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81. 匿名 2020/08/15(土) 08:23:40
>>15
お祖父さんは帰還できたのですか?
私の祖父もシベリア抑留後に北朝鮮に送られ病死しました。遺骨も遺品もありません。
私の周りでは同じ境遇の人はいないけれど、フランス人の友達ができたってすごいですね。+190
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373. 匿名 2020/08/15(土) 09:21:47
>>81
15です。
うちの祖父はなんとか生き残りましたが、同じ班?とは10人も生き残れなかったそうです。
祖父は運良く外務省の方と同じく班になり、その人に「ロシアは国に返すと言っているけど、現状は帰れない。だから、少しでも長く生きて苦境から解放される日まであなたはロシア語を覚えなさい。」と言われて必死にロシア語を覚えて、捕虜とロシア兵との通訳になり強制労働から備品担当の比較的体に楽な仕事になったそうですよ。
それで、少しでも、班にごはんを回そうとしたり、したけど、強制労働で弱っていく人ににごはんをあげたくても、ロシアからの食料供給は滞ることが多くごはんを食べられない日が何日も続くことがあったしそうです。
祖父は兄弟が多くて10歳で家族と離れて満洲の親戚の家で働いていたので、「いままで辛かったから、せめて日本に帰って死にたい!」と思って頑張って25歳で日本に戻ってきましたが、共産党員なんじゃないかとしばらく公安の管理下に置かれ、仕事に着くの大変だったと話していました。
結局、共産党のみんな平等!なんて嘘と言うのを知っているので、共産党大っ嫌いって言ってました+212
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2769. 匿名 2020/08/15(土) 20:23:19
>>81
うちのおじいちゃんもシベリアで捕虜になりましたが帰還しました。赤痢?になったりでいっぱい人が死んだと言っていました。おじいちゃんは寒さで足の小指の爪がなくなったとよく話していました。
そんなおじいちゃんですが、私の小学校の「また戦争があったらどうするか、戦争を体験した人に聞いてくる」という宿題で「戦争になったらまた絶対行く」と言っていました。
その時は深くは聞けなかったけど、ちゃんと何でかとか聞いておけばよかったな
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