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4. 匿名 2021/05/17(月) 08:14:43
キリスト教系の大学にいたけど聖書の言葉ってそんな前向きかな?
+198
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13. 匿名 2021/05/17(月) 08:18:56
>>4
私もそうだけど、学校で必修の授業受けたくらいじゃ十分な知識は得られないから、聖書のメッセージを本当の意味で理解できないと思ふ。。。+73
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206. 匿名 2021/05/17(月) 14:09:20
>>4
子供の頃からここの部分が好きです。
新約聖書 コリント人への手紙第一 第13章第1節から第3節
「たとえ、わたしが人間の異言(いげん)、み使いの異言を話しても、
愛がなければ、わたしは鳴る銅鑼(どら)、響くシンバル。
たとえ、預言の賜物があり、あらゆる神秘、あらゆる知識に通じていても、
たとえ、山を移すほどの完全な信仰があっても、
愛がなければ、わたしは何ものでもない。
たとえ、全財産を貧しい人に分け与えて、
たとえ、賞賛を受けるために、自分の身を引き渡しても、
愛がなければ、わたしには何の益にもならない。
愛は寛容なもの、
慈悲深いものは愛。
愛は、妬まず、高ぶらず、誇らない。
見苦しい振る舞いをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人の悪事を数え立てない。
不正を喜ばないが、人とともに真理を喜ぶ。
すべてをこらえ、すべてを信じ、
すべてを望み、すべてを堪え忍ぶ。
愛は決して滅び去ることはない。
預言の賜物なら廃れもしよう。
異言なら、やみもしよう。
知識なら、無用となりもしょう。
わたしたちが知るのは一部分、
また、預言するのも一部分であるが故に。
完全なものが到来するときは、
部分的なものは廃れ去る。
わたしは、幼い子供であったとき、
幼い子供のように語り、
幼い子供のように考え、
幼い子供のように思い巡らした。
だが、一人前の者となったとき、
幼い子供のことはやめにした。
わたしたちが今、見ているのは、
ほんやりと鏡に映ったもの。
『その時』に見るのは、顔と顔を合わせたもの。
わたしが今、知っているのは一部分。
『その時』には、
自分が完全に知られるようになる。
だから、引き続き残るのは、
信仰、希望、愛、この三つ。
このうち最も優れているのは、愛」+15
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330. 匿名 2021/05/17(月) 23:30:16
>>4
大学にいただけじゃわからないでしょ
せめて中高くらいはキリスト教の学校出てから言ってくれww+4
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