上皇ご夫妻が一般参賀に 退位後初、陛下と公の場
31626コメント2020/01/23(木) 12:24
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31083. 匿名 2020/01/22(水) 11:04:42
>>30951
ミチコの悪だくみは留まるところを知りませんよ!
他のトピにも書きましたけどコピペ
1999年12月(最初のご懐妊)には、東宮私室のプライベートなゴミを漁ったミチコキコのスパイ職員のリークで、医者が妊娠と診断する前のタイミングで朝日新聞岩井が発表し、東宮私室の秘密まで探られてると知ったショックとストレスで不幸な結果になってしまいました(車のカーテンを閉めてマスコミ除けしたことをミテコが叱責)。
2000年〈平成12年〉6月16日香淳皇太后が崩御されました。
お葬式は、まずご遺体に幾晩も付き添い、次に正式な儀式が何日にも及ぶものでした。
友納本によると、雅子さまは妊娠中で微熱があったにもかかわらずご遺体付き添いもお勤めになり、お葬式のベールで失礼が無かったのにヒステリーで理由のない叱責を受け、とうとうドクターストップで後の儀式はお休みになり、その後、二度目の流産を経験してしまいました。
しかし、一度目(1999年12月)と違い全く公にされていませんし、マスコミも報道していません。
流産の原因は、ミチコのヒステリー叱責を長時間受けて無理がたたったため、と言われるのを恐れたためマスコミ報道を禁止したのかもしれません。
2000年6月(二度目の懐妊)(多分プライベートゴミは職員に渡さなくなっていた)で微温が続いて医者と相談している事をスパイ職員に知らされたミチコは懐妊を察知し、長時間酷い叱責をしてストレスを与えるために、女官に指示して雅子さまに宮妃より短いベールを用意させたのでしょう。
これは、いじめを予測した喜久子さまがご自分用以外に皇太子用の長いベールを用意しておいてくださり、事なきを得ました。
しかしミチコの目的は、雅子さまが皇太子妃用の長いベールを付けていたかどうかは関係なく、あのタイミングで「雅子様を長時間酷い叱責して、ストレスを与えて流産させる」ことだったのです!
いつものヒステリーを我慢せずに利用して、雅子さまに長時間無理な体勢を取らせたまま叱責し、その結果目的を達成したから大満足で、悪魔の皿茶会でも得意満面だったでしょうね。
ミチコキコの妨害が無ければ、敬宮愛子さま(2001年12月1日誕生)にはお兄様かお姉さまがお二人いらっしゃったはずです。
そんな困難を乗り越えて生まれてきてくれた敬宮愛子さまですから、「お誕生に際しての記者会見」での雅子皇后の涙は、重い意味があるのです。
出典:up.gc-img.net
生まれたばかりの敬宮愛子さまと天皇皇后両陛下
ガルちゃんコメ
>キコ婚前〇胎3回結婚後も2回。
午前様帰宅が多くて昭和天皇を初め宮内庁職員に浮気が疑われてた「試し乗り」美智子さんだって
静養葉山3か月+軽井沢2ヶ月の時以外にも、何かと理由を付けて病院入院が多かった。
何回か経験してるんじゃないの?
だから、キコミチコにとっては流産〇胎は何でもないことなんだと思う。+50
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31090. 匿名 2020/01/22(水) 11:13:30
>>31083
ミテコも〇胎ありそうよね。
それにしても敬宮様はかわいらしくて(・∀・)イイネ!!+21
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31158. 匿名 2020/01/22(水) 12:51:59
>>31083
結婚後の試し乗りについて事実とすれば
チャブはどう思ったんだろう。
チャブにもそういううわさはあるけどね。
もともと下半身が奔放だから孫の異性関係も
寛大すぎるというわけか。
だらしないね。
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