第4子がダウン症と診断。「この子のために父親としてできることは何か」自問した日々【柔道家・鈴木桂治インタビュー】

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更新:2024/05/28(火) 07:54

1. 2024/05/08(水) 21:43:38

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第4子がダウン症と診断。「この子のために父親としてできることは何か」自問した日々【柔道家・鈴木桂治インタビュー】|たまひよ st.benesse.ne.jp

アテネ五輪柔道男子100キロ超級金メダリストで、柔道男子日本代表監督を務める鈴木桂治さん(43歳)。妻(41歳)、長女8歳(小学校3年生)、二女7歳(小学校1年生)、長男3歳(年少)、三女・稀子ちゃん(1歳6カ月)の6人家族です。鈴木監督は第4子の稀子(きこ)ちゃんが1歳の誕生日に、ダウン症であることを公表しました。


――いつごろダウン症候群の診断がついたのでしょうか。

鈴木 成育医療研究センターに入院すると、生まれたときに心臓疾患がある子は、体のほかの部分にも影響が出る可能性もあるということで、血液検査や染色体検査を受けました。
稀子は、耳の位置が少し下にあるということ、足指のすき間が開いて広がっている、いわゆるサンダルギャップというダウン症の特徴もあったとのことでした。
そして、稀子が生後2週間のころ、妻と一緒に検査結果を聞いた際に、医師から「ダウン症候群」と診断されました。

――稀子ちゃんの低月齢のころの育児で大変だったことはどんなことですか?

鈴木 いちばん大変だったのは、生後すぐから手術前までの数カ月、なかなか体重が増えなかったことです。心臓の手術をするには、手術に耐えられる体力のためにある程度の体重が必要だとの説明だったのですが、それがなかなか増えなかったんです。
生後1カ月くらいはNICUに入院し、いったん自宅に帰ってきたんですが、その間の授乳に苦労しました。授乳は、まず口からミルクを与えるけれど、すぐに疲れて飲まなくなってしまうんです。そこで、鼻から胃にチューブを通した胃管チューブから、飲めなかった分を授乳していました。ゆっくり注入するので時間もかかります。3時間おきのその授乳は、やっぱり肉体的にしんどかったです。夜中は僕が強いから僕が担当して、妻は朝以降を担当して、と24時間を分担して授乳していました。
胃管チューブを稀子が手で引っ張って抜けてしまうこともあって、それを入れ直すのも大変で・・・。僕では上手に入れ直せそうになく、その処置はすべて妻がやってくれました。 体重が増えないと心臓の手術ができないので、その心配もあって、この時期は苦労しましたし、精神的にもつらい時期でした。

――稀子ちゃんのダウン症のことを公表された理由は?

鈴木 4人目の子どもが生まれたことはSNSで発表していたんですが、入院や手術が続いていて、なかなか症状などを言える状況でもなかったんです。1歳のタイミングで治療が一段落して少し落ち着いたこともあり、僕がインスタグラムに稀子のダウン症のことを投稿しました。
公表したら「うちの子もそうなんです」と連絡をたくさんいただきました。SNSを見てくれている人たちだけでなく、身近な後輩の子どももダウン症だと連絡をくれました。彼は「先輩の発信に勇気づけられます」と言ってくれました。
黙っているのはつらさもあったので、公表したことで気持ち的には少し楽になったし、僕の発信を見てくれた人が「自分だけじゃない」と思ってくれたり、たくさんの人に支えてもらうことにつながっているのはありがたいなと思っています。

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