1. 2024/01/09(火) 09:47:17
「被災当時のままの靴下と靴をずっとそのまま履いてたもんだから、ものすごい臭いを放つんですよ。みんな同じです。寺ではお米には困らなかったから、側溝のU字溝とグレーチングを外して洗って、それで魚を焼いて食べてました。寺は近くの大きくて大人数いる小学校避難所よりも物資が届くのが遅かったですが、小学校に届いた物を分け合ったりしてね。タバコを吸う人はタバコが何よりもうれしいと言っていたし、本当に欲しいものは個々で違いますからね」物資受け入れで困ったものもあったという。
「被災直後は全てが不足していたから、それこそ中古の毛布でも洋服でも何でもありがたかった。でもやがて新品などが潤沢に揃えば中古品は不要となってしまう。当時はとりあえず何でも送ってしまえというような感覚があったのだとは思いますが、やはりお送りいただくのであれば中古ではない新品の物のほうが長く重宝されるのだと思います」
(中略)
「能登は半島という海に飛び出した地形柄、現地に向かう道路も限られます。今は物と人の流れが十分に円滑になるまで、もどかしいながらも我慢していただくときなのかもしれません。こうした緊急対応の段階では音楽より優先すべきものがあるのではないかとは思います。いずれ復興し、その地に住み続けられるように支援していくことが大事なので、今できることは義援金かもしれません。義援金なら、フェーズごとに必要な物が変わる被災地において必要な物に変えられるのですから」
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能登半島地震後、迷惑系YouTuberの被災地入りや音楽家による「衣食住が整ってない時に音楽のボランティアは迷惑になります」といったSNS投稿が話題になっている。かつて東日本大震災で被災した人々は、今の状況をどう見ているのか。宮城県南三陸町と岩手県陸前高田の津波伝承館関係者らに話を聞いた。