1. 2024/11/24(日) 22:06:27
「次の電車は“短い”10両編成でまいります」――地方から東京に出てきた際に駅で聞くと、ショックをうける放送かもしれません。「え、東京では10両って短いの? 地元じゃ4両とかが普通だけど!?」――
戦後、首都圏では通勤輸送がひっ迫し、戦時中に設計された63系電車が大量製造され、10両編成が各線で走ります。東海道本線もパンク寸前まで輸送が増えました。
1982年、国鉄は広島圏で「ひろしまシティ電車」として短い4両編成の列車を大増発しました。これが成功したため、各地に広がるのですが、長い編成を分割すると運転台が付いている先頭車が足りなくなります。
そこで、中間車の端を切って新しく作った運転台を取り付ける「先頭車化改造」が盛んに行われるようになりました。近郊形電車だけでなく、寝台特急電車までもが近郊形化・先頭車化改造が行われ、編成が短くなっていきました。
こうして各地で列車の増発が行われたのですが、首都圏のうち貨物列車が走る区間については、信号の関係で増発も限界になりました。そこで、従来は10両編成だった4扉の通勤電車を15両にした常磐線快速が登場しました。扉の数も日本最多、240枚に上りました。
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首都圏では15両編成もの長い列車も一般的な存在。しかし、「短くして、よりたくさん走らせる方がよい」場面もあります。列車の長さはどのように決まってきたのでしょうか。