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973. 匿名 2019/02/24(日) 04:59:45
「国債発行=税金」である。
大増税や天引きによる所得の減少、いわゆる「負担ばかりが膨らんで働いても働いても生活苦に負われる」、を現役世代が批判するならその矛先はどこが妥当なのだろうか。
責任は政府と政治にあり、財政再建を棚上げにして打ち出の小槌が可能かのように見せかけて赤字公債を膨らましてきた歴代の政権へが道理にかなって妥当な判断ではないか。
各国が赤字公債の発行は極力避けるべきであると考えて国債残高を抑えようと奮起しているのをみれば、赤字公債は膨大なリスクを伴うということは自明なことだと言えるのではないでしょうか。
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> 不換紙幣は、その価値が政府・中央銀行によって厳格に管理されていることが、信用の根拠になっている。管理通貨制度とは、不換紙幣を流通させるための信用確保の制度だとも言える。
通貨を厳格に管理しようとしても、ルーズになりやすいのは、政府の財政運営である。そうならないために、政府が行なう借金(国債発行)は、いつか必ず税金で償還されることが約束される。
> 現在、日本政府が、2020年度までに基礎的財政収支(プライマリー・バランス)を黒字化させることを公約して、消費税率を引き上げようとしているのも、財政運営の健全性をどうにか維持しようと考えているからだ。最終的に税金で債務を完済するという約束が、通貨の信用をつなぎとめているとも言える。
> ところが、今、日本の財政再建が危ぶまれている。政治的に、消費税率の引き上げへの反対論が強まっている。消費税を上げずに済ませる戦術の中には、いっそのこと消費税を増税せずに、日銀が新発国債を直接引き受けて、政府に財源を供与すればよいという考え方もある。
この日銀の国債引受けは、日銀が政府の当座預金に無制限に資金を振り込むことになり、お札の増刷と同じことになる。一方、従来のように、日銀が流通市場から長期国債を買い切る政策は、日銀の保有国債にもいずれ税金から償還資金が支払われるという点で、増税策と両立する。
> 日銀の直接引受けは、増税策の代替案として論じられる点で質的に異なる。日銀の国債引受けは、マネー・プリンティング(紙幣増刷)や財政ファイナンスと同義であることには注意が必要だ。
恐ろしいのは、政府がお札をプリントして大々的に配ると、次第に国民が「受け取ったお札は1万円の価値がないのではないか」と疑い始めることだ。タコが自分の足を食べて生きていこうとするように、常識が麻痺した状態になることこそ、日銀の国債引受けが「悪魔的手法」と呼ばれるゆえんである。
> 江戸時代には、幕府が小判の金の含有量を減らして流通させ、財源不足を補おうとすることがあった。庶民は、品質が劣化した小判が流通することを知ると、手元に金の含有量費の高い小判を置き、品位の落ちた小判を率先して手放した。これが、「悪貨が良貨を駆逐する」という現象である。
> 現代においても、日銀の国債引受けが行われると、同じように「悪貨が良貨を駆逐する」現象が起こるだろう。個人は、円を信用しなくなり、資産保全のために率先して外貨を保有しようとする。キャピタル・フライト(資産逃避)である。
>そして、制御できない大幅な円安になった挙句、輸入物価が予想外に上昇して、国民は物価高に苦しむ。消費税を5%上げることを嫌がっていたのに、もっと大きな輸入物価上昇に直面するのでは、元も子もない。輸入物価の上昇が国内からの購買力を流出させることは、庶民を貧しくさせる。
管理通貨制度は、政府や中央銀行の規律によって、通貨の信用を築いているのだから、その信用が崩れたとき、通貨・物価のコントロールは制御不能に陥る。「通貨を堕落させる」操作には、ブレーキが効かない。
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日銀の金融政策の中で、「究極の禁じ手」とされる日銀の国債引受けについて考えてみたい。消費税増税をせずに、日銀が国債発行分を全て引き受けて、税収不足を補えばよいのではないかと言われたら、その可否をどう考えるべきか。