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382. 匿名 2016/05/08(日) 21:53:34
信濃の小大名は皆徳川の与力となっています。
真田に意地悪をしたわけではありません。
昌幸は信幸を分家させて沼田を任せます。
つまり、大名としての真田家が2家になるのです。
その根拠として信繁の待遇があげられます。
従五位下左衛門佐という官位、豊臣姓下賜、これらは信幸と同格です。
長男と次男が同格に扱われているという事は、
信繁は昌幸の跡継ぎだったのではないでしょうか?
だからこそ、昌幸と信繁は常に行動を共にしたと見ることができます。
長くなってしまい申し訳ありません。+92
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