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137. 匿名 2021/10/31(日) 08:26:19
>>121
劉備が東征した理由は関羽の仇討ちで夷陵の戦いは劉備の独断です。
正史では「先主は孫権が関羽を襲撃したのを怒り、東征に向かわんとし」(先主伝)「先主が帝位についたのち、東方の孫権を征討して関羽の仇を討とうとしたとき」(法正伝)「『…関羽の劉備に対する関係は、道義では君臣ですが、恩愛では父子です。関羽が殺されても彼のために軍をおこして敵に報復できないならば、最後まで恩愛を貫くというたてまえからいって不完全となりましょう』」(劉曄伝)とあり同時代人や陳寿からは関羽の仇討と捉えられていたことが分かる。
楊戯の『季漢輔臣賛』では、指揮官(『蜀書』では「領軍」、『呉書』では「護軍」「大督」)に任命されていた馮習が「敵を軽んじたため、国家に損失を与え」「災難は一人から生まれ、広大な影響を与えた」と評されている。+1
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