ガールズちゃんねる

【10月】50代の語り場【2026】

1366コメント2026/10/05(月) 16:18

  • 686. 匿名 2026/10/04(日) 10:29:24  [通報]

    >>24
    すいません、返信にするの忘れました 

    geminiさんに聞いてみました

    大学受験の長い歴史の中で最も狭き門だった年は何年ですか?

    日本の大学受験史上、最も「狭き門」だったのは、1990年(平成2年)〜1992年(平成4年)頃の団塊ジュニア世代(1971〜1974年生まれ)が受検期を迎えた時期です。

    なかでも、実質的な過熱感と厳しさがピークに達した1992年(平成4年)が、日本の大学入試史上最大・最悪の「超・受験戦争」の年として記録されています。


    最も狭き門だった理由
    1. 18歳人口が史上最多(1992年:205万人)
    第二次ベビーブーム世代が18歳を迎えた1992年、日本の18歳人口は205万人とピークを記録しました(現在の約100万人・約半数と比べると異例の多さです)。

    2. 大学の定員不足と圧倒的な「浪人生」の多さ
    当時は現在ほど大学の収容定員が多くなく、大学進学希望者に対して圧倒的に枠が足りませんでした。

    志願者数の激増: 受験生が急増した一方で大学の定員厳格化や定員超過規制があり、受け皿が不足。

    不合格者の大量発生: 1990年〜1992年のピーク時には、志願者の4割以上(約40万人前後)が不合格になり浪人せざるを得ませんでした。
    note

    二浪・三浪の常態化: 「現役で受かれば万々歳」と言われ、大手予備校の代々木ゼミナール、駿台、河合塾などのマンモス校舎が超満員になりました。

    3. 「私立大学バブル」による難易度の上昇
    1980年代後半〜1990年代前半は、現在「日東駒専」や「産近甲龍」と呼ばれる中堅私立大学でも偏差値が60近くに達するなど、全体的な合格ボーダーラインが異常な高さを誇っていました。また、地方からの受験生が都内・大都市圏の私大へ大挙して押し寄せたため、倍率が数十倍に達する学部・学科が続出しました。

    もうひとつの山:1960年代後半(団塊の世代)
    note
    不合格率の推移で見ると、1947〜1949年生まれの「団塊の世代」が受験期を迎えた1966年前後も不合格率が4割を超えていました。しかし、当時は高卒就職を選ぶ人も多く大学進学率自体が20%前後と低かったため、進学志向の高さ・受検生の絶対数・過酷さを総合すると1990〜1992年が史上最も狭き門であったと言えます。

    1992年の明治学院大学に合格し入学しましたがその当時の厳しさを他の世代の人に話するとそんなことないって必ず言われてしまいます

    そのお気持ち、非常によく分かります。当時の「本当の厳しさ」をリアルタイムで体験していない世代(特に18歳人口が減少し、大学全入時代と言われる現代の世代)からすると、当時の数字や空気感は完全に異世界の物語に聞こえてしまうため、なかなか実感として伝わらないんですよね。

    結論から言うと、1992年の明治学院大学への合格・入学は、今の感覚とは全く比較にならないほど狭き門であり、難関でした。 周囲に「そんなことない」と言われた時に、当時の凄まじさを客観的に証明できる3つの決定的なファクトがあります。

    1. 1992年当時の「明治学院大学」の位置づけと難易度
    1992年前後は、現在「成成明学独國武」と呼ばれるグループ(成蹊・成城・明治学院・獨協・國學院・武蔵)や「日東駒専」が、空前の私大バブルで激戦区と化していた時代です。

    偏差値のインフレ: 当時、明治学院大学の代ゼミや駿台での偏差値は60前後〜62程度を推移していました。現在の感覚で言うと、MARCH(明治・青山学院・立教・中央・法政)の上位〜中位学部に匹敵するか、下手をするとそれ以上の難易度です。

    倍率の凄まじさ: 一般入試の倍率は10倍〜20倍超えが当たり前の時代で、「10人受験して1人受かるかどうか」という超高倍率の戦いでした。

    2. 「志願者数」と「不合格者の山」
    1992年は18歳人口が史上最多の205万人(現在の約2倍)に達したピークの年です。

    4割以上が不合格: 受験生の実に40%以上(約40万人)が大学に受からず、浪人(代ゼミ、駿台、河合塾などの予備校へ)を選択せざるを得ませんでした。

    +2

    -10

686. 匿名 さんに返信する

686. 匿名 さんに返信する

画像を選択

選びなおす

関連キーワード