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209. 匿名 2022/05/03(火) 13:28:10
>>53
ドラマを見ていないので変な事言ったら済みません。
一応、歴史書では「太宗が美しい娘がいると聞いて…」と後宮入りの契機が書いてありますが、これはまぁ慣用句みたいな物で。
容姿については、彼女自身に関する記述は無いのですが、武則天が「私にそっくりだから」と1番可愛がった娘の太平公主の容姿が「方額広頤」、広く四角い額と、豊かな頤(おとがい)とあります。旧中国の既婚女性は、狭い額を嫌って広くはっきりとした額を好み、時代にもよりますが豊かな頬や顎は唐代の理想的な美人とされたので「美しい」容姿だったと言えると思います。
60歳近い時の彼女を、家臣が「美少年の如し」と評しているのでスラッとした体つきもキープしていたのでは。
太宗の妃の1人だった時は「才人」という下から数えた方が早い身分のまま据え置かれたし、彼の死後も子供のいる妃や、特に寵愛された妃以外は髪を剃られ、尼として宮中に軟禁状態になるのですが彼女は負け組とも言える「尼」にされた。
2人目の夫となる高宗とは、太宗の晩年、看病をしていた頃から関係を持ち、尼時代にも密会を重ねていたと言われている。
美しい容姿ではあったと思うけれど、そんな女性はいくらでもいる後宮で彼女が生き延び、皇后になり、自ら中国唯一の女帝とまでなったのは彼女の賢さと用心深さだったと思う。高宗の政務も手助けしていたようだし。
元の皇后や寵姫、時には自分の実の姉ですら高宗から寵愛されると手にかける、という容赦の無さ…+20
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