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8845. 匿名 2019/07/24(水) 10:56:40
>>8840
これを読んでみてね。上皇が美智子様の優しさアピールをしているよ。
両陛下、愛情いまも 姉の眠る二尊院へ
2009.11.20 13:19
京都を訪問中の天皇、皇后両陛下は19日、天皇陛下の姉である故鷹司(たかつかさ)和子さんの墓がある
小倉山二尊教院華台寺(二尊院、京都市右京区)を私的ご日程として訪問された。
両陛下が二尊院を訪問されるのは、平成3年5月以来。
両陛下は、早くに夫を亡くした生前の和子さんのことを常に気にかけておいでで、
和子さんが亡くなる直前には何度も病院へお見舞いもされていた。
和子さんの死去からすでに20年がたつが、両陛下の和子さんへの愛情は今も少しも変わらない。
鷹司和子さんは昭和4年9月、昭和天皇の三女として生まれた。幼少時の称号は孝宮(たかのみや)。
25年5月に元公爵の鷹司信輔氏の長男、平通(としみち)氏と結婚、皇籍を離れた。
しかし、41年1月、平通氏は知人宅で一酸化炭素中毒死、和子さんは若くして夫を失ってしまった。
和子さんは49年10月、伊勢神宮で祭事を主宰する神宮祭主に就任したが、
のちに乳がんと診断されるなど闘病生活を続け、平成元年5月、心不全のため59歳の若さで亡くなった。
昭和天皇の崩御からわずか4カ月半後だった。
和子さんの容体が悪化したころ、両陛下は何度も病院へ足を運び、お見舞いをされた。
天皇陛下は今年4月、ご結婚50年に際しての記者会見で、皇后さまがご結婚後、
陛下の家族を大切にされていることを述べる中で、次のように語られている。
「不幸にも若くして未亡人となった私の姉の鷹司神宮祭主のことはいつも心に掛け、
那須、軽井沢、浜名湖でよく夏を一緒に過ごしました。
姉は自分の気持ちを外に表さない性格でしたが、
あるとき、昭和天皇から私どもと大変楽しく過ごしたと聞いたがどのように過ごしたのかというお話があったことがありました」
皇后さまは、夫を亡くした和子さんのことを常に気にかけ、静養に誘っていらしたのだ。
夫に先立たれ、自身も還暦を前に亡くなった和子さんのことを気にかけてこられた両陛下。
今回は、和子さんの死去から20年という節目を迎えたことによるご訪問だった。
両陛下の側近によると、19日午後に二尊院を訪れた両陛下は、お二人で本堂で拝礼されたという。
http:// sankei.jp.msn.com/culture/imperial/091120/imp0911201321002-n1.htm
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8900. 匿名 2019/07/24(水) 11:55:30
>>8845
この記事から読み取れる事実は次の二点だけ。
・和子さんの容体が悪化したころ、両陛下は何度も病院へ足を運び、お見舞いをされた。
・未亡人(昭和41年以降)の鷹司神宮祭主(昭和49年以降)を連れて那須、軽井沢、浜名湖で夏を一緒に過ごした。
「姉君の面倒見た」とは言えないでしょ?
未亡人の姉の面倒見るって、住むところを見つけたり、生活を支えたりすることでしょ?
単なる親戚づきあいじゃん。
夏の避暑を一緒に過ごしたそうだけど、未亡人になった弱い立場の義姉を、税金使って一緒に連れて行って、体よく子供の面倒見させてたような気がする。
美智子さんは、昭和天皇ご夫妻が可愛がっていて、男だったら優秀な天皇になってたはず、と衆目の一致していた長女の東久邇成子さん(旧照宮内親王)が35歳で亡くなって昭和天皇ご夫妻が意気消沈しているのを狙って、1月も経たないうちに那須の御用邸に夫婦で乗り込んで、夜の10時まで不平不満を言いつのった人だよ。
毎年1か月は軽井沢バカンスを楽しんでたのに、成子さんが亡くなったために喪に服さなくてはならず不満がたまりに溜ってたんだと思う。
49日も待たずに家族で軽井沢に大名行列のごとくお出かけしてた。
1961年(昭和36年)8月28日上野駅(浩宮様1歳半)
カラー写真では、後ろの義宮(常陸宮)の悲しげなお顔と、上皇の表情との違い! とりわけ美智子様の溌剌と嬉しげな表情がヒトデナシ感を感じさせる。
出典:up.gc-img.net
美智子さんは夫をロボットにして、自分の思い通りのことを発言させてるんだよ。+57
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