-
39495. 匿名 2025/06/01(日) 15:20:01
>>39419
>展示の中で、「なぜあんたは生き残って、うちの子は死んだのか、言われるはずのない声におびえて三十三回忌が済むまで 那覇の町(市場)は怖くて歩けませんでした」と、糸数さんの気持ちを示す文章があったのです。
>糸数さんは子どもたちを引率するため乗船した教師でした。
>盲腸の子どもを看病するため上層階にいるところで攻撃を受けました。
>2日間漂流し、漁船に救助されましたが、引率した子どもたちは全員返ってこなかったということです。
>高良理事長は、上皇ご夫妻が来館することが決まったあと、糸数さんにご夫妻とお会いしないか誘ったそうですが、「両陛下の前に出る資格がない。会わせる顔がない」との返事が来たということでした。
>ただ、糸数さんはご夫妻の来県を知った3月から、慰霊のためレースを編み始めたということす。
>そして「手を合わせる気持ちで編んだ」という3枚のレースが対馬丸記念館に届きます。
>そのレースの1枚は、小桜の塔で上皇ご夫妻が供花される台の上に敷かれました。
>他の2枚のレースは、上皇ご夫妻が休憩のため入られた2階の会議室におかれた、ご夫妻の椅子の両脇の台に敷かれたのです。
>このレースの話を聞いた上皇后さまは、「レース!」と反応されていたと言うことです。
>後日、上皇ご夫妻の側近から、レースをいただけないかと問い合わせがあり、3枚のレースのうち1枚は、ご夫妻の元に届けられたということです。
これが平成流()ですよか
呆れますよ+55
-0
削除すべき不適切なコメントとして通報しますか?
いいえ
通報する