1. 2024/01/30(火) 16:13:20
出典:nordot-res.cloudinary.com
(1)これだけの災害だから、避難所はいっぱいになると予想した
(2)コロナや感染症が心配だし、どろぼうの心配もある
(3)自宅近くであれば必要なものを取りに行ける。私もキャッシュカードを見つけた
(4)地域で団結すれば乗り越えられると思った。みんなで困難を乗り越えようという気持ちが強かった
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特に男性は、小さいころから稲屋町で育った人が多い。「みんな、子どものころからの知り合いだ」。お互いに家族ができた後も、地域ぐるみで日常生活を通し、仲を深め合ってきた。知り合いだから、長い共同生活を送れたことは確かだ。
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輪島市は、地震発生からしばらくして、この「ビニールハウス避難所」を把握し、職員が水などの物資を運んでくれるようになった。事態を知った親戚や友人らも、さまざまな物資を送ってくれたという。
地震発生から2週間が経過した15日までに、「ビニールハウス避難所」にいた人々は、家族単位でホテルなどに二次避難したという。固い絆で結ばれた集落だったが、今後どうなるのかは分からない。ハウスで暮らした人のほとんどが、「二度とここには住まない」と口をそろえた。理由は、倒壊した家を再建するのは金銭的に難しく、再建してもまた大地震に遭うかもしれないためだ。干場さんは「コミュニティーがなくなるのは寂しいが…」と漏らした。
これだけ震災が多いのに、日本の避難所は海外に比べてあまりにも改善されなすぎだと思います…。
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能登半島地震で被災した石川県輪島市の山間部に、稲屋町という集落がある。この地域が受けた被害も大きく、家が倒壊した住民約10人が農業用のビニールハウスに身を寄せ、避難生活を続けた。氷点下を下回る日もあるほどの場所で、外とビニール1枚隔てただけの生活。北国で暮らしてきた住民にとっても「耐えられないほどの寒さ」だった。それでも工夫を凝らし、2週間も滞在。崩れた建物から住民4人も救助した。