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10029. 匿名 2019/07/25(木) 23:46:12
色々調べているうちに、美智子さまが秋篠宮さまを「代弁者」として使い始めたのは、かなり早くからだったと感じるようになりました。下記の礼宮さま(22歳)の文書に、美智子さまの内面についてずらずらと書いてあります。何を言いたいのか美智子さま以外にはよく分からないような文章ですが、礼宮さまが書いたのではないことだけは分かりますw
秋篠宮様(当時礼宮様)22歳の時の文書回答
(昭和63年8月、イギリス留学出発に際して宮内記者会からの質問への回答)
正田富美子さんの葬儀に関連して
「よい思い出がいろいろありますが、今は控えたく思います。
ただ今回のことでひとつ言わせていただければ、故人の闘病、臨終、葬儀などを通して、
私は母が皇室の一員であるという自覚をいつも保ちつつ、
同時に正田家への感謝と懐かしさを、どんなに深く感じていたかを知りました。
『私はもう正田家の者ではなく、公人です』と言ったという一部の報道は、
母の皇族としての自覚と、正田家が皇室に対してとってきたけじめをよく表しているのですが、
母は決して自分を『公人云々』などと表現する人ではないし、
自分を育てた家庭や母校にいつも温かな気持ちを持っていますので、誤解があると残念です。」+38
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10035. 匿名 2019/07/25(木) 23:51:33
>>10029
そうですなぁ。公人でしたら、ミーミーミーにはならずに、税金で贅沢三昧衣装三昧しないはずですものね。皇室にも馴染めずいつまでも正田の娘のままだったんですね。
秋篠宮がこのような文書を書くようにも思えないですね。上皇と秋篠宮と二人分の文書作成してたんですね。+45
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