-
354. 匿名 2017/01/16(月) 15:59:27
>>339
それはお祖父さんがチッソの公害の後始末のために銀行から派遣された社長だったために言われてた噂でしょ
でも、後藤田さんには雅子さんを皇太子妃にするために動いていたとする情報もある
「消えたお妃候補たち」P38-39
(1992年)
首相をはじめ、中曽根康弘元首相、藤森を宮内庁長官に推したといわれる後藤
田正晴らは皇太子のお妃選びの後押しに懸命だった。
ある全国紙の社会部デスクがこう解説する。
「佐川急便事件捜査の進展や竹下元首相の証人喚問、景気の低迷で自民党の支
持率が落ち込むなか、皇室の慶事で流れを変えたいという声が自民党の中にあっ
たのは確かです。後藤田は親しい人に『お妃選びにかかわっているんだ』と漏
らしていましたし、中曽根は“小和田カード”を政治力復活のテコにしようと
考えたんですよ。(略)
ちなみに十二月の自民党人事で梶山は幹事長に就任、内閣改造では官内庁とか
かわりが深い総務庁長官にという声が上がった後藤田は、一転して法務大臣に
就任した。当初予定されていた鯨岡兵輔の法相は消えてしまった。宮内庁と首
相官邸でもめたといわれる皇室会議の日程を、新しい委員長が決まる社会党大
会にぶつけたのも後藤田の進言といわれる。
それはともかく、皇太子と小和田雅子の再会と交際、小和田家の「ノー」の返
事と再考を迫る動きが政・官界注視の中で進行したのは確かである。
+2
-42
削除すべき不適切なコメントとして通報しますか?
いいえ
通報する