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421. 匿名 2026/07/09(木) 12:39:24 [通報]
>>414
西暦239年、邪馬台国の女王・卑弥呼は中国の魏へ使者を派遣した。その最大の目的は、魏の後ろ盾(権威)を得ることで、国内の争いをおさえ、倭国での優位な立場を確立するこだった。この外交は成功を収め、魏の皇帝・明帝から「親魏倭王(しんぎわおう)」の称号と、「金印」や多数の「銅鏡(三角縁神獣鏡など)」を授かった。
卑弥呼の死後、男の王が立ちましたが、国中が服従せず1000人以上が殺し合う大内乱になりました。卑弥呼の宗女(親族の娘)で当時13歳だった「壱与」を女王に立てたことで、ようやく国が収まりました。即位後、壱与は魏の使者・張政(ちょうせい)らが帰国するのに合わせ、大夫(高官)の率善中郎将・掖邪狗(えきやく)ら20人を同行させて魏へ送りました。魏に代わって中国を統一した新王朝「西晋(せいしん)」の歴史書(『晋書』武帝紀)に、266年に倭の女王の使者が貢物を届けに来たという記録があります。これが壱与による最後の遣使とされています。
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451. 匿名 2026/07/09(木) 13:12:09 [通報]
>>421返信
そもそもなんだけど耶馬台国って日本じゃなくね?別の国の話をしてもさ…+0
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