大分県の離島に「住みよい北朝鮮」を築き上げた村長親子の末路
251コメント2020/10/15(木) 00:19
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103. 匿名 2020/10/14(水) 01:09:55
長期間無投票が続いている理由として次のような理由が考えられます。
・1955年の選挙戦の激しさ
1955年の村長選では村を二分する争いとなりました。この選挙戦は親類間でも対立が起き、選挙後も互いの陣営では挨拶すらしないなど、激しいしこりを残しました。この苦い経験から村長選を避けようとする強い雰囲気が未だにあります。
・姫島出身の政治家 西村英一
姫島出身の人物に1949-80年に衆議院議員を務め、建設大臣や厚生大臣、自民党の副総裁まで上り詰めた西村英一氏という人物がいます。藤本熊雄氏はこの西村氏の右腕として活躍し、「地元家老」と呼ばれるほどでした。
藤本熊雄氏は西村氏と共に村内の港や道路の整備を推し進め、新産業を起こすなどの政策を進めたため、村全体で両氏体制をバックアップしていました。
なお、藤本熊雄氏はこのようなことから村で大きく評価され、業績をたたえる祭りが毎年行われるほどになっています。+12
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108. 匿名 2020/10/14(水) 01:12:30
>>103
それがなんなん?
ちっこい島の村長合戦の何を誘導したいの?+3
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