アナウンサー試験100社全落ち27歳、人力車引き&ラジオDJで存在感「浅草に恩返しができるように」

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更新:2024/02/19(月) 20:29

1. 2024/02/18(日) 20:13:12

アナウンサー試験100社全落ち27歳、人力車引き&ラジオDJで存在感「浅草に恩返しができるように」 | ENCOUNT encount.press

コロナ禍が明けて活気が戻った東京・浅草。連日、外国人観光客が押し寄せ、肉体美の男性車夫が人力車を引く光景が日常となっている。そんな中、小柄な女性車夫が存在感を放っている。関森ありささん(27)。ラジオ局に勤務しながら、人力車を引く27歳の素顔に迫った。


「大学生の頃はアナウンサーになりたくて、全国100社以上にテレビ局の面接を受けていました。でも、面接会場には高学歴の上に美人でスタイルの良い方ばかりでした。同じ大学の友人もどんどん内定が決まる中、自分は全落ち。焦るばかりでした。そんな時、アナウンサースクールの先生が、『トーク力を磨くために人力車で修行をして来なさい』と言ってくださいました」

関森さんは「なるほど。車夫をやれば、就活の自己PR欄にも書ける」と思い、すぐに行動。車夫採用の面接へ。そして、採用された。

「アナウンサー採用試験って現地への旅費だけでなく、食費、勉強のための観光費用もかかる上、最終面接では美容院でヘアセットをして、新しい服を購入して臨むことも多かったので、総額150万円以上のお金が消えていきました。車夫のバイト代でそれらを補うことができたのは大きかったです。その後もテレビ、ラジオ局、メディア関連会社を受け続けましたが、大学卒業前にも関わらず内定はゼロでした」

「私の祖父は目が不自由でテレビが見られないので、よく2人でラジオを聴いていました。ただ、就活中に祖父の体にガンが見つかりました。祖父はすっかり元気をなくしたのですが、『ラジオから私の声が聴こえたら、喜んでもらえるかも』と思い、私は最後の望みを懸けて地元ラジオ局の試験を受けました。そして、面接時に人力車で車夫としてバイトをしていることを伝えたら、局長から『日本初の人力車DJになればいいじゃん。面白そうだから人力車の仕事も続けなよ』と言っていただきました。受かったら車夫の仕事は辞めるつもりだったので、この提案には驚きました」

そして、2019年4月に入社。祖父に自分のことのように喜んでくれたという。だが、車夫の仕事も決して順風満帆ではなかった。

「実は人力車を引けるようになるまでが本当に大変でした。研修中に店長を乗せたまま人力車をひっくり返してしまい、180万円もする人力車を壊してしまいました。浅草店の車夫スタッフからは『あなたを教えるのはもうお手上げ』と言われ、社長のいる兵庫・姫路店に研修に行ったこともありました。社長からは『今すぐ辞めるか、姫路で1か月間、朝から晩まで特訓するか選べ』と言われ、私は『絶対に諦めたくない』と思い、特訓を選びました。結局、浅草で3か月間、姫路で1か月間、車夫修行をたたき込まれました」

出典:encount.press

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2. 2024/02/18(日) 20:13:42

確かにちょっと惜しい感じ

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3. 2024/02/18(日) 20:13:43

小顔美人

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4. 2024/02/18(日) 20:13:44

なんだか目が怖い

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5. 2024/02/18(日) 20:14:04

めっちゃ可愛い

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