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71. 匿名 2021/07/14(水) 05:21:42
樋口季一郎
陸軍中将。
多くの避難ユダヤ人を自らの判断で満州から上海へ特別便で逃がし、"ヒグチ・ルート" と呼ばれた。
その後、第五方面軍(北海道・南樺太)司令官。
太平洋戦争の終結直前に対日参戦したソビエトは、じつは北海道本島の占領も実行しようとしていた。
ソビエトの動きを知った樋口は それを阻止すべく防衛戦を指示、樺太を南進しようとするソビエト軍に対して、樋口の部隊は 終戦の8/15を過ぎても抗戦を続け(武装解除の期限は8/18だった)、北海道へのソビエト軍上陸を阻止した。そのうちアメリカが介入し、ソビエトは 樺太と北方四島以上の侵攻を断念する。そこで北海道を死守した日本軍兵士はようやく武器を置き、そのまま連行されたシベリアで多くが命を落とした。
降伏後も武装解除に応じず抵抗したとして、樋口は おもにソビエトの追及で軍事裁判にかけられるが、樋口によって救われたユダヤ人たちが救済運動を展開、ソビエトの引き渡し要求に対してもマッカーサーが樋口の保護命令を出す。
極東軍事裁判でも無罪評決を受けた樋口は、以後は身を引き 静かに戦死者を弔いながら生涯を終えた。![]()
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83. 匿名 2021/07/14(水) 06:29:19
>>71
出身地の淡路島に銅像が建立されるそうです。
虎ノ門ニュースで知りました。+20
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128. 匿名 2021/07/14(水) 08:20:25
>>71
初めて知りました。杉原千畝さんはとても有名だけど同じように行動した方がまだ他にもいたなんて。+23
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147. 匿名 2021/07/14(水) 09:02:31
>>71
すごく立派な方ですね
今更ながら原爆投下で白旗寸前を知って参戦したソビエトに腹が立つ
よくぞ阻止してくださったと思うけれど、その犠牲になった日本人が大勢いて祖国に戻らずに亡くなったのは申し訳ない
教えてくださってありがとうございます+21
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