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306. 匿名 2019/12/20(金) 02:26:12
1890年(明治23年)から1923年(大正12年)まで存在した、
当時の日本でもっとも高い建築物であった「凌雲閣」は
12階建てであったことから、別名「浅草十二階」と呼ばれていて、
その建物の周辺の一帯は、晩年は潜りの売春街となり
十二階下の女といえば娼婦のことを意味した
明治時代の著名な歌人、石川啄木はこの売春街を「塔下苑」と名づけて
妻子らを北海道に残して、東京に単身赴任していた時期の
明治41年8月から明治42年5月にかけて15回ぐらい遊びに行っていて
その内容を「ローマ字日記」に詳細に書き記しているが
満足することができたのは釧路時代に贔屓にしていた
売れっ子芸者の小奴にそっくりな10代の女性相手のわずか1回のみで
妻子らが上京してきてからは、この風俗通いを一切やめてしまった出典:showcase.meijitaisho.net
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