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98. 匿名 2018/05/24(木) 20:54:41
>>92
さてそれは本当に秀吉の意思だったんでしょうか。
鶴松のときと秀頼のときの1番大きな違いは秀吉の後継者がいるかどうか。
鶴松のときは正式に後継者は決まっていなかった。
仮に淀殿が野心を持って独断で誰かの子を身籠っても、子どもが欲しかった秀吉は公的には自分の子としてイチから後継者として育てようと考えたかも。
秀頼のときはすでに秀次が関白になってしまっていたから秀吉が激怒するのも当然と思う。
でも結局溺愛してるんだが。+28
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