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352. 匿名 2024/01/23(火) 11:31:30
ひとまずそこを拠点に家族の迎えが来る人は居場所を伝えて待機し、
電車組は電車が動くまで待つことにしました。
Twitterで検索して「新幹線が動いてる」と分かったので
電車組の私ともう一人は新幹線で新横浜まで帰るのを目指して東京駅まで走りました。
まだ新幹線の運転再開の情報をつかんだ人は少なかったのか
奇跡的に座って帰ることができました。
新横浜からはバスで帰りました。
長い長い待機列ができていましたが
バス会社は、おやすみの運転手さんも招集して臨時便を出して動いてくださっていたそうです。
バスの車内は満員で殺伐としていました。
携帯電話で家族に連絡している女の人に対して
座ってるおじさんが「おい!うるせえぞ!」と怒鳴りました。それを「まぁまぁ今はみんな家族が無事か不安なんですから…」となだめる人もいました。
バスの運転手さんがラジオをつけると、気仙沼市の沿岸部で大規模な火災が発生し、死者が数百人と言うニュースが流れました。
車内はシーンと静まり返りました。
さっきどなったおじさんが自分の横に立っていた私に「荷物重かったらひざに乗せていいからよ」と
言いました。うまく言えませんが、あのラジオニュースが流れた瞬間、
あまりの被害の深刻さに、車内にいた人たちの間に不思議といたわりあうような助け合うような空気が流れ始めました。
そのあとは無事に自宅近くのバス停で下車し
自宅まで歩いて帰って家族と再会しました。
翌日が土曜日でよかったと思ったのを覚えています。
電話が通じるようになっていたので、上司に帰宅した旨を連絡しました。
私は会社が東京駅から比較的近くたまたま新幹線が動いた事などから
帰宅難民と呼ばれた人の中ではかなりラッキーな方だったと思います。
それでもあの日の経験から運動靴、ホカロン、モバイルバッテリー、ラジオ、家族の連絡先を書いたメモは常に携帯しています。+44
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354. 匿名 2024/01/23(火) 11:53:38
>>351
>>352
今はむやみに帰宅しないって事になってるからね。
あの時みんな頑張って帰宅したけどある意味賭けというか無謀だったよね。
乗れるかわからない電車やバスやタクシーに長蛇の列とか。
職場に1泊はできるように軽く備えてある。+30
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394. 匿名 2024/01/23(火) 13:44:25
>>352
すごい。
当事者しか分からない話がいっぱいあるし、いろんな判断が性格。きっと仕事もできる人なんだろうなと思う。+16
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