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1134. 匿名 2019/03/06(水) 19:03:44
被害に遭った少女を知る人々
「アイドルタレントの倉田まり子に似た明るく活発な生徒」
「スラリとした際立った美人」
「大柄で目鼻だちのはっきりとした美人」
「スラリとした感じのお嬢さんでまるでモデルさんのようにきれいな人でした」
「今までに何か問題を起こしたことなんてありません。欠席も、3年間で1日か2日です」(八潮南高校教頭)
「服装だってTシャツにGパンという飾らない感じでね、それはマジメな子でしたよ」(バイト先のスーパーの店長)
K子さんの最後の言葉は「苦しいです」だったと犯人のひとりは後に語っている。
在学当時の友人の話ではアイドルに憧れていたとのことであり、成績はトップクラスだったという。人柄も大変よく、たくさんの同級生の女子からも慕われているほどで、1989年4月2日に営まれた葬式では、TV放映されているにもかかわらず、同級生はわき目も振らずに号泣し、弔辞を読んだ同級生も声を詰まらせての涙ながらのものだった。
「Kちゃんの死を無駄にはしません。私たちに何があっても精いっぱい生きようとしたKちゃんを思い出して頑張っていきます…。」
– 高校の同級生
「かれんな無抵抗な女の子に対して犯人たちのとった行いには、人間として怒りを押さえることはできない…。」
K子さんのおじ
家電量販店への就職が内定しており、高校卒業後はそこに就職する予定だった
体重は51キロ→から死体発見時は35キロ
享年17歳。また、1989年1月8日に元号が「昭和」から「平成」になったが、「平成」を迎えることなく短い生涯を閉じることとなった。+58
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