ガールズちゃんねる
  • 259. 匿名 2019/07/17(水) 10:35:33 

    佐々木蔵之介の豊臣秀吉が評判悪くて意外。
    蔵之介は常々「(性豪だった)豊臣秀吉の人生が理想」と公言してるので
    オファーが来たのかもよ。
    実家の佐々木酒造が、秀吉の邸宅「聚楽第」跡地の中にあるという話も
    以前から事あるごとに繰り返しアピールしてきた。
    蔵之介にとっては願ったり叶ったりの配役。
    顔付きもオランウータンみたいで適役では。





    佐々木酒造について|佐々木酒造株式会社
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    【佐々木酒造 社長(蔵之介の実弟)の挨拶文】

    うちの蔵は偶然、昔、豊臣秀吉が自分の家として建てた
    「聚楽第」のあった南端にあるのですが
    秀吉がこの場所に聚楽第を建てた理由の1つとして「水の良さ」があったそうです。
    秀吉は茶道が趣味で、各地で茶会を開いていますし
    聚楽第の敷地の中に、千利休の茶室付きの家を建ててやって
    そこで一緒にお茶を楽しんだという話も残っていますので
    大昔から水のよい地域であったことは確かです。

    【洛中伝承】
    天正19年(1591年)、関白秀吉は、荒廃後の京の新しい町づくりに着手し
    京の町全体を囲むように、御土居といわれる土塁の壁を作った。
    御土居の内側が洛中、外側は洛外と区分けし
    数カ所の関所を設けて、洛外から入ってくる者を検分した。
    京都の町中で「荒神口」「粟田口」「丹波口」など、「口」のつく地名は関所のあった名残で
    それらを繋ぎあわせた円で、かつての洛中の規模を確認することができる。
    その洛中でも特に上京は、地下水の良さから水が命である茶室や酒蔵が密集していたが
    生産高が増え、東へ運搬する利便性で、洛外の伏見に移り、次第に企業化していった。

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