-
118. 匿名 2021/10/31(日) 02:19:06
>>106
1905年の血の日曜日事件では、搾取・貧困・戦争に喘いでいたロシアの民衆が丸腰で皇帝に直訴したが、そこに軍隊の砲撃を命令したよね。
3000人近くの人々が亡くなったと言われている。
ニコライ2世はこれだけで結構な暴君だと思うけど。
この事件で皇帝の権威は失墜し、帝政ロシア崩壊へつながっていった。
まあとても善良な人のやることではなかったですね。+11
-1
削除すべき不適切なコメントとして通報しますか?
いいえ
通報する