1. 2022/02/05(土) 20:53:16
勉強をしようと決めたのは、これこそが私が妹への優位を示しうる、ほぼ唯一の道だったからだ。跳び箱4段という跨げるくらいの高さで骨折をした私に対して、小学生の妹は運動神経がよかった。
私は必死に必死に勉強した。1歳しか違わないのに姉であろうとすることは、足がつかないプールで立ち泳ぎするのに似ている。どこに行っても、私には酸素が足りなかった。溺れないように、私はつかない足でじたばたともがく。
私が姉であることをやめようと思った直接のきっかけは、東京で妹と同居しはじめた3年目の初夏だった。
私たちは卵子を凍結することにした。きっかけは、「卵巣年齢※50歳」と私が婦人科で診断されたことだった。
(中略)
私は最初の採卵で2つの卵子しか採れなかったときには、ある種の絶望を覚えた。自然のままだと1個。刺激して刺激して刺激して、で、2個って??
でも、そこまでだったらただの絶望だったのだと思う。問題は「私もきっと同じようなもんだよ」と言っていた妹から、1回の採卵で多くの卵子が採れたと聞いたとき。
このときに、私の中で何かがふつりと切れたのだ。
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信州大学特任教授であり、法学博士・ニューヨーク州弁護士である山口真由さん。東大卒の才女として様々なメディアで活躍するが、Twitterでのつぶやきはコミカルで飾らないものが多い。そんな意外な「素顔」を率直に綴っていただく連載。今回は山口さんと一緒に暮らしている「妹」との関係について。あるとき「姉と妹を代わってもらおう」と山口さんが考えた、そのきっかけになった出来事とは……