1. 2023/08/29(火) 20:18:03
明治20年(1887年)、東京大学の植物学の研究室に通っていた25歳の牧野は、14歳の少女・寿衛と出会い、熱烈な求愛を開始します。寿衛は飯田橋の駄菓子屋の娘でしたが、没落士族の出身だったので、ねんごろな関係に持ち込むには、彼女の両親の懐柔が必要でした。牧野は自分が高知の資産家の御曹司であると匂わせ、 寿衛との同棲生活を上野の裏町で開始したのです。
しかしその翌年、早くも寿衛は妊娠し、出産しています。牧野は20歳をすぎた頃に、従姉妹の猶(なお)という3歳年下の女性とすでに結婚していたので、寿衛とは結婚できないことが判明しました。
しかし、寿衛は牧野に惚れ込んでしまっており、彼と別れるくらいなら自分の家族を捨てるという選択をしています。
娘が生まれた後も、牧野は「植物こそが愛人」と公言して憚(はばか)らず、自身は仕立てのよい洋装で野山を土まみれ、泥まみれになって歩き回って植物採集に興じていました。彼にそうした奇行を許していた実家で、最大のスポンサーの「岸屋」が財政破綻したのが、明治21年(1888年)のこと。
当時、牧野は東大の研究室から植物学の専門誌を出そうとしており、理想の雑誌を刷り上げるための印刷機を買う金まで、実家にせびっていたのでした。牧野からいわれるがままに送金し、岸屋を破産させてしまった猶に懇願され、彼は1年ほど高知に戻ることになりました。
しかし何を考えたのか、高級旅館に宿泊し、宿泊代だけで80円(現在の80〜100万円程度)を散財。「高知西洋音楽会」を組織して音楽活動に夢中になってしまっているうちに、東京の長女は病気になり、死んでしまいました。
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NHKの朝ドラで神木隆之介演じる「槙野万太郎」のモデルとなった植物学者・牧野富太郎(まきの・とみたろう)。