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日本人の民度が下がったなぁと思うこと

2350コメント2019/03/17(日) 18:22

  • 2331. 匿名 2019/02/19(火) 17:46:02 

    戦後日本人は異教地の犬っころだった。
    ここ数年人間扱いされてるけど。


    ジラード事件は、1957年(昭和32年)1月30日、群馬県群馬郡相馬村(現・榛東村)で在日米軍兵士・William S. Girard ウィリアム・S・ジラードが日本人主婦を射殺した事件である。
    1957年(昭和32年)1月30日、薬莢を拾う事を目的に演習地内へ立ち入った日本人主婦(当時46歳)に対して、主婦の背後から第1騎兵師団第8連隊第2大隊のウィリアム・S・ジラード三等特技兵(当時21歳、イリノイ州オタワ出身[1])がM1ガーランド装着のM7グレネードランチャーで空薬莢を発射し、主婦が即死する事件が発生した。目撃者の証言から、ジラードが主婦に「ママサンダイジョウビ タクサン ブラス ステイ」と声をかけて、近寄らせてから銃を向け発砲した可能性があることがわかると、アメリカへの批判の声が高まり社会現象となった。ジラードが主婦を射殺した時は休憩時間であったことから日本の裁判を受けるべきであると日本側が主張し、アメリカ陸軍が職務中の事件だとしてアメリカ軍事法廷での裁判を主張するなど、アメリカ側からは強い反発もあったが日本の裁判に服することで決着した。

    ジラード自身は、その酒癖の悪さや借金癖から兵士仲間からも軽く扱われる存在だった。アメリカ軍を不名誉除隊した後、台湾生まれの日本人女性と結婚し当年度中に帰国した時も兵士仲間からブーイングが起きた。被害者の遺族(夫と6人の子供)には補償金として1,748.32米ドル(2011年現在 13,642米ドル)が支払われたが司法が売買された結果だと日本人の多くが捉え、被害者の夫も「感謝しない」と述べた。

    なお、ジラードへの処罰を最大限軽く(殺人罪でなく傷害致死罪で処断)することを条件に、身柄を日本へ移すという内容の密約が日米間で結ばれていたことが1991年にアメリカ政府の秘密文書公開で判明した[2]。日本の外務省が1994年11月20日に行なった「戦後対米外交文書公開」でも明らかとなっている。


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