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83. 匿名 2024/04/30(火) 11:23:15
>>1
旦那さんとのエピソードが素敵すぎた
彼が1990年に71才で亡くなるまでの結婚生活は、安らぎに満ちたものでした。彼は私の仕事を応援も、尊重もしてくれましたし、私も60才にして司法試験を受けて弁護士になった彼を、心の底から尊敬していました。+56
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85. 匿名 2024/04/30(火) 11:26:25
>>83
多くのカップルの結婚式をお手伝いしてきましたが、私自身の結婚は42才の時。お見合いで出会った、元大蔵省(現財務省)官僚の結城義人を生涯のパートナーに選びました。彼は当時53才。
披露宴での、「売れ残り同士、仲よくやります」という彼のあいさつは笑いを誘い、マスコミで大々的に取り上げられました。
私は、ブライダルファッションデザイナーを一生続けていく覚悟でしたから、結婚後も仕事を許してくれることが相手に望んだ条件でした。しかも、私の仕事に口出ししない人であってほしかった。それに、違う畑で活躍して、それが尊敬できるものであってほしいとも考えていました。
結婚の面でも先進的だね+64
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87. 匿名 2024/04/30(火) 11:34:39
>>83
夫との結婚生活、夫が亡くなるまで
「安らぎに満ちた」って言うの本当に素敵な夫婦
安らぎに満ちるって本当にお互いを尊重してたんだろうね+48
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89. 匿名 2024/04/30(火) 11:36:27
>>83
「毎月の食費の10万円、3年間渡せないけど大丈夫か?」 7/9 | 独立メディア塾mediajuku.com「ブライダル」という言葉を持ち込み、憧れとともに定着させ、パイオニアとしてブライダル業界を牽引し続けているブライダルファッションデザイナーの桂由美さん。「みんながハッピーになるために、まだまだかなえたい夢がある」と、精力的に、日々走り続ける桂さん...
大蔵省造幣局長を務めあげて、民間の金融機関に籍を移していた結城氏は、ある日、仕事の合間に通っていた図書館で弁護士試験を受けるという知人に出会った。これから7科目の勉強をしないといけなくて大変だ、とこぼしたあとに「結城さんはすでに高等文官試験に通っているからうらやましい」と言われた。東大から大蔵省に入るときに必要なものだったので確かにクリアしているが、それがあれば司法試験のうち3科目が免除になるという。
「ということは、あと4科目でいいのか」
だったら挑戦してみようかな、と、結城氏は司法試験という難関に臨む決意をした。
その頃、結城氏は、桂さんに「自分の食費だ」と言って毎月10万円を渡していた。「3年間、渡せなくなるけど大丈夫か」と突然言われたが、桂さんは動じない。「私も働いているから、そのくらい大丈夫。だけど、どうして?」と聞くと、「司法試験を受けてみようと思うんだけど、どうだろう」と返ってきた。
「やったらいいんじゃないの」とすぐに答えたという桂さん。美しき夫唱婦随…と言いたいところだが、桂さんが考えていたのは(私の仕事を手伝われるのは困る!)ということだったのよ、と、フフッと笑う。
当時の弁護士試験は、今以上に非常に厳しい難関だった。結城氏も、一度目の試験は残念ながら不合格。アメリカ出張中の夫に代わって桂さんが雨の中発表を見に行ったが、番号が見つけられず、念のため翌朝もう一度見に行ったが、やはり合格者の中に番号はなかった。新しい法律の知識や情報の不足を痛感した結城氏は、東京大学に入り直すことにした。「保証人になれるかって言うから、名前書くだけならできるわよって」
そして、晴れて二度目の東大生になった結城氏は、若い学生たちから始終「先生」と間違われては学生証を出してびっくりさせるのを楽しんでいたという。
2度目の挑戦で、合格。当時(昭和54年)の最高齢合格(60歳)だった。+57
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ブライダルファッションデザイナー歴50周年を迎えた桂由美さん。これまで数多くの著名人のブライダルファッションを手がけた桂さんだが、ご自身の結婚についてはあまり語ってこなかった。果…