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122. 匿名 2019/09/01(日) 19:51:44
>>110
正論だね。でも1+1は2になる事ばかりじゃないよ。親に話す事が出来た時にはもう遅すぎるくらい精神的にも、身体的にも学校に行けない状況なってる事がよくある。私はあなたのような考え方の持ち主で、親もそうだった。
『私』は、話せた、、『私』は逃げずに毎日通えた。でもその反動はだいぶ後からきたよ。もちろん自己責任で一人で乗り越えたけど、時間かかった。今も引きずってるところあるよ。でもそれは皆多かれ少なかれある苦しみだと思ってる。
不登校児含めて発達障がいの子ども達と毎日向き合う仕事させてもらってる。
発達障がいと言うと障害イメージだけど、発達症だと教わり、納得する事ばかり。
わざとやってるんじゃないんだよ
逃げたくて逃げてる子ども達じゃないんだよ
行きたくても行けない
学びたくても分からない
責任感あり、行きたい、勉強したい、ちゃんとやるべき、出来ない私がおかしいと苦しんで傷ついている子どもに
『逃げはいけない』って言葉は逃げ道すら奪われ、息を止める行為になるんだよ。
学校自体に問題がないのに、勉強やりたくないからってのは言語道断だけど
既にがんばって行けない子どもに、無理やり行かせるほど学校は価値のある場所じゃない。
今は様々な場所がある。学校行かなくても、勉強出来る。高卒認定取れる事業所や施設もある。
それを利用することも出来ることを伝える事は悪じゃないし、無責任とは思えない。
自己肯定感や自信を育む為に、自分の居場所を作ること、それから自立していく為に勉強する事が遅いとも思わない。
学校行けない子どもは甘えている、おかしいとか言う言葉が子どもを多感で真面目な子どもを追い詰めるんだよ。
『私』が出来たら、他の人達も皆同じように出来るわけじゃない。
皆違うから。
あなたが出来て、私が出来ないこともある。
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157. 匿名 2019/09/01(日) 22:24:28
>>122
ありがとう。
貴方の意見は参考になった。
でも、私が批判しているのは “学校に行けない子供たち” の方ではないんだ。 私が許せないのは「学校に行きたくないなら、行かなきゃいい」と言う “大人達” の子供達に対する無関心さ。
一見すると、子供を肯定する理解ある親(大人)の様に見える。…でも私には、綺麗事を並べつつ、面倒な事からは目を背け、子供と向き合う事を止めた偽善者にしか見えない。
子供が「学校に行きたくない」と言うのは親(大人)に「助けて」と言っているのと同じなんだと思う。だから親なら子供の話に耳を傾けろ、肯定するだけではなく、時には厳しくとも歩むべき道を示してやるのが愛情だと私は思っているよ。+1
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