげてたけど、
昭和天皇は理系でそういうの毛嫌いしてたんだよね
貞明皇后は小さい頃は野山を駆け回り色黒姫と呼ばれ、
気が強くて病弱な夫を支えるしっかり者って感じだし、
真逆でおっとりしてそうなお姫様の香淳皇后が可愛くて仕方なかったんだろうなぁ+102
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109. 匿名 2019/03/02(土) 03:01:36
>>107
いずれ自分よりも上の地位へ行き、国を担うお二人には距離をとるようにしたようですよ
ちなみに貞明皇后は誰にでも平等にキツいことを仰っていたそうです
(よくお会いする方々はただの愛情のある叱咤としてあまり気にしてなかっただけ)
ただの性格のようです+35
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110. 匿名 2019/03/02(土) 03:04:54
>>70
すみません、この方の髪型って自分の希望でなったのでしょうか?
こんなに短い前髪って珍しいと思って
後ろはどうなってるのでしょうか
明治の世となっても、一般女性もまだまだ日本髪だった時代だし皇后陛下ならなおさら長い黒髪を意識すると思って+31
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111. 匿名 2019/03/02(土) 03:38:07
>>30
やっぱり皇室って縄文系だったんだよね
この人じゃなかったら今の皇室も顔が濃いイケメンだったかもしれない+30
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112. 匿名 2019/03/02(土) 03:41:36
>>32
偉い!ちゃんとつっこんであげてる!
+50
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113. 匿名 2019/03/02(土) 03:46:58
>>91
皇室という船を我が物顔で舵取りする粉屋の船頭さん🚣♂️
(シャワーキャップとネグリジェズロース姿でエンヤードット、エンヤードット❗️)+51
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114. 匿名 2019/03/02(土) 03:48:44
>>100
まあ、本当はお優しいだけの方ではないよね。
昔はそんなに画像も限られたものだけしかなかったから判断できなかったけど。
色々出揃うと、すっかりそう思い込まされてたんだなーって思うことが多々あるね。+76
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115. 匿名 2019/03/02(土) 03:48:54
>>113
このファッションは当時📖女性雑誌で話題になりましたね🎎+45
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116. 匿名 2019/03/02(土) 03:57:28
昭和天皇と香淳皇后は本当に仲睦まじくていらっしゃった。
お生まれになる皇子様が次々と姫宮様で、日継ぎの皇子が生まれない、良子様は女腹であらせられると言われて、臣下達から是非とも御側室をと進言されても陛下は「私は良子がよい。側室などいらん、私には弟宮達がおる、男が生まれなければ、弟宮に位を譲ればよいのだから。」と仰せになられた。
本当に愛しておられたのだなあと温かい気持ちになる。+258
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117. 匿名 2019/03/02(土) 06:31:13
>>113
性格の悪さが滲み出てるね。113の。+72
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118. 匿名 2019/03/02(土) 07:01:44
>>96
本当にそう思う。
時代もあるかもだけど、香淳皇后はお上の前に出たり、少しでも差し出がましいようなことは一切していなかったイメージ。
時代に左右されない皇室であって欲しいな。
イギリス王室も、バッシングされたり色々あるけど、頑なに守ってることがたくさんあるよね。
だから、結局は国民に愛されている。
未だに大切な周知事項は、宮殿の中を、女王直筆の封蝋された手紙が銀盆に乗って届けられているって聞いて、実は今ならこれが一番安全なんじゃないかとさえ思ってる。スパイウェアも盗聴器も潜り込みようがないもんね。
あと、エリザベス女王がキャサリン妃を割とキツく叱ったって内容が、産まれたお姫様に対するお辞儀の角度がなってないって。なぜなら、身分がお姫様の方がうえだから。キャサリン妃にしてみれば、自分の子供という感覚があったんでしょうけど。
そういうケジメみたいなものが、今の日本の皇室からは感じられないなあとは思う。庶民的になるのと、開かれた皇室ってのは違うと思うんだがなあ。
香淳皇后は、やはり雲の上の人的オーラが好きだった。
実際、普通とは違うんだよなあ。
権利だけ主張して貪って、やることやってないじゃん、ってところが今叩かれてんだよね。
とりあえず、KK問題くらいさっさと片付けろよな、と思う。皇室にとって、マイナスしかない一家でしょうに。+165
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119. 匿名 2019/03/02(土) 07:05:26
工作員は秋篠宮トピに張り付いてるからこのトピは落ち着いてていいね。
+24
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120. 匿名 2019/03/02(土) 07:15:25
お上って言い方は日本って感じでいいね+99
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121. 匿名 2019/03/02(土) 07:51:20
貞明皇后は15で何も知らない状態で嫁いできて教育係にかなり厳しく宮中のルールを叩きこまれたんだよ
大正天皇は体弱いし大変だったと思うよ
とても辛かったけれどあれがあったお陰で皇室というものはどういうものか理解したと残してる
香淳皇后に厳しくしたのはそのせいじゃないかな
大正、昭和は日本は戦争もあって暗い時代だし今よりもっと天皇家が神格化されてたから嫁は大変よ
単なる嫁いびりではないと思い…たい+111
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122. 匿名 2019/03/02(土) 08:36:36
>>60
垂仁天皇の皇后、佐保姫も、兄の佐保彦に殉じたよね。+6
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123. 匿名 2019/03/02(土) 08:48:33
前の仕事で宮内庁出入りしてた人間から言わせて頂くけど、皇后のことだけじゃなくて、引いては皇室の特定人物を悪く書く人は天罰当たる。
このトピにも心当たりある人いると思うけど知らないよ。
人を呪わば穴二つってね。+8
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124. 匿名 2019/03/02(土) 08:49:13
>>110
テレビから得た知識なので確実かは分かりませんが、明治天皇は西洋化をあまり好ましく思っていらっしゃらなかったそうです。
そこで昭憲皇太后が率先して洋装をしたり、西洋の文化を取り入れたという内容でした。
この時代に肩を出すドレスをお召しになるのはかなりの覚悟が必要だったかと思います。+25
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125. 匿名 2019/03/02(土) 08:59:49
>>124
こんなに露出度の高い服装は当時の感覚でいえば皇后陛下がヘアヌード出したのと同じ衝撃+53
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126. 匿名 2019/03/02(土) 09:00:51
>>70
昭憲皇太后ほお優しい方だったのかな。
昭和帝、秩父宮、高松宮の三人がすごく懐いていて、私のおばあさまだと取り合ったとか、皇太后は血のつながった祖母ではないと知って、昭和帝がショックをうけたとかいうエピソードを読んだことがある。
大正天皇を自分の子供として育てて、孫たちも可愛かったんだろうね。
+85
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127. 匿名 2019/03/02(土) 09:05:55
貞明皇后は15で嫁いできて何も知らなかったので、結婚して三年は毎日叱られてばかりいて泣いて暮らしていた。
自分の経験から「この家に嫁いでくるならそれなりの知識を得てからのほうがいい」と考え、嫁を迎える立場になったとき「お妃教育」を発案し実行した。
ただし「そのための建物を建てろ」といったため、貧乏宮家の久邇宮家は大変な思いでやっと建てた。。掃除する場所は増えても使用人を増やすゆとりは全然ないので、掃除してくれる人は誰もいない。香淳皇后はその建物の内外を毎日一人で掃除していた。
香淳皇后は息子の結婚に当たって「お妃教育は確かに必要だが、そのために建物を用意しろというべきではない」と考え、御所に来てもらって講習を受けるという形にした。
+89
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128. 匿名 2019/03/02(土) 09:06:54
>>126
大正天皇も大ショックを受けたんでしょ。だから奥さんは一人でいいということで一夫一婦を守って側室を持たなかった。+55
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129. 匿名 2019/03/02(土) 09:33:51
昭憲皇太后は山川三千子の「女官」という本にも、とても優れた心をお持ちの女性と書かれているから、本当に優しくて素敵な皇后だったんだと思う
+39
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130. 匿名 2019/03/02(土) 09:35:05
>>128
暗愚と言われている大正天皇だけど、自分はそう思わないんだよなー。
皇后ただ一人を生涯愛し、朝鮮の王子とも交流し、漢詩に優れた天皇だよね。
若くして崩御されたのが本当に惜しまれる。+85
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131. 匿名 2019/03/02(土) 09:44:39
>>123
えー東宮ご一家のことを悪く言いまくりのアキシンジャーは罰当たりまくりじゃないですかやだーw+28
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132. 匿名 2019/03/02(土) 09:48:34
>>1
中宮彰子は香淳皇后がいらっしゃるまでは、歴代皇后で最高齢のご長寿だったんですよね。平安時代に90を超える長寿を保たれたなんて、すごすぎです。
>>105
確か、園祥子さんですよね。明治天皇のお子を7人か8人お生みなったはず。
+37
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133. 匿名 2019/03/02(土) 10:29:19
昭憲皇太后は今でいうバリキャリ女子
いち早く洋装を取り入れ欧州と対峙しようと熱心だった
赤十字に基金を設立したり女学校の創立にも尽力
かなりアクティブで趣味は魚釣り、明治天皇の前では決して吸わなかったけどパイプを好んだとか
この時代の人には珍しく鼻筋も通ったすらっとした人であだ名をつけるのが好きな明治天皇には天狗さんと呼ばれていた
明治天皇は西洋の文化を嫌ったわけではなく、日本のいいところは残しつつ海外の文化も取り入れていきたいとのお考えだったけど、急速に西洋に染まっていく世間を危惧したんじゃないかな
伊藤博文の欠点を西洋好きと指摘してるし
明治天皇と伊藤博文の仲を皇后が取り持ったり、できる女だと思う+59
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134. 匿名 2019/03/02(土) 10:39:56
孝明天皇のお相手の英照皇太后は貞明皇后の叔母
どこの王族もそうだけど近いとこで結婚してるよね
明治天皇も大正天皇も側室の子で、明治天皇の母の中山慶子さんのお家は家禄が少なかったので産屋建設費用はほぼ借金だったとか
側室も大変だよね+33
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135. 匿名 2019/03/02(土) 11:15:42
>>9
昭和天皇イケメンだわー+47
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136. 匿名 2019/03/02(土) 12:38:21
>>100
プラスいっぱいついてるけど、それって結局は100さんや見る側の主観でしかないのでは?
これまでの言動やエピソードを見れば云々て反論されそうだけど、それすら100%の真実だとは限らないよね。ご存知の通り事実なんていくらでも捻じ曲げられるし。+16
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137. 匿名 2019/03/02(土) 12:41:39
>>12
典型的な平安美人だよね。
じゃあこの顔になりたいかと聞きたい。+7
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138. 匿名 2019/03/02(土) 12:46:19
>>70
顎が長すぎる
二次元の世界だと女王やお姫様は美人なのに…
皇室って本当に美人が少ないよね+3
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139. 匿名 2019/03/02(土) 12:58:11
一重って劣性遺伝のはずなのに、それを打ち消す香淳皇后の遺伝子強すぎ…+45
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140. 匿名 2019/03/02(土) 13:21:22
>>91
これ美智子様?+13
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141. 匿名 2019/03/02(土) 14:30:07
>>9
なぜかイケメンは見た目重視しないよね。+9
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142. 匿名 2019/03/02(土) 14:31:59
>>130
生まれながらの虚弱体質に加えて、天皇を勤め上げることのプレッシャーから幻覚を見ていたと言われているね
突然立ち止まり、ぼうっと外を見ていたりとか
そのために暗愚として扱われ、臣下にお辞儀もされないことすらあり、貞明皇后はとても屈辱を味わったとか
今の医療ならもっと大正天皇を救えたのかな
ここではあまり貞明皇后は好かれていないみたいだけど、私は貞明皇后好き
日陰な扱いだった灯台守の人達に励しのお歌とラジオをおくり、差別の多い病の人達の為に病院を作り、4人の男の子を産み育て、お妃も自ら選んだ逞しさがまぶしい
感情を表に出すため昭憲皇太后には驚かれ、香淳皇后には緊張され嫁姑関係はアレなようだけど
頼もしくてこの方も「選ばれた人」なんだなと思う+68
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143. 匿名 2019/03/02(土) 15:01:27
>>24
でも、美智子さまへのいじめがすごかったんでしょ?+4
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144. 匿名 2019/03/02(土) 15:03:57
>>142
貞明皇后は歴代の皇后ではじめて亭主の身の回りの世話をこまごまと焼いた。
昔は一日の仕事が終わって私室に戻ってきたとき、脱いだ服をハンガーにかけてブラシをかけたり、毎日履く靴を磨くのは侍従の仕事であった。
しかし貞明皇后は「庶民の家ではこういうことはみんな奥さんがやっているから」と世話を焼いた。
大正天皇と昭和天皇のほのぼの親子エピソード
昭和天皇が小さいころはクリスマスがちょうど世間に浸透してきた時期であった。高島屋の宮中担当者が「お菓子やおもちゃの詰まったクリスマスブーツを買って子供にプレゼントするのが庶民の間ではやっている」と説明したら、「庶民がやっているなら、うちもやっていいね」と買い求め、おもちゃの詰まったクリスマスブーツを幼い息子にプレゼントした。
大正天皇は大変に子煩悩なパパで、実は前々からクリスマスに何か子供に買ってやりたいと考えていた。しかし天皇家は神道の家元なので、外国の宗教の開祖の誕生祝をするのはやはりまずいのではないかと、どうしようか~どうしようか~と思いあぐねていたそう。
もしクリスマスが一部の西洋かぶれの家だけでやるもので、庶民はクリスマスブーツなんか知らないし買わないというのであれば、自分の家が買い与えるわけにはいかないと思っていたという。
+69
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145. 匿名 2019/03/02(土) 15:09:13
高松宮にとって祖父の明治天皇はおっかないというイメージだったそうです。年に一回か二回くらいおじじさまの顔を見る機会があったとはいえ、距離を置いていて決してそば近くには寄せてもらえなかったといいます。
おじじさまは孫を見ても笑顔一つなく、ただ「うー、うー」といかめしい顔でうなっていたので、子供心に慕わしいという感覚を持てませんでした。
貞明皇后はこんなことではいけないと、おなかが大きいときに仕立てた赤ん坊の着物を出してきて「この着物の生地はおじじさまがくださったものですよ」とか、おもちゃを出して「これはおじじさまがお前たちにと買ってくださったのよ」と見せて、おじじさまはおっかないというイメージの払拭に一生懸命だったのだそうです。+49
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146. 匿名 2019/03/02(土) 15:13:11
>>130
大正天皇は男兄弟がいなかったので、朝鮮の李朝の王世子を弟のようにかわいがっていた。+34
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147. 匿名 2019/03/02(土) 15:23:56
男児を生めないだけで叩かれ批判されるのに皇后でありながら子どもを1人も生めなかった昭憲皇后の気苦労は想像できない程のものだっただろうと思う+84
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148. 匿名 2019/03/02(土) 15:26:21
明治天皇は7人も側室がいて20人近く子どもがいたのに成人したのは5人程でそれも園祥子さまと大正天皇のお母さまとの子どもだけだよね
あれほど民間からのお妃が求められたのも頷けるよ+40
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149. 匿名 2019/03/02(土) 15:29:23
当時は愛のない政略結婚が殆どだし天皇も側室も正室もみんな親戚関係で特に嫉妬も湧かないかも+6
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150. 匿名 2019/03/02(土) 15:44:57
>>147
昔は出産は命がけで亡くなる人が多かった。皇后はそんなに簡単に代替要員がみつかるわけではないので出産で死なせるわけにいかないということで、入れ替えが簡単にきく側室が出産を代行したと考えるのが当時の感覚だと思う。そのあたりが現代人との間隔の違いかもね。
大正天皇が結婚するころになってようやく西洋医学がいきわたり、昔ほど出産での死亡事故が多くなくなった。大正天皇が一夫一婦を守ったのは、出産で命を落とす人が減った時代になったため。側室を置く必要がなくなったというのもある。+54
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151. 匿名 2019/03/02(土) 16:04:24
>>132
中宮彰子の母方が当時としては異例の長生き家系だった記憶。
彰子の兄弟である藤原頼通・母の倫子・倫子の母も含めて80代まで生きてたと何らかの本で読んだ。
+14
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152. 匿名 2019/03/02(土) 16:08:54
三笠宮さまの男性皇族が早死してる
なんか因縁でもあるのか?+29
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153. 匿名 2019/03/02(土) 16:12:32
>>58
私も彰子が好きなので嬉しいです!ガルちゃんは彰子嫌いが多いので…+15
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154. 匿名 2019/03/02(土) 16:39:23
>>153
彰子は十二歳で入内して、二十歳そこそこで帝に先立たれてから半世紀以上生きたんだよね。
しかも夫の最愛の人は定子。一条天皇の辞世の歌は、彰子ではなく亡き定子に向けて詠まれたものだし。位としては栄華を極めて長生きしたけど、幸せだったかというと、、、+43
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155. 匿名 2019/03/02(土) 16:42:52
>>12
そう?浅田真央ちゃんを可愛いで大量に+なるんだから…同じ顔でしょ?不思議は無いよ?浅田真央ちゃんの時もいつも不思議だけど+11
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156. 匿名 2019/03/02(土) 17:03:48
大正天皇の皇后の貞明皇后は、
16歳で迪宮 裕仁親王(後の、昭和天皇)を生んだ。
+44
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157. 匿名 2019/03/02(土) 17:11:21
明治天皇、大正天皇、昭和天皇(赤ちゃんの頃の。)
貞明皇后、昭憲皇太后
この写真、レアですね!+46
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158. 匿名 2019/03/02(土) 17:11:21
昭和天皇、今いても普通の今どきな人
+113
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159. 匿名 2019/03/02(土) 17:13:07
香淳皇后、昭和天皇
今上天皇のご両親+80
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160. 匿名 2019/03/02(土) 17:17:10
生後7ヶ月の今上天皇(当時、継宮 明仁親王)を抱く香淳皇后
1934年(昭和9年)7月撮影+79
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161. 匿名 2019/03/02(土) 17:50:25
昭和天皇、皇后+76
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162. 匿名 2019/03/02(土) 17:58:25
昭和天皇は側近の頑固爺が側室候補の
若い令嬢たちを何人か連れてきたとき
「 皆いい婿さんが見つかるといいね 」とおっしゃったとか
うちのスケベ旦那とは大違いーーーー
これは比べたらバチがあたるわ‼️+93
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163. 匿名 2019/03/02(土) 18:15:34
スケベ旦那と比べる対象じゃないだろ+64
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164. 匿名 2019/03/02(土) 18:20:11
>>160
若き日の良子様、十二単衣が映えそう!
本当にお公家さんの百人一首や絵巻物にあるようなお顔立ちがいい味出しています。+63
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165. 匿名 2019/03/02(土) 20:02:35
香淳皇后 美智子様にすごくつらく当たってた話が沢山ある。(本に書いてあった)
まず結婚式の馬車が自分の時は二頭立てだったのに皇太子(今の天皇)の時なぜ三頭立てなのかと
文句を言ったとか 美智子様も皇室に入られて今の雅子様のように欝っぽくなられたことがあった
妊娠されてたけど流産されたりとすごく痩せられて静養されたりした
香淳皇后の美智子様に対しての嫌がらせが半端なかったらしい。+6
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166. 匿名 2019/03/02(土) 20:22:29
>>65
ただ実際の平安の紫式部の時代は、藤原家の血筋の姫でないと中宮までのぼれず。
皇室の血筋の内親王は中宮にはなれなかった。
斎宮の女御とか有名だよね。
男系の天皇家は藤原の血の方が濃いのではないか、というくらい。
でも藤原家はよく姫宮を降嫁されていたが、藤原兼家の子で摂関家を継いだのは時姫の血筋だし。
ただ前のレスにもあるように、不比等と清盛は生まれが似ている話。
どちらも天皇の胤と言われている。+5
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167. 匿名 2019/03/02(土) 20:42:11
>>153
主です!同じく彰子派の方がいらっしゃるとは・・・。
彰子が好きな理由としては、仕えていた女房が好きという理由もありますw
父・道長を毛嫌いしていた右大臣実資とも懇意にしていたり、敦康親王を育てたり、道長一家を支えるたくましさがかっこいいですよね。
白河天皇の御世まで長生きした、というのも彰子の強さを思わせるエピです。+20
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168. 匿名 2019/03/02(土) 20:46:23
皇后でもない藤原宮子の生んだ聖武帝より、元明天皇の皇女・吉備内親王が生んだ子供たちの方が血筋は貴いんだよね。
聖武帝 父:文武帝、母:藤原宮子(妃の階級は夫人)
膳夫王 父:長屋王、母:吉備内親王(母は元明天皇、姉は元正天皇)
皇后になれる可能性も吉備の方が高かったんじゃない?
文武帝に皇后がいないのは謎なんだけどね+10
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169. 匿名 2019/03/02(土) 20:51:13
>>59
マッカサーが自書で記述しているよね。
天皇の言葉に心打たれた、自らを投げ出し国民を大切にした天皇に尊敬の念を抱いたと。
その前の赴任国で国民はどうなっていもいい自分を助けてくれ、と懇願した王がいたから。
>>38
貞明皇后ですね。九条家出身の。
でも良子女王を選んだのは貞明皇后自身なのに。
学習院女子を度々訪問されて、皇子たちの妃の見定めをしていたとか。
良子女王を気に入ったのは、健康で運動神経が良かったから。健康な御子が望めると思ったらしい。
でも昭憲皇太后、貞明皇后と才にあふれ行動的で日本の先進化を助けた方たちにくらべたら
香淳皇太后の良子さまは、気も回らず行動的でもなく姫様のままだったから仕方ないと言えば仕方ない。
皇后があまり力にならず、昭和天皇はおひとりで頑張っていたのだろう。
でも香淳皇后が自分で考えないで陛下のやることに追従したから良かったのかも。
+5
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170. 匿名 2019/03/02(土) 20:57:21
>>34
それはなんとなく解る。
藤原定子は自身も才気あふれ、清少納言とのやり取りでも利発さがみえる。
一条天皇も年上で教養豊かで美しい定子に憧れに近い慕情があったようだし。
TOPが賢いとそのチームは仕事の能力が発揮できるものね。
彰子は入内した時、幼くて12歳になっていなくて、可愛らしさだけだったようで。
それを藤原道長が定子チームに負けまいと、女房に優秀な人を集めまくった。
周りで持ち上げていく神輿をか担ぐやり方。
+22
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171. 匿名 2019/03/02(土) 21:05:09
>>64
この時代は闇深いよねー。藤原不比等の長女で4兄弟の姉に当たる人なのに。
しかも首皇子を生んで国母になられたのに。
本当の精神障害なら36年後に平癒するのもおかしい。
母も身分が低い人だし。
そしてその間に長屋王の変が起きる。
しかも実は親王だった。長屋親王。
つまり天皇位にもつける地位にいたという。+14
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172. 匿名 2019/03/02(土) 21:23:04 ID:2NmFlcrBvj
>>170
道長と伊周が内覧の地位を争った時も、一条帝は伊周寄りでしたね。
母后の詮子さんが許さなかったけど。
詮子さんとしては、嫁姑問題以上に定子の母方である高階氏の台頭を許す訳にいかなかったのだろうけど。+7
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173. 匿名 2019/03/02(土) 21:33:26
>>172
あと詮子は弟の道長の方に親しみを持っていたんだよね。
たぶん全員同母だけど、乳母も同じだったのかも。
一条天皇はやっぱり最初の后で美しく聡明だった定子の事をずっと想っていたんだねー。
最後も悲惨だったし。
彰子は定子の遺児を引き取り、父道長にこの子を天皇にとも言ったとか、でもかなうわけない。
なんのために藤原伊周を滅ぼしたのかわかんなくなるものね。+16
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174. 匿名 2019/03/02(土) 21:41:16
>>126
昭憲皇太后はかなり英明な方だったようだよ。
写真の前髪ぱっつんも西洋化に合わせて、前髪あげた江戸時代の髪型を断髪したため。
洋装をいち早く取り入れ、西洋列国と並ぶ文化の国であると皇后自ら体現した。
何より女子教育に力を注いだところ。
富国強兵で強く賢い日本人が必要、育てようとなった時に、
賢い子供を育てるには、その母親に教養がなくては賢く育てられない、と
女子教育の大切さを謳い、女学校の建設や女子留学生を送り出した。
津田塾大学があるのは昭憲皇太后のおかげでもある。
その他の明治期の女学校の多数の設立に寄与した。
日本人の女子が他のアジア地域と違い文盲でないのは、大変有意義で国力となった。+41
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175. 匿名 2019/03/02(土) 21:49:15
昭和天皇が側室を持たなかったのは、皇太子時代にヨーロッパを訪問された経験が大きいからだよ。
欧州の王室は側室制度がない。
側室を持つ=ハーレム=イスラム文化として、未開地域の風習レベルとヨーロッパでは受け取られる事を知ったんだよ。
それで一夫一妻制にして、日本を文明国へと押し上げるようにしたんだよ。
実際の良子女王は宮家育ちでおっとりしていた。健康だけど、行動的ではない。
自分の意思はあまりなく、周りの女官達に助けられ、また女官たちの意見に左右されて。
そういう性格だから、天皇陛下に意見することはなく従った。
でも自分から戦後復興とかそういう意思や行動はない。
高松宮妃殿下の喜久子様が、これまた才気あり行動力アリ自信ありでバリバリやっていたのと対照的だね。+30
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176. 匿名 2019/03/03(日) 00:10:01
皆さん本当にいろいろ知っていますね!
ここで上がった名前の人達を時間をかけても調べてみたいです!+18
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177. 匿名 2019/03/03(日) 02:11:13
今真偽もわからないネットでの情報が多くて
頭の悪い私は何が本当なのかもわからないのですが
エリザベス女王からも上座を譲られる日本の天皇陛下は 神話からであっても1500年続く世界唯一のエンペラーというのだけは浅知恵ながらすごいことなんだと思っていて
このトピを見ていたら皇后様あっての天皇の歴史なのかなと思いました
今上天皇と皇后様が お年を召されたお体で 膝をついて被災地の方達とお話している姿には本当に胸を打たれました
もっと歴代の皇后様のことを知りたいです
+7
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178. 匿名 2019/03/03(日) 03:14:39
>>42
眞子様は似てないだろ+3
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179. 匿名 2019/03/03(日) 10:39:54
>>154
一条天皇、定子が亡くなられてからもずっと最愛の人であり理想の女性であったというのが凄い。
今上陛下、皇太子さまが一途に奥様を愛し続けているのと通じるものがありますね。
それだけ素晴らしい女性であったということだけど、彰子も色んな内面的経験をした、興味深い方だったんでしょうね。
定子は才色兼備で、明るく華やか、思いやりがあって優しく、枕草子のエピソードなんか若いのに人間が出来た方だなあ、こんな上司の下で働けたらそりゃ幸せだよねと思う。
25歳くらいで亡くなったんじゃないかな?3人の遺児のうち一人は幼くして亡くなり(この時の一条帝の悲しみは大変なものだったそう)一人は生涯独身、ただ一人の男子は長男だったのに、一条帝が東宮にと望んだのに退けられ、失意のうちに若くして亡くなった。
だから私は定子が好きだったけど、彰子にもそれこそ里中満知子先生に漫画にしてもらいたいような内面ドラマがあったでしょうね。
+13
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180. 匿名 2019/03/03(日) 10:41:45
>>165
実際に昭和天皇の皇后の良子さまは皇太子妃の美智子さまにかなり辛くあたったそうだよ。
お口をきかないとか、無視とか。
学習院女子出身で津軽家の姫だった常陸宮妃殿下の華子さまを優先させるとか。
それらは周りの女官やお下りになれれた元宮妃達の思惑に反応されただけ。
周りが言うから、そうしましょうと。
それを昭和天皇が美智子さまのお上がりを認めている、としたことで皇后良子さまはしゅんとして何も言わなくなった。
良くも悪くも素直で自分の考え持たず、大した行動力もない。
久邇宮家の姫宮で、でも父はトラブルメーカー、母は島津氏出身だけど、お由羅騒動の久光の血を引く。
源氏物語の女三宮のような人だったのかと。+13
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181. 匿名 2019/03/03(日) 10:52:53
>>180
美智子様って、割と理知的なタイプだから、そして凄い努力家でシャキシャキやるタイプだから、おっとりとした良子様には肌が合わなかった所があるかも。
「なんか違う」「ウザいわ。この人」みたいな。
美智子様は民間から全く異質の皇室に嫁いで、それこそ真剣に真面目に努力をしてるんだけど、それって外人さんが無理に日本に馴染んで日本の真似をしようとするのと同じで、かなり違和感があったのでは。
良子さまはおおらかで自然体な方、情緒で流れるように生きていらっしゃるタイプに見えるので周りから良からぬことを吹き込まれると「そうね、なんか違うわね」と美智子様のことを素直に嫌ってしまったのかな…と想像している。+23
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182. 匿名 2019/03/03(日) 11:02:57
>>179
一般的な男性の気持として、亡くなった妻には適わない、再婚するなら死別よりも離婚の方が前妻への思いが少ない、と言われる。
それに初めての女性が年上で良い思い出があるとき、その女性への恋情はずっと続くらしいし。
一条天皇の定子への思いは上の条件全部そろっている。
しかも別れた経緯は無理やり別居。そののち定子は悲しい死を迎える。
普通そうなると一条天皇は次の無理やりあてがわれた彰子を憎んでもいいところだけど、それをしない。
夫婦仲は悪くなかったみたいだし。
ある意味、心をもっていかれたのかも。
彰子はその後、永く生きるけど余り政治に口出ししてないんだよね。
詮子が口出しまくりだったり、その前の藤原氏の中宮でも口出しまくった人もいたのに。
彰子も他の有力な子弟に嫁げばもっと幸せだったのかも。+11
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183. 匿名 2019/03/03(日) 11:17:49
嫉妬どころじゃなかっただろうね。
一般人と違って。
そういう次元で生きていなかったと思う。+10
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184. 匿名 2019/03/03(日) 11:23:11
>>181
それはあるよ。
良子さまは宮家出身で健康な身体能力で選ばれて、努力とか必要ない。
何も考えずに周りの言うとおりにしていれば何の問題もなかった。
難しい事や国の事は昭和天皇がやっていただろうし。
美智子さまは民間出身でご成婚前から周りより悪いことばかり吹き込まれて、そんな人が努力家で利発。
もう異次元の人だったのかも。
そして冷たくあったり、昭和天皇に咎められて優しくしたり。
そういうコロコロ変わり自分の考えを持たない人が姑だったら激しく疲れるわ。
まあ変に我が強くて、戦後に離婚した元宮家の方もいるから、ある意味いい人生だよね。良子様。+13
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185. 匿名 2019/03/03(日) 11:53:07
>>168
長屋王は実際は親王という位だったと、木簡が出てきたよね。
親王と内親王の子の膳夫王達は、聖武帝になった首親王よりもずっと高貴で皇位に近い。
しかも皇孫扱いされていたとのこと。
対して首親王は病弱。父母はいない。
だから不比等の娘の光明子を第一の妃にできた。
立后は藤原氏の悲願。
長屋王の変。藤原氏の思い通り。橘美千代も中々の女傑なんだろうなあ。+8
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186. 匿名 2019/03/03(日) 13:25:07 ID:vxszO83uFM
藤原多子(近衛天皇の皇后、二条天皇の后)
唯一、二人の天皇に嫁いだ人
11歳で近衛天皇に嫁いたが数年後に天皇が崩御、皇太后になるも二条天皇の強い要望で入内する。
+9
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187. 匿名 2019/03/03(日) 13:38:21
香淳皇后は当時としては身長が高めだったのかな?+2
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188. 匿名 2019/03/03(日) 14:21:51
>>187
高くはないと思う。
当時の平均身長ぐらいだと。
美智子さまは当時の平均身長より高め。+5
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189. 匿名 2019/03/03(日) 16:49:50
香淳さまが朝食をゆっくり召し上がってたとのことだけど
具体的にどんなペースだったのか気になってる
妹君のお子さんたちはふかし芋をナイフとフォークで食べてたんだよね+7
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190. 匿名 2019/03/03(日) 18:04:24
近代の歴代皇后陛下エピソード大好き。
だけど古代のエピソードも面白い。
ここでは出てないけれど、井上内親王(吉野皇后)は波瀾万丈の人生。
聖武天皇の皇女として生まれ、後に伊勢斎宮に。
退下されてから白壁王の妃となり、後に白壁王が即位され光仁天皇となってから皇后に。
当時としては超高齢の37歳で酒人内親王を出産。
親王も出産していたから、順風満帆な人生だったと思う。
でも一説によると、政争に巻き込まれて天皇を呪詛をしたとして廃后になり、幽閉先で廃太子と共に薨去。
いつ聞いてもジェットコースターみたいな人生だったと思う。
しかも娘の酒人内親王・孫娘の朝原内親王も、斎宮を勤めたのちに天皇の妃になるのが面白い。+10
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191. 匿名 2019/03/03(日) 21:09:27
>>190
井上内親王は当時の皇位争いの酷さや政変を見ていて、そういった争いとは無縁の、
絶対に天皇にならない人ということで白壁王を選んで結婚したんだよ。
まあ伊勢の斎宮を辞した時の年齢も高かったし、有力な皇族とは結婚できなかったせいもあるだろうけど。
白壁王も年齢高かったし、皇位争いとは無縁で穏やかに生きられると思っていたそうだ。
それがいきなり白壁王の皇位擁立、自身の立后と、本来望んでいない事態になったのでは。
そして一番嫌がっていた政争に巻き込まれて獄死。
相当な無念だったのではないかと。+6
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192. 匿名 2019/03/05(火) 00:45:52
もう見ている人いないだろうけど、待賢門院璋子さんに関心がある。
一体何を考えていたんだろうなと。
養父の白河法皇と少女のころから愛人関係、鳥羽天皇と結婚してからも関係を続けて不倫の子を産む。
それでいて夫に愛され、子供たちには優しい母でもあったらしく…。
彼女のせいで夫だけでなく、愛する息子である崇徳天皇まで不幸に追いやった。
絶世の美女だったそうだけど、白痴美人?でも馬鹿と思えない感じもあり。
タイムマシンに乗って、会いに行きたい歴史上の人物の一人です。+12
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193. 匿名 2019/03/05(火) 13:58:34
美智子様って天皇家に嫁ぐ前はシスターになりたかった方だと、母校のシスターから聞いたことがある。
ヨハネ・パウロ2世が来日した際は会いたいと思っていたが、宗教上の問題で諦めたとか。
人生がどっちに行っても、世俗と離れていたのは確かですね。+7
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194. 匿名 2019/03/05(火) 20:16:58
>>193
美智子様の「子供時代の読書の思い出」の講演内容、ご存知の方いますか?
「橋をかける」というタイトルで出版されていたような気がする。
その中で、夫のヤマトタケルを救うために犠牲になって自ら命を捨てたオトタチバナヒメの話を読んだ時「愛と犠牲が不可分なものと感じられ、子供ながら畏れを抱いた」と仰っていた。これってクリスチャンの発想だと思う。
しかしまだ小学生なのに古事記を読んでそんな感想を持ったことが凄い。ご自分の運命を予見していたかのようでもあり。
最後「子供たちが平和の道具となりますように」と結んでいらしたけど、これも「聖フランチェスコの平和の祈り」の言葉だし、例え洗礼を受けていなくてもキリスト教が深く根を下ろしていらっしゃるんでしょうね。+6
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195. 匿名 2019/03/06(水) 10:17:10
>>192
魔性の女だよね。
でも女性側のせいというより、養女に手を出した白河法皇や男たちの方に問題ある気がする。
彼女本人の素行にも問題があったのかもしれないけど、頼る親のない女性は権力のある男に強く言い寄られたら従うしかない。
まして養父で相手は法皇なら言い寄られても逃げることはできなかっただろうし、周りが助けてくれるはずもない。
少女の頃から関係があったなら白河法皇が半ば強引に迫ったとしか思えないんだよね。
養父に気に入られるために少女の頃からすでに自分の美貌を自覚し、女としての武器を使ってたらし込んだ可能性もあるけれどその場合も可哀想に思える。
女性が自活できる時代でないから生きていくために男に愛されて養ってもらうしか方法がないから、日々の生活のためにそういう人生を選ぶしかなかったのかも。
もしかしたら本当は彼女の意思とは関係なく、自身の美しさゆえに周りの男たちが放っておいてくれず否応なく翻弄されてしまった、ある意味ままならない運命だったのかもね。+7
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196. 匿名 2019/03/06(水) 16:18:25
>>191
単純に疑問なのですが、井上内親王が白壁王を選んで嫁いでいったのですか?
この時代くらいの人達って、どちらかと言えば周りの思惑によって婚姻が定められるイメージがあるので…。
何となくですが、聖武天皇の皇女の扱いに困って取り敢えず権力無さそうな白壁王に嫁がせたって感じがしますが、誰かその辺詳しい方いないですか?+3
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197. 匿名 2019/03/07(木) 00:07:11
>>195
白河法皇が強引に誘ったとは思えないなあ。
そういう感じの女性ではない。
>>192にもあるように、まるっきり罪悪感が見えない、待賢門院璋子には。
育ての母の祇園女御は氏素性が不明。かなり低い身分の出という話もある。
その祇園女御の育て方にも問題というか、特色がありそう。
吉原とかの女性の育て方に似ていそう。
男と関係を持ち大事にされること、裕福な暮らしをすることがよいこと、みたいな育てられ方とか。
鳥羽上皇と崇徳天皇が争っても他人事みたいな感じがもう、なんか普通じゃない。+5
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198. 匿名 2019/03/07(木) 00:19:33
>>196
いくつか嫁ぎ先の候補があって選べたみたいだよ。
古代のほうが結婚に自由があったイメージがある。
かなりの恋歌を夫婦でやり取りしていて万葉集に載っているし。
入内くらいじゃないのかな、政略だったのは。
あとは時代が下って、武士の時代になると政略結婚が多くなったイメージ。
天皇は絶対だし、天皇に匹敵する家柄は日本にないわけだから、
皇室の血筋が一番尊く、皇女は引く手あまただったような感じがする。+5
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199. 匿名 2019/03/07(木) 00:52:19
>>197
皇后ではないけど、後深草院二条(とはずがたりの作者)って、後深草院の女房(側室)でありながら、色んな男性と関係持つでしょ。色んな状況に巻き込まれたりして不本意な場合も多々あったとはいえ、流されっぱなしの、現代からみると理解に苦しむ生き方をしている。美貌だし、知的な女性なのに、やっていることはあれれ?って感じ。
昔の人って、理解に苦しむ人も中にはいるよね。現代から見ると。
待賢門院璋子は、大河ドラマで壇れいさんがぶっ飛んだキャラを演じていて、ある意味怖かった(笑)。
ああいう女性だったかは分からないけど、うんと年下の西行に愛されていたりするし、単なる馬鹿とは思えないんだよね。
単なる悪女とも思えないし。本当に不思議な人。
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200. 匿名 2019/03/07(木) 00:54:06
>>198
古代って、皇族の血筋が一番尊いから皇族同士で結婚しているよね。異母兄妹同士の結婚も多いし。+7
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201. 匿名 2019/03/08(金) 11:25:53
すごい!まだ続いている。プラスも結構押されていますね。
里中満知子さんの「天上の虹」、鸕野讚良が皇位に就くまで読んだけど、あの中に描かれた彼女と額田王、大海人皇子の関係って彰子、定子、一条天皇の関係と通じるものがあるような気がする。
額田王は美貌で才能が凄くて人格も成熟していて、理想の女性として描かれていますが、あまりに完璧すぎる。
鸕野讚良は人間臭い。悩んだり苦しんだり葛藤する。
最初里中さんは額田王のファンで、彼女をヒロインに漫画を描きたかったそうですが、編集者に言われたかで鸕野讚良をヒロインにしたそうです。でも額田だったら完璧すぎて、読者は感情移入しにくかったかも。
彰子のファンという人の心理も、それと通じるものがあるような気がします。+7
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202. 匿名 2019/03/08(金) 22:40:01
>>201
本当、すごいね。続いている。2chだったらずっと続いている場合もあるけど、がるちゃんは落ちちゃうから、すごいことだね。
その漫画は読んでいないので、内容は知らない。
ただ鸕野讚良皇女のライバルというか相手は額田王だけでなく、同母姉の大田皇女もいる。
額田王のトレードとして大海人皇子に大田、鸕野讚良姉妹が後宮入りしたとも言われていて、その場合姉の方を優先しがちだよね。恋愛感情ないなら。
鸕野讚良が13歳、大田は15歳くらいか?もう相手にならない。
しかも子供は大田皇女の息子の大津皇子のほうが優秀。
相当な思いがあっただろう。
しかし必死の思いで皇統につなげた草壁皇子は病弱で子孫も病弱。
一人長寿で性格も強いのは鸕野讚良だけという。+5
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203. 匿名 2019/03/08(金) 23:25:00
>>201
鸕野讚良(後の持統天皇)は正妻、人生の伴侶やパートナーとしてはかなり得難い女性だったと思うんだけどねぇ。
天智天皇の娘で血筋も良く政治手腕もあった。
夫の大海人皇子が天皇位に就いてからは実質共同統治者となり得たほど政治的才能がある女性だったみたいだから。
夫亡き後、繋ぎとしてやお飾りとして即位した天皇ではなく、彼女自身に政治を治める力があった女帝であったのではないかと。
ただそうした部分が女性として一番に愛される要素であったかは不明よね。
あの時代は一夫多妻制だし、夫には幾人も妻子がいた。そもそも同母の姉の大田皇女も同じ男に嫁いでいた。
しかし、姉は大伯皇女と大津皇子の姉弟を産んだ後、早くに亡くなっていて、壬申の乱のとき夫と共に行動していた妻は讃良一人。
讃良の身分や夫を支える力量に関しても天武天皇の皇后になるに相応しい女性は当時の妻たちの中では鸕野讃良以外はいなかったはず。
しかし、実際妻として讃良がどんな心境だったのかは気になるところ。
里中満智子先生の漫画は大好きだし、同性として嫉妬するのも理解できる。
でも讃良の性格については若干めんどくさいと思わないこともない(笑)
天武天皇が亡くなるまで、
讃良、夫の女性関係に嫉妬→悩むものの、夫の身分から多くの妻を持つのは当たり前だし…。と、一応自分を納得させる。
が、嫉妬心は消えずまた苦しむ→私は皇后で政治にも参加して夫の仕事を支えている。他の妻たちとは違う。それに息子の草壁がいる。この子が夫の跡継ぎになる。妻として愛されることを求めるより母として心穏やかに生きよう。もう下らないことで悩むまい。
そう決意しつつ、また嫉妬心が湧き上がり…
の堂々巡りで後半は若干「またかよー」ってなってしまったw
まあそうしたところが人間臭さであり、漫画として読むときに面白い要素ではあるのだけど。
讃良が病気で倒れたときに天武天皇は病気平癒を祈願として薬師寺を建立したりしているから夫婦仲は悪かったわけではなさそうだけど。
気になるのは姉の大田皇女が早くに亡くなっていたけど、もし姉が生きていたら姉が皇后になっていた可能性がある。そうなっていたらどんなことが起きていたかは恐ろしくはあるかなー。
天上の虹では性格は違えど姉妹仲は良さそうだったけれど、天武天皇亡き後の大津皇子の謀反では大津一派に処分(張本人の大津は死刑になったはず)を下しているし。夫の遺志を引き継いだ持統天皇、学校では絶対に教わらないサイドストーリー | 大人になってから学びたい日本の歴史manareki.com上図は、百人一首に載っている持統天皇の一句です。持統天皇の歌は、万葉集にも見られ、天皇であるとともに文化人であったことが伺えます。 ところで、持統天皇については世間ではほとんど知られていません。なぜなら、学校で教わることがないからです。
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204. 匿名 2019/03/09(土) 00:06:09
永井路子は鸕野讚良をエカテリーナ2世やエリザベス1世とも比肩出来る女性統治者と言っていた記憶がある。
夫からは戦友と呼ばれていたんだよね。男のように考えられる理知の人、理系の頭脳の持ち主。
でも女性としては確かに…かわいい女になるには賢すぎたね。
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205. 匿名 2019/03/09(土) 00:07:42
あと、あんなに嫌って反発していた父親にそっくりになって行ったところも面白かった。
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206. 匿名 2019/03/09(土) 00:08:36
>>202
天武天皇と持統天皇は伯父と姪という血の近い近親婚と言える婚姻だったから、その子どもたちや子孫は遺伝子的に病弱になった可能性は考えられる。
草壁皇子の息子である珂瑠皇子(文武天皇)も病弱で24歳で病死(?)。
しかし、珂瑠皇子の同母姉の氷高内親王(元正天皇)は68歳で亡くなっており短命とは言えない。
同母姉or妹の吉備内親王(長屋王妃)は長屋王の変で夫と共に子どもらと殉死したので寿命は不明。
珂瑠皇子(文武天皇)の息子の首皇子(聖武天皇)も病弱で、しかし55歳まで生きていた。
が、聖武天皇と光明皇后の間に生まれた皇子の基皇子は生後一年も経たず夭逝。
しかし、基皇子の姉の阿倍内親王(孝謙・称徳天皇)は52歳まで生きた。
見ていると男性(息子)が病弱かつ短命で、女性(娘)は問題なさそう。
草壁皇子の妻の阿閇皇女は持統天皇とは父方から辿れば異母姉、母方では従姉の間柄。
文武天皇の妻は皇女ではなく藤原不比等の娘の宮子、聖武天皇の妻の光明皇后は宮子の異母妹。
草壁皇子に対して大津皇子は健康そう。
とはいえ謀反を起こして若くして自死したから寿命は不明だし、大津に子孫がいたらどうだったかは分からない。
姉の大来皇女は41歳くらいで亡くなったみたいだけど、弟が政府に逆らった重罪人と扱われた心労もあったのかな。+6
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207. 匿名 2019/03/09(土) 01:23:16
鸕野讚良皇女は大海人皇子を男性としてよりも、皇位を継ぐ人としてみていた気がする。
恋愛感情よりも優位かどうかのパワーゲームをしてしまう人。
通常の女性としての観点からでは語れないと思う。
草壁皇子を皇位につけるために大津皇子の謀反を画策したり、ほかの有力な皇子を排除したりしたのも、自分の血筋こそ優位に、という価値観からだと思う。
しかも有力な皇子というのは、優秀とかよりも母親の血筋が高い、だから血統主義なんだよ。
なんか鸕野讚良は父親の天智天皇を嫌っていたとかいう漫画か小説があるみたいだけど、全然違うと思う。
実家に自分の居場所はない。女性には。実家が居心地いいとかいうのは近代の感が方。
天皇の独身の皇女、という地位よりも、皇太弟の第一の妃で天皇の皇女の方がずっと地位が高い。
それは額田王の娘の十市皇女をみればわかるというもの。
政治感覚に優れている鸕野讚良は弘文天皇の伯母上なんて身分は嫌に決まって言うr。
ただ息子のためにした大津皇子謀反画策は草壁皇子のためにはならなかったと思う。
草壁皇子は劣等感を抱きながらも大津皇子のことを好きだった繊細な青年だったともう。+6
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208. 匿名 2019/03/11(月) 23:26:25
>>70
昭憲皇太后、田辺聖子さんが東洋の美女の典型、と絶賛していて、フランスの外交官が美貌知性教養気品、全てにおいて当代最高の貴婦人の一人、と絶賛したというのを読んで期待していたけれど、実際のお写真を見て「ん?…」と思ってしまったのですが、皆さんはどうですか?
オードリーヘップバーンが登場した時、当時の随筆家が「昭憲皇太后のような美貌」と評したというのは、ちょっと分からないでもないですが。+2
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209. 匿名 2019/03/13(水) 06:11:27
>>208
美醜の判断基準が現代とは異なるのと、あとは当時の上流階級から見ての美人さ(美形の基準)の違いもあるのではないかなぁ。
あと顔だけ良くても頭空っぽのお馬鹿さんで会話が全然面白くない人は魅力ないと思う。
ちなみに英国のチャールズ皇太子の不倫相手で有名だったカミラ夫人(今は正式な奥さんだけど)は頭が良く会話も面白くて楽しい人で有名だったとか。
カミラさん、若い頃社交界ではモテモテだったらしいし、最初の結婚相手も人気者のモテモテの男性だったみたいよ。
あとは単純にフランスの外交官の好みかなぁ…。
まあ外交官という立場の人間なら一国の君主の正妻を貶す発言するような迂闊な人はいないとは思うけど。
ただ、写真で見るのと実際に会って生で見るのとでは人間の印象って全然違うと思う。
写真はそのとき切り取ったその人の姿でしかなく、しかも映りとかもある。視覚情報しかないからね〜。
でも生で会うと五感で感じる要素が増えるから、その人から受ける美醜や好き嫌いの印象は顔立ちやスタイルだけでなくトータルで判断すると思う。
その人の声や表情、動作の優雅さ(下品さ)、雰囲気、佇まい。
身嗜み、ヘアメイクの整え方、その人に似合う装いかどうか、身体のパーツの美醜(肌や髪・歯などの美しさや健康状態)。
内面なら性格、会話の内容、教養など。
目鼻立ちが多少どうあれ、それ以外の部分で素敵な要素が多いと好印象を抱くから「この人ってなんて素敵なんだろう。ああ、美しい人だな」って脳が錯覚することはよくある。
結局美醜の判断なんて個人の勝手な感情や好みによるものだからね。
逆に元の顔立ちやスタイルが絶世の美女でも不潔で清涼感のない服で髪はボサボサすっぴん、声が汚くて言葉遣いも下品で粗野な言動で性格めちゃくちゃ悪い人なら多分美女には見えない。+2
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210. 匿名 2019/03/13(水) 10:25:51
>>9
四人連続内親王で側近が側室を進めたけど、良子だけでいいといった奴だよね
その後華族の娘三人の写真を見せられた時も、みんないいお嬢さんだから相応のところに決まるといいね
って、紳士!
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211. 匿名 2019/03/13(水) 10:30:22
現天皇が生まれた時は並々ならぬ騒ぎだったようで新聞社がライトアップしたり
皇太子さまお生まれなったって歌まで作られた
現天皇が学習院初等科に入学するとき、おかっぱの髪を丸刈りにされたのが気に入らなかったらしく
従者にもうこんなことやらないでねって言ったとか+4
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212. 匿名 2019/03/13(水) 10:31:36
知的で教養のある女性、それもすこぶる、であったことは間違いないようですね。
和歌も当時の最先端の機器であった電話を取り入れたり、機知に富んだ、お茶目な所もあった方のようですし。
人中が気になるのと、顔が長いなあと思いますが。
当時の上流階級の人に多かった顔のような気もします。
フィギュアスケートの村主章枝さんとちょっと感じが似ているかな、という気もします。
(あの方のお家も名家だったようですが)
当時の女官たちから「お綺麗で美少年のような」と言われてたそうですね。+2
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213. 匿名 2019/03/13(水) 10:35:09
ちょっとの間に、おお、こんなに書き込みが!
今上天皇がお生まれになった時、「本当に男御子か」と仰ったそうですね。
>>210
ご結婚の時も良子さまに執着していたようだし、本当に愛する人だったんですね。
昭和天皇のお若い頃、今見てもイケメンでお洒落だと思う。
素敵な方ですね。畏れ多いですが。+5
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214. 匿名 2019/03/13(水) 10:39:00
良子さまのお若い頃のファッション、素敵です。
ロシア最後の皇帝ご一家のお写真が、なんだか妖精みたいな感じで夢のように美しいんですが、こんな美しい人たちを(それも罪を犯したわけでもないのに)惨殺した革命軍に怒りを感じます。
当時日本にも共産党のスパイとかが暗躍していたわけですが、今思うとこんなに危険な人たちを取り締まらなかったら、日本の皇室も同じようなことになっていた可能性があるかと思うと…ぞっとします。+3
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215. 匿名 2019/03/13(水) 10:40:02
あ、当時のロシア皇室とか、王室の方たちの服装と良子さまのファッションが同じなので、思い出したのです。
唐突にすみません。この時代のファッション、好きです。+3
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