1. 2024/08/03(土) 19:49:29
――その後、慶應義塾大学医学部に進学されます。こちらも、かなりお金のかかる学校だと思いますが。
くるみ 桜蔭よりさらに恵まれた子たちが集まっていました。新入生歓迎会が六本木のクラブだったり叙々苑だったりして、こういう世界もあるんだと思いました。
――お医者さんを目指していたのでしょうか?
くるみ 高3のときに側彎症という背骨が曲がってしまう病気になって、慶應義塾大学病院にお世話になったことがきっかけで、お医者さんもいいなと思ったんです。
それで馴染のあった慶應と東京医科歯科大を受けて、両方に受かって。そのとき父親に学費の相談をしたところ、当時は「出す」と言ってくれていたので、それを信用して慶應に進学することに決めてしまいました。
――実際には、学費は出してもらえなかった?
くるみ そうなんです。入学後に両親が離婚して、父からも約束を反故にされてしまったので、自分で学費を稼がなくちゃいけないことになって。ただ、合格後に特待合格だったことがわかったんですね。
全身エルメス、港区に住んで子供はインターという「ザ・お金持ちの世界」…21歳でモルガン・スタンレーに入った女性が“平均年収2000万超”の会社を3カ月で辞めたワケ | 文春オンライン
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全身エルメス、港区に住んで子供はインターという「ザ・お金持ちの世界」…21歳でモルガン・スタンレーに入った女性が“平均年収2000万超”の会社を3カ月で辞めたワケ | 文春オンライン
――モルガン・スタンレーの中では異色の存在だった?
くるみ 最年少ではありましたね。私の他に高卒で採用された人もいましたが、元プロゴルファーという経歴の人だったんです。たぶん、金融の知識とか学歴ではなく、自分の人生を自分で切り拓いてきたガッツ、行動力を評価されたのかなと。
――その華々しいキャリアを3ヶ月で手放したのはなぜでしょう。
くるみ やっぱり一番は、自由がないことですね。高収入と引き換えの忙しさなわけですけど、お金がそんなに欲しいわけではなかった私にとって、代償が大きすぎました。会社に行きたくなさすぎて、最後の方はテレワークで逃げてましたね。
ちょっとした移動も全部タクシーで、買い物は全部百貨店。着るものは全身エルメスといったハイブランド、港区あたりに住んでいて、子どもはインターナショナルスクールみたいな、ザ・お金持ちという世界でした。
でも、自分はそういう暮らしがしたいわけじゃなかったし、馴染めなかったです。
――エリートコースから外れたことや、肩書などはもう気になりませんか。
くるみ 自分の肩書は今ないですね。しいて言うなら、「1児の母」ってことくらいかな。桜蔭の同級生や医学部時代の友だちと会うと、周りと違いすぎるので、「今何しているの?」みたいなことは聞かれなくなりました。
社会的評価や肩書って、なければないなりに自分でいろいろやれるので、今は何にも未練はないんです。
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桜蔭高校→慶應医学部→モルガン・スタンレー……。まさに“超エリート”といえる経歴を持ちながら、年収や地位を捨てて南房総に移住したくるみさん(24)の人生は、SNSでたびたび話題になっている。 「平均年収2000万」と言われる会社を辞め、20歳で結婚した夫と長男の家族3人で“年間100万円未満の生活”をするようになるまでに、一体何があったのか? 「毒親だった」という幼少期の家庭環境とは。