ガールズちゃんねる
  • 1103. 匿名 2021/12/08(水) 19:29:42 

    >>1035

    Wikipediaより引用

    泉重千代

    ギネスブック公認があったため、日本国内では泉が120歳まで生存したことは事実である、という受け止め方が一般的であった。これは、1871年の戸籍調査に記載されている生年月日が正しく、かつ、この戸籍調査に記載された人物と1986年に死去した人物とが同一であることを前提とする。だが、明治時代の徳之島の戸籍の信頼性には疑問があり、泉が1865年生まれであったことについては生前から複数の異論があった。

    1966年(昭和41年)、泉重千代が満101歳とされた時、地元の鹿児島大学医学部助教授(当時)の福田正臣(1919年 - 2012年)は高齢者診察を行い、泉に対して「100歳を過ぎても胃腸はすこぶる順調。歯がなくなったものの普通にご飯やおかずを食べる、目も耳も達者である」という診察結果を発表。しかし福田は老齢学の観点から泉の年齢について疑念を持ち、1979年(昭和54年)の日本老年医学会で泉の世界最高年齢生存記録について否定の見解を述べた[9]。

    1978年に113歳とされるときには、60代の男性が息切れするほどの細い山道を10分ほど歩いて裏山の頂上にある墓にお参りをして医師を驚かせた[37]。

    ギネスブックによって泉が世界最高齢と認定されて以降、ほかにも実際には泉が生まれたのはもっと遅いのではないか等の意見が週刊誌などにも取り上げられた。

    『週刊読売』の1980年12月7日号は、「泉重千代さんの115歳説に疑問がある!」と題して、泉重千代の戸籍の記録について信憑性が薄い根拠として以下を指摘した[38]。

    泉重千代の戸籍に実父母の記載がない
    戸籍の記録では、14歳以下の養父から7歳の泉重千代が家督を相続したことになっている。
    そのため、「徳之島には、過去帳や寺請制度の前提となる寺が存在しなかったために生年に記録された証拠文書がなく、初めて戸籍が作成されたときに記録された戸籍は自己申告であり信頼性が薄かったのではないか」「1865年というのは早世した兄の生年であり、実際の泉は1880年前後の生まれであるが、兄の生年月日が使われていたのではないか」「泉家の実子であった泉重千代が死去した後、入籍した養子がそのまま泉重千代を名乗っていたのではないか」といった説が指摘された[25]。1872年の壬申戸籍に泉重千代の記録があることから、泉を1880年前後に生まれたとするのは矛盾になるが、この点について『週刊読売』は、徳之島が離島であるため、戸籍作成が遅れたのではないかと述べている。

    『週刊読売』はその後も、1984年12月2日号では「スクープ 泉重千代さんは104歳だった!ギネス『世界一』(119歳)返上へ」といったタイトルの記事を掲載したり、1986年3月9日号では「世界一の長寿 故・泉重千代さんの『120歳』に疑義あり 泉重千代は2人いたのか?」と泉の死亡時に報じるなどした。

    このように、事情を知る専門家の間では泉の120歳説は疑問視されており、現在は専門家の間では105歳が通説となっている[5] 。

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