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1924. 匿名 2020/08/15(土) 16:58:25
戦時中長崎に住んでた親戚のおじさんが、昔話してくれたことがあった。
おじさんの家の敷地内には池があったらしいんだけど、原爆が投下されてちょっとして防空壕から地上に出てみたら、体中の皮膚がただれたり大火傷を負った人がたくさん来て、
おじさんの肩を掴んでお願いだから池の水を飲ませてくれと必死に頼み込んできた。
水を飲ませちゃいけないのは分かりつつも、もう最期だからと言われて泣きながら飲ませたら、みんな穏やかに笑ってありがとうと言いながら亡くなっていったって、泣きながら話してくれた。
この話もおじさんの表情も忘れられないし、ずっと語り継いでいきたいと思う。+24
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1986. 匿名 2020/08/15(土) 17:12:52
>>1924
去年、広島行って、平和記念公園とか資料館とか生まれて初めて見たんだけど、
身体が焼け爛れてもう人の形を為してない人達が、熱い熱い、身体が熱いと、川や池、とにかく水を求めて歩き彷徨う様子の絵を沢山見た。生き残った方が描いたやつ。一般人の方が描いたやつだから、プロのようには上手くない?絵なんだけど、それでも怖かった。
親戚の叔父さんはまさに目の当たりにしたんだよね。
私達には、想像を絶するね。+6
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