ガールズちゃんねる
  • 2136. 匿名 2022/12/04(日) 19:54:29 

    量子力学では、フェルミオンは全宇宙に無数に存在するのに、一つとして同じ状態を取らない、とされている。
    また、量子もつれも、希薄化はしても、決して断ち切ることはできない。
    つまり、アインシュタイン曰く「不気味な遠隔作用」と呼ばれている存在は、本来は「遠隔作用」と書き記す物ではない。
    科学は事実(fact, data, evidence)に立脚するのであって、
    科学は教義(central dogma)に立脚するのではない。
    では、絶対に断ち切れない「不気味な遠隔作用」で繋がった無数の存在は、
    数学的には「∞」と表記する方が簡潔だろうか?
    それとも数学的には「1」と表記する方が簡潔だろうか?
    科学は事実(fact, data, evidence)に立脚するのであって、
    科学は教義(central dogma)に立脚するのではない。
    我々が∞と感じていても、その∞が整然と1のように振舞うのならば、
    それは本来、数学的には「1」と表記した方が簡潔な世界表記近似になる。(オッカムの剃刀)
    だから、我々が一見∞と感じている(微視的)存在は、本来はphysical-ideal上は「1」であり、
    それが我々が住んでいる時のある泡沫世界と、絶対静止時空を隔てる第二事象の地平面なのだ。
    我々が、それを直感に反した「不気味な遠隔作用」と感じようと感じまいと、
    既にそれが存在することが確実ならば、それは世界の基本要素なのだ。

    アインシュタインが光速不変を維持するために、我々の直感に反して速度の合成則を放棄したのと同じことだ。
    それが我々にとって不自然に感じられようと感じられまいと、光速不変は既に存在するのだから、
    それを基本要素と見做さない我々の世界の数学的近似は非効率なのだ。

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