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372. 匿名 2021/02/17(水) 20:31:21
>>338
ロマノフ朝は、皇位継承を直系男子としたのは、かなり遅くて、ハーヴェル1世(1796年~1801年)の時でした。ですから18世紀末から19世紀にかけて、直系優先の男系男子としたんです。
それまでは、皇帝の長男、長女や、皇后などが担ぎ出されたんです
エカテリーナ1世(1725年~1727年)は、ピョートル1世(1682年~1725年)の皇后です。出自はラトビア農民の娘ですが、ピョートル1世だけでなく、当時の重鎮達の下半身の世話までして、人気があったんです。
ピョートル1世(大帝)は、サンクト・ペテルブルグを建設し、ロシアの貴族制度、官僚の身分制度を急速に整備しました。ピョートル1世が亡くなったため、ピョートル1世の改革を進めるために「女帝」に即位したのです
ピョートル1世(1682年~1725年)![]()
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378. 匿名 2021/02/17(水) 20:44:00
>>372
直系男子というルールを敷かなければ、帝政の終焉はまた違ったかもですね。
皇后が皇太子の病気快癒祈祷のために頼んだ悪僧ラスプーチンにからめとられることもなかっただろうし。+30
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