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445. 匿名 2019/07/12(金) 13:35:55
○在日朝鮮人とハンセン病
本書は、在日朝鮮人ハンセン病患者が辿ってきた道のりと生き様を、在日三世の著者が、各地の療養所を訪れ、そこで暮らす朝鮮人患者への聞き書きと、朝鮮人患者団体や各療養所で出されていた機関誌・紙などの記録を通して、明らかにし、彼ら彼女らの歴史と現在を浮き彫りにする。また、各療養所で出されている年報を丹念に調べあげ、各年度の朝鮮人入所者数を資料としてまとめている。それは日本のハンセン病史が置き去りにしてきた事実である。
○韓国のハンセン病訴訟手伝った日本の弁護士たち、加害国の良心的勢力の役割が重要
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○「ソウルに刻まれた日本」 鄭雲鉉
今は治療術がよくて問題はないのだが、その当時、「ハンセン病」は「天の制裁(天刑)」と呼ばれていた。彼らは家族から捨てられ、当局にとっても蔑視の対象でしかなかった。彼らはどんな形であろうとも保護を必要とすることと、同時に周囲の関心を喚起させる必要を感じたあまり、植民地時代に「デモ」という形で意思表示を強行したのであった。
1932年、朝鮮全域から集まった「ハンセン病」患者600名の行進者は、光州から歩いて12日で京城に到着した。警察も憲兵も、ハンセン病患者ということで彼らを怖がって彼らの行進を阻止できなかったのだ。行進は崔興[王+宗]牧師が指導した。結局、総督府当局はハンセン病患者の代表、崔牧師と宇垣総督の単独面談をとりもって事態を収拾した。旧朝鮮皇室と、日本の皇室、そして朝鮮内の有志が寄付金を寄託し、その金で小鹿島の療養施設を拡大し、この事件を契機にハンセン病患者の治療政策を新たに考究したという。
○小鹿島虐殺事件
8月18日、園長は患者の代表を集めて、日本降伏の事実を発表した。この報は瞬く間に全施設に広がり、各所で日本人職員などにリンチが加えられたが、幸いにも命を落とすことなく、安全地域へと撤退していった。
8月19日、園内各地で「解放祝賀行事」が挙行された。朝鮮人は職員患者の区別なく「朝鮮解放」を祝った。その中で、ある朝鮮人職員は憤然とした態度で椅子に腰掛けていた。患者がそのことを咎めると「この生意気な奴、俺が立とうが立つまいが、万歳を叫ぼうが叫ぶまいが、お前の知ったことか。余計なおせっかいだ。」と言い返したので、「朝鮮人としての意識が足りない」ということで、他の患者がこの職員を取り囲みリンチした。気を失ったため、直ちに搬送されたが同日夜に死亡した。この事件は、後の虐殺事件に微妙な影を投げかけることとなった。
8月20日夜、医師系職員のSは、患者代表のRに「(看護系職員が)倉庫から物資を島外に持ち出そうとしている」とデマを流し、患者を煽って主導権を奪回しようと目論んだ。医師系職員に煽動された患者は、夜にもかかわらず倉庫に押しかけた。武装した看護系職員はついに発砲し、前にいた患者数人を死傷させた。看護系職員は「明朝10時に談判しよう」と呼びかけ、この日はとりあえず解散となった。
8月21日、談判のために集まった患者代表らを取り囲み、一人残らず虐殺した。そして、たまたま居合わせなかった患者代表も一軒一軒回り、順次射殺していった。犠牲者は82名にも上った。なお、患者を煽った医師系職員のSは前日夜に島外に逃亡し、難を逃れている。
○朝鮮半島から日本に密入国するハンセン病患者が多いことを強調、「近来療養所の八千三百人の日本人は、おかげさまでおちついてはおりまするが、人を殺すことを何とも考えないような朝鮮の癩患者を引受けなければならぬという危険千万な状態にありまして、患者の安寧秩序が乱され、また職員も毎日戦々兢々としてこれらの対策に悩んでおるような状態でございます」と説明を締めくくった(『第七回国会衆議院厚生委員会議録』5号)。
この発言は、光田の朝鮮人への差別感を露呈するものであるが....←はぁ???
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545. 匿名 2019/07/12(金) 18:59:16
>>445
悪いけど朝鮮系の由来の人に難病が多いなと感じることは自分が生きてきた中では多々ある事実なんだよね。擁護出来ないくらいに。+0
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