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身近な人から聞いた戦争体験

1875コメント2019/09/06(金) 11:28

  • 1. 匿名 2019/08/10(土) 16:10:44 

    主はアラフォーです。

    子供の頃は
    まだ戦争体験された方がお元気で実際の体験を聞く機会がありました。
    終戦記念日近くには、テレビ局は戦争についての特集や映画などま、流していたり
    修学旅行先も広島長崎だったり、戦争や平和について考える機会が沢山あったように思います。


    戦争の記憶が薄れつつある今、
    身近な方から聞いた戦争体験を教えてください

    +886

    -8

  • 37. 匿名 2019/08/10(土) 16:19:39 

    >>1
    主はどんな話聞いたの?

    +26

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  • 71. 匿名 2019/08/10(土) 16:28:46 

    >>1
    満州からの引き上げ者の壮絶な体験談
    「流れる星は生きている」藤原てい

    主さん、良かったら読んでみてください。
    1976年ベストセラー。これはすごい本です。

    +324

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  • 120. 匿名 2019/08/10(土) 16:47:59 

    >>1
    主です。
    沢山のお話が聞けて嬉しいです。

    主の祖父は南方に行ったということだけ聞いています。体験談は詳しくは教えてくれず、戦争で使ったという飯ごうとお箸入れをくれました。
    もっと亡くなる前に色々聞いておきたかったけどもしかしたら話せない辛い体験をしていたのかもしれないとも思います。

    祖母は北九州で空襲の激しい地区でした。祖母の家にはまだ防空壕があります。食べるものがとにかくなくて、浜辺に打ち上げられて植物のつるを拾って食べていたという話を聞きました。

    引き続き、よろしくお願いします。

    +291

    -5

  • 276. 匿名 2019/08/10(土) 18:55:39 

    >>1
    戦艦大和じゃないですか。

    +22

    -1

  • 325. 匿名 2019/08/10(土) 19:59:11 

    幾つかのコメントにあった日本人のシベリアでの過酷な労働。
    ユダヤ人の強制労働と重なりました。

    国は違いますが、ホロコーストで強制労働させられた
    ユダヤ人精神科医ビクトール・フランクルの著作「夜と霧」。

    過酷な目にあっているが、冷静に自らの精神分析をしています。
    精神科医がそんな体験をし、ましてや生き残り、さらに、それを本にした。
    人間は極限状態ではこのように思考する。

    だって、戦後、別に本は書かなくてもよかったのだし(思い出したくない記憶)、
    生き残ったのも奇跡的です。たまたま精神科医だった。
    やっぱりこれは、奇跡の本です。

    戦争を知る上で、欠かせない本の一つに必ず挙がります。
    >>1 さん読んでみてください。

    +110

    -1

  • 413. 匿名 2019/08/10(土) 21:33:47 

    >>1
    今は故人になった知り合いの軍医の話ですが、昭和18年迄は日本は諸外国とも対等にやりあっていました。 
    昭和20年になると日本優勢だったのが段々と
    勢いを失速し、明らかに敗戦の色が濃くなってきました。その頃の話です。
    医療物資は不足しており、配給も間に合わなくなる状況でした。
    その中に今ある在庫で辛うじて、やり繰りをしていたと言います。
    彼はいつも、いつ自分に敵の流れ弾が飛んでくるか分からない状況下、有り合わせの布でこしらえた野営地の小さなテント内の薄暗いランプを灯りにしながら外科手術の切開や縫合をしていたそうです。
    麻酔薬を節約するために軽〜中程度の怪我や病気は麻酔薬無しが普通でした。
    しかし、徐々に日本の敗戦が色濃くなってくると傷病者の数は膨れ上がるばかりだったとの事で寝食を忘れて治療に当たっていたそうですが、平成の世に彼はいつも口癖のように「最近の人はちょっとした痛みに敏感だ。私が全盛期の頃は人は痛くても多少の痛みは我慢出来ていた。これは人が痛みに弱くなったからだ」と亡くなる晩年、ボヤいていました。 
    今日本は平和になりましたが、いつまた昭和時代に戻るか分からない中で彼の言葉が脳裏に響きました。
    あなたはどう考えますか?

    +98

    -3

  • 821. 匿名 2019/08/11(日) 02:53:58 

    >>1
    弟が亡くなってしまって焼き場に立っている少年。

    とても心に突き刺さる。
    この少年は舌唇噛み悲しみを堪えていたそうです。

    この立ち振る舞いに日本男児って小さい頃から凄かったんだなと思いました。

    +109

    -3

  • 895. 匿名 2019/08/11(日) 06:42:27 

    >>1
    あなたよいトピたてました

    +70

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  • 1247. 匿名 2019/08/11(日) 12:51:06 

    >>1
    今の生活を見つめ直す為にも、凄く良いトピをあげてくれて ありがとうございます。

    +33

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  • 1333. 匿名 2019/08/11(日) 13:42:22 

    慰安婦問題等で紛糾している皆さん
    別トピを立ててお話いただけませんか
    それはそれで知りたいことなので

    >>1さんの立てたトピからずれてしまいますし

    +15

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  • 1437. 匿名 2019/08/11(日) 15:09:14 

    >>1

    私の祖父はもう亡くなっていますが、予科練で優秀な頭脳だったそうで、戦時中は誰かの右腕として東南アジア諸国に行っていたそうです。

    終戦直前に急遽日本に祖父だけ作戦の為か、早めに呼び戻され、違う船か飛行機で帰国したそうですが、祖父が乗るはずだった船は襲撃され、帰国途中で沈没し、その後終戦したそうです。

    また、本当に良い青年達が沢山特攻隊で亡くなったと話していました。
    本当に男前で志の高い若者たちが。
    戦争がなければ、日本はもっと男前がいただろうと。

    祖父は戦時中はもうそれ程若くはなく、視力も悪くメガネをかけていたので、飛行機乗りではありませんでしたが、中尉だったそうなので、そういった若者達を送り出す方の立場だった様です。

    なので、私は祖父が元気なうちは、定期的に慰霊碑の掃除に一緒に行ったり、資料館に一緒に行ったりしていたので、自然と本当にあったことなんだ、と思っていました。

    そのためか、私は今でもグッとくる映画は戦争を題材にしたものが多いです。
    タイトルは少しうろ覚えですが、、キムタクが出ていた戦争映画、、君を忘れない、ラストサムライは当時映画館で号泣しましたし、海老蔵が主演した出口のない海、永遠の0は何回も観に行きました。

    平和ボケしている、とよく言われていますが、私は祖父の話を聞いていたので、戦争映画も本当にあった事なんだろうな、と、とてもリアルに感じましたし、今のこの平和な日本は、かつての若者達が命をかけて守ろうとした国なんだ、、、
    それしか選択肢がなく若くして散っていった無念な若者たちがいた国なんだ、、、
    と思うと泣けてきます。。
    今の日本を見たらなんて思うんだろう、、
    嘆いてないだろうか、、
    自分にできることなんてたいしてないけど、せめてそんな方たちに恥ずべき事がないように生きてるだろうか、、
    と映画を観た後はよく考えていました。

    日々の暮らしの中では忘れてしまいがちなので、年に1回でも戦争について考える機会があれば、やらなければならないことが思い出せる気がします。

    主さん、トピ立てありがとうございます(*´-`)


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