『どうする家康』第2話で早くも“脱落”する視聴者続出「このノリについて行けない」「時代考証雑すぎないか」
1692コメント2023/02/13(月) 17:04
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480. 匿名 2023/01/16(月) 20:25:14
>>47
>>85
織田信秀没後、織田信長に離反した鳴海城主・山口教継(やまぐちのりつぐ=笠寺の土豪)の調略で、沓掛城とともに今川方の手に落ちていたため、桶狭間の合戦では、大高城に松平元康(徳川家康)が兵糧を届け、大高城代・鵜殿長照(うどのながてる)に代わって大高城を守備しています。
餓死寸前だった大高城に、城を包囲する信長方の鷲津砦(北東)、丸根砦(東)、正光寺砦(南)、氷上山砦(西)の包囲網をくぐり抜けて兵糧を届けたのは、松平元康(徳川家康)の殊勲ともいえます。
その後、今川義元が討たれたため、一転して大高城に孤立する危機的状況に陥り、松平元康(徳川家康)も大高城を離れて故国・岡崎へと逃げ、人質生活からの脱出となったのです。
大高城は織田家の手に戻りました。+27
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愛知県名古屋市緑区大高町にある中世の平山城が、大高城(おおだかじょう)。織田信長が今川義元を討った桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)で、今川方の人質だった松平元康(徳川家康)が、大高城に物資を届けたことでも知られています。国の史跡。