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1483. 匿名 2015/09/24(木) 06:24:28
※1478
私の祖父は日本兵として戦った生粋の日本人ですが
それが何かw
良く仏教を理解しろよ、朝鮮から逃げて来た侵略者の塵クズww
矢のような尻尾を持つ黒い恐ろしい生き物。
西洋の絵画に慣れ親しんだ私たちがもつイメージは<サタン>としての“悪魔”ですが、
仏典に記された“悪魔”は、<マーラ>の訳語であり「いのちを奪うもの」という意味となります。
「いのちを奪う」とは恐ろしいことですが、そうはいっても、むやみやたらといのちを奪うわけではありません。
「道がさかんであれば魔もまたさかんになる、といわれるように、仏道修行においては、かならず魔の障難がそなわっている」
(『西方指南抄口上本』)これは法然上人のお言葉です。
つまり、仏道をこころざし、真実に目覚めることを「我がいのち」と選び取った者だけに、
「そのいのち」を奪おうとして悪魔は現れてくるのです。
「真実なんて、もう、いいよ」「こころざしなんか捨てて、楽しくやろうよ」と。
でも、そこで「こころざし」を奪ってしまえば、悪魔の仕事は終わったわけですから、仕事をなくした悪魔は消えるしかありません。
悪魔が消えたということは、「こころざし」も消えているのです。はたして、それでいいのでしょうか。
実は「君の立てた、そのこころざしは本物か」と、「こころざし」の確かさを問うところに、
悪魔は、悪魔としての仕事の本領を発揮するのです。
だからこそ「こころざし」も自らを確かめ、悪魔の仕事を打ち破ることで、いよいよ「こころざし」そのものを深めていくのです。
悪魔がいきいきと活躍する世界、それは、こころざしがいきいきと躍動する世界なのです。+0
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