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125. 匿名 2025/06/22(日) 10:19:49
明治時代に行われた日本初の美人コンテストで優勝した令嬢。
本人の知らぬままに義兄が勝手に応募してしまい良家の令嬢だった為に学校を退学させられてしまい、その後すぐ結婚したという数奇な運命を辿ったんだよね
普通に目がパッチリした可愛らしい顔立ちの、今いても美人だと思うから明治時代からそんな美人の価値観は変わってないんだろうね![]()
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303. 匿名 2025/06/22(日) 21:31:53
欧米人受け人の写真載せて、あたかも、昔の日本の美人もぱっちり二重が主流という嘘を広める>>74、>>125みたいな人がいるけれど、明治大正期の美人や人気女優見ても、日本人が薄い顔が好きだった事は明らか、ぱっちり二重は昭和からの流行
安達 ツギ(洗い髪のお妻)
中山 歌子
川上 貞奴
江良加代
九条 武子
>>125が選ばれた経緯
欧米人受けのコンテストの上、日本の庶民の意見はあまり考慮されていなかった
>1907年(明治40年)9月、アメリカの『シカゴ・トリビューン』紙が「ミスワールドコンテスト」を企画した。時事新報社が打診を受け、日本予選として1908年(明治41年)3月5日、「日本美人写真募集」と銘打って大々的な全国キャンペーンを展開した[4]。
>審査は写真選考のみで、洋画家の岡田三郎助、彫刻家の高村光雲、歌舞伎俳優の中村芝翫など芸術界、芸能界を代表する各界著名人13名が審査員となった[6]。
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