歴史のミステリーを語ろうPart2
515コメント2017/06/01(木) 04:56
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459. 匿名 2017/05/05(金) 23:22:20
>>344
光秀に命じた「俺を討つと見せかけて、家康を討て」について。
家康の堺滞在で光秀は饗応役。家康を油断させるためでしょうか。
信長をはじめ、饗応役の光秀までもが「秀吉から頼まれ」毛利征伐へ向かうなか、
姉川の戦いなどで忙しく働き、誰よりも信長のブラックさを恐れて行動してきた家康が、
「三河殿、ゆるりと堺見物でもなされよ」という言葉に感謝し、お気楽な旅を出来るものでしょうか。
実際、襲撃を予見していた家康は、通常は戦場以外供にしない本多忠勝などの武官を、
その時は連れて来ていたようです。事前に襲撃を察知していた家康に逃げられ、
窮地に陥った光秀が信長を襲った。
光秀は、中国征討の際、丹波や近江坂本を没収され、信長から斬り取り次第、
石見出雲二カ国への移封を提示されたといいますが、三河遠江斬り取り次第が
本当のところだったのでは。光秀も、秀吉も、家康も、崖っぷちだったのでは。+5
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